ドレスコーズ『戀愛大全』

甘ったるくてイカサマくさい、寂しそうで人懐っこい、志磨遼平の不思議な声色が好きだ。声そのものに、ロマンチックな一瞬が内包されている...というのは錯覚であるが、恋はきっと気まぐれで自堕落なものだから。この声でなければ歌えないラブソングがある。ドレスコーズ8作目のアルバムにしてラブソング集『戀愛大全』は、そんな志磨遼平による面目躍如のアルバムである。

と書き出してみたものの、ちょっと寄り道をしていこうと思う。

日々取材をしていると、音楽家と話したことの中で長く心に残る言葉がある。コロナ禍以降で印象的だったのは、安藤裕子にインタビューをした時だ。2020年の7月、今よりもずっと新型ウイルスに恐怖し右往左往していた頃である。彼女は取材中、不意に「恋をしていますか?」と聞いてきた。

「人生を謳歌したほうがいいですよね。だって、戦時中でも恋は生まれていたわけでしょ。生きて死ぬからには、皆さんそういうドラマを演じたほうがいいと思います」と、そんな話をしたと思う。

それから2年。寺尾紗穂による類稀な傑作『余白のメロディ』には、「森の小径」のカバーが収められている。この曲は太平洋戦争を翌年にひかえる1940年に、佐伯孝夫が作詞、灰田有紀彦が作曲した楽曲である。繊細な慕情を綴ったこの曲は、軍歌が多く歌われていた時代にあって、戦地に赴く若者たちが愛した曲だという。

無論、当時の日本の状況と、今のこの国の社会を比べる意図はない。だが、いつの時代も夢を見るのである。疫病、隣国で始まった戦争、歴史的な猛暑、元首相の銃殺事件......自分の立っている場所さえ不安定に思えてくるこんな時代にも、ドラマを演じる余白くらいは残されているはずだ。だってそう、『戀愛大全』はほとんど夢見心地のようなサウンドである。シンセサイザーまで導入された本作は、夏の光を浴びて輝く恋、いわんや恋に焦がれて踊りましょうというような華やかさがある。つまりは、恋を通して生を見出そうということである。

不吉霊二が描いた最高のジャケットが、本作のムードを視覚的に浮かび上がらせる。開放感のある旋律で踊る登場人物たちは、みんなどこか能天気でファニーである。だからきっと志磨遼平が表現したかったのは、恋をした時の無防備な気持ちだろう。何故ならそれは、コロナ禍以降多くのことに気を配り、“注意深く過ごした”ここ2年間の反動でもあるのだから(志磨曰く「“人類史上で最も潔癖な世代”となった」私たちである)。<よごれたゆび(「大疫病の年に」)>で、今度は私たち愛し合うのである。

さて、今一度、ドレスコーズによるここ数年の創作を見ていきたい。作品毎に自身のイメージを刷新している志磨遼平。そのキャリアの転換点が『平凡』であるのなら、以降の作品における最初の傑作が『ジャズ』である。リリースは2019年。当時のうたい文句は、大胆にも「人類最期の音楽」。ロマ音楽に傾倒した作品で、最期の一夜に乱痴気騒ぎを起こすような情熱的なアルバムだ。

享楽的な踊りに狂うような「チルってる」、ラテンの乾いた風を感じる「カーゴカルト」、「銃・病原菌・鉄」と題されたインスト曲、そしてドリーミーな音色で歌う<この国で オリンピックがもうすぐある>(「もろびとほろびて」)というフレーズ...敢えて言うなら不気味を楽しむアルバムだったように思う。だからこそ、コロナ禍に入ってすぐの2020年の4月、ZOOMで話した志磨遼平が、件の作品について「縁起の悪さを感じている」と語ったのもむべなるかな。

それから1年、ベスト盤を挟んでリリースされたのが『バイエル』だ。突如としてサブスクリプション・サービスで発表されたそれは、当初は全曲ピアノインスト・アルバムであった。多くのドレスコーズリスナーが驚いただろう。「成長するアルバム」と題されたそれは、その後段々と演奏、歌が追加されていき、3つの形態を経て(一応の)完成をみることになる。

「大疫病の年に」、「はなれている」、「不要不急」といったタイトルからも明らかなように、『バイエル』は時代のムードをキャプチャーした作品である。ひとつ象徴的な例を挙げてみよう。かのアルバムは、ほとんどの曲でベースが使われていない。「僕らは熱を持たずに暮らしていたから。活き活きした要素を排していこうと思ったんです」というのが本人の弁である。

なるほど、自らを自宅に隔離し、街から人が消え、どこへ行っても2m間隔の立ち位置が指定され、電車では咳き込むだけで不審な目で見られる...そんなぬくもりを忘れた街において、あれこそがおあつらえだったということである。グルーヴしない音、グルーヴしない日常、味のしなくなったガムみたいな毎日...狭い部屋で録られた静謐なサウンドは、今聴くと非現実的なくらい密やかな音をしているが、あの時には酷くリアリティを感じたものである。

そうした『バイエル』のリリースから1年4ヶ月。「架空の短編映画のサウンドトラック」をテーマに作られたのが、この度の『戀愛大全』である。無菌室の部屋から出たような、眩いサウンドと躍動するリズム。『オーディション』以来のポップアルバムとも言えるだろう。ここで繰り広げられるドラマは、我々が「本当は過ごすはずだった」夏の風景。前作とは反転したような世界である。

言うなれば「内」に向かっていた『バイエル』に対し、「外」へと向かうのが『戀愛大全』であり、未来への不吉な予感を鳴らしたアルバムが『ジャズ』だとしたら、失われた未来を歌ったのが『戀愛大全』なのである。

再生と同時に力強いハンマービートが出迎える。「ナイトクロールライダー」、これがこの短編映画のファンファーレ。脅迫的なリズムと対照的に輝くメロディに、うっとりしてしまう。バイクの背中に恋人を乗せ、星が煌めく銀河を進んでいくような曲である。ザ・スミスからの影響を伺わせる「聖者」は、涙で湿らせたようなギターが心地いい。ここ最近のドレスコーズでは聴くことのなかった、メランコリックなポップソングである。本作でも特に新鮮なのは「夏の調べ」で、これはいわば、志磨遼平によるシティポップ解釈である。

私が最も愛聴しているのは「僕のコリーダ」だ。本作でもダントツのスピード感、その題から名作『愛のコリーダ』を想起せずにはいられないこの曲は、恋に溺れ、明日を捨てて疾走するような気持ちよさがある(ちなみに『愛のコリーダ』は、かつて志磨が敬愛するデヴィッド・ボウイも絶賛した映画でもある)。次に繰り返し聴いているのが「エロイーズ」。始まりもせずに終わった恋を想う歌...しとやかなドラムと、喪失とは裏腹にどこか祝祭を感じる音色が気が利いている。案外こんな気分ですよね、夕日を見ながら黄昏れる時に聴きたい音は。そしてそれから、気の抜けたトロピカル風の「ラストナイト」、The Cureを思わせなくもない「惡い男」もなかなかの佳曲である。

さて、コロナ禍になってからのインタビューで、ブライアン・イーノはこんなことを言っていた。「アーティストはある意味、『別の未来図』を想像するための素材である」と。さらに、「アートというのは、人間が生涯を通じて遊び続けるための方法じゃないか」と(どちらも『ele-king臨時増刊号 コロナが変えた世界』から)。つまり、芸術とは現実のリハーサルなのである。一見「元の生活」に戻っているように見えて、どことなく「乗りきれない」2022年、私はこのアルバムをひとり部屋で聴いて踊って過ごしている。

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