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心の名医✨田上先生

今回はまた、私の歩んできた人生の中で、特にターニングポイントとなった出会いの方について書こうと思います。

今回は、わたしの心の病の主治医、田上先生です。田上先生の存在なくしては、今のわたしは居ません。

中学生の時、某所に出かける母に自分も着いていきました。某所までは、何回も電車を乗り継ぎやっとのおもいで辿り着きます。用事を済ませ、電車で帰路につく途中の駅で、わたしはパニック障害を発症してしまいました。
理由のない恐怖感に襲われ、この先一歩も歩けない不安感に見舞われ、果たして自分は家路につけるのか、このまま駅構内のつめたいベンチに座り続けるのか?とにかく、恐怖や不安感、ストレスからくるパニック状態に陥り、もうこの苦しみを取り除いてくれるなら(当時、わたしは中学の不登校の身でした。他の記事でも、その事に触れています)母に勧められていた【心療内科、精神科】のクリニックへ行くよと、タクシーに乗り、高速道路を使って長距離間を移動しました。
途中苦しくて、

早く病院に着いて…
一刻も早く苦しみから解放させて…

と、当時、無宗教のわたしも、神様に祈りました…というよりすがりました。そうすることで、少しでも楽になればと思いこんで。

辿り着いたのは、夕方から夜に掛けての日の暮れた時間でした。
クリニックの扉を開けると、ディズニーの名曲が、静かな調べを奏でるように、スピーカーから流れていました。今、わたしの知る限り、病院は電話などで予約を取り、その予約日に伺い診察を受けることが主だっている状況です。

しかし、当時から、田上先生は来院者順に診察を行っいました。本当に心が辛い時に直ぐに診察を希望している人を診る、今となっては稀有な医師でした。けれど、現在はクリニックに、関わらず、病院は予約制です。

『苦しんでいる時に来て欲しいだよな〜』

過去に、先生に言われた言葉を、わたしは未だ忘れられません。病状が収まっているときも勿論診て頂けるのですが、苦しんでいる時こそ来て欲しい、現在の予約制の今ではとても考えられない言葉です。
アメとムチを上手に使用する先生で、いつだったか、昔、
『先生、わたし医療事務の資格を取りたいです!』
と言ったら、
『止めておいたほうが良いよ。医療事務はとてもハードな仕事だから、君には向いていない。資格を取りたい気力があるなら、高校に通った方が何倍も良いよ』
と、厳しい意見を頂き、診察後に、待合室で会計を待ちながら、一人悔しくて涙を流していました。けれど、時間が経つにつれ、

『…負けるもんか』

正直、学校と相性の悪いわたしは、高校に行く自信はなく、学校だけは避けたい。他に、なにか先生も賛同してくれるような資格を取るんだ!

と、意気込みました。先生は、見抜いていたのかもしれません。わたしに厳しい言葉を与えても、また立ち上がれるだけの力があると。
結局、資格の件は未遂に終わってしまいましたが。

また、これも1女子が傷つく様な言葉。暫く通院が経ってしまい母に薬をもらって来ていた頃、久しぶりに心が晴れた日にクリニックの診察に伺いました。すると、診察室の扉を開けたその時の先生の、開口一番、

『太ったねー』

に、大変乙女心を傷つけられました。心の病の処方薬は副作用で太る(食欲の増加)傾向もあり、中には服用するだけで肥る薬もあり、実際に、わたしはその薬を服用しています。とてもショックを受けました。けれど、またもやわたしの火事場の馬鹿力が発揮され、通販でウォーキングウェアの一式を買い揃え、翌朝から約40分のウォーキングを始めました。今でこそ、中背中肉の身体まで戻りましたが、やっぱり…先生はわたしならショックで立ち直れないとは思わず、逆境をバネにダイエットをするのではないか…と。悪者の役を演じて下さったのかもしれない、そう思います。
患者の精神状態を把握し、臨機応変に対応する。医師としては当たり前なのかもしれませんが、先生のムチは必ず愛が込められていた気がします。
アメの方は…語ったらノロケになりそうなので、私の胸に納めておきます。

その代わり別件でのお話をさせて下さい。
わたしの父は重度の精神疾患を抱えた障害者でした。クリニックでも飛び抜けて重症の父を、普通の医師ならとても手に負えず、入院させてしまうところを、先生は真摯に、約2年前の春まで…父が事故死で亡くなるまで見放すこと無く診て頂いていました。本当に、わたしはその時、田上先生は心の病の(正確には脳の病)名医だと確信しました。

田上先生は、今春3月を持って引退されます。もうこの先先生に診てもらえない、会えないのだと思うと淋しくて涙が溢れます。重度の障害者だった父を持つわたしには、『父親像』というものが分からなく、虚ろに生きていた実の父親に父親としての意識がなく、ずっと介護してきた身なので、一般家庭の父親ってどんな感じなんだろう?と、疑問に思っていたからです。
まだ、若くして逝ってしまった父だけど、先生は、この先わたし達家族に、これ以上の負担を掛けたくなかったかもね…と、言って下さりました。
勿論、父は自殺などする人ではありません。
「80歳までは生きたいな」
と、少し心の調子が穏やかなときに、断言していましたし。
それは実現できませんでしたが。

とにかく、田上先生に父の死を報告した時、母に、
「薬を多く出しすぎてしまったかな…」
と、申し訳無さそうに言われたそうです。

少し、しんみりしてしまいましたが、田上先生は、引退されても衰えること無く、何かしらの活動で心の病を抱える苦しんでいる方々に、寄り添って、残りの人生を満喫されるのではないかと信じて已みません。


田上先生、今迄わたし達家族がお世話になりました。
これからは、もう会えなくなってしまいますが…弱っている先生など想像も出来ませんので、どうかお元気で。

漫画の『るろうに剣心』の剣心ではありませんが、先生の目に留まる苦しんでいる人々をどうか救ってあげて下さい。
まだ、2月3月の診察も残ってますので、それまでは、まだまだ宜しくお願いします。

田上先生は、本物の名医です。


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