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鳥籠姫  act.4  

 澄み渡った空気の中、白銀の雪はやむ気配がありませんでした。街医者の診療所から、若い医者の青年と、メルトゥイユを乗せた二輪馬車は吹雪に抗うように丘を登って行きます。特別二人に会話はなく、強いて言えば、お互いの名前を交換するくらいでした。
「僕はフェリックス。街で開業医の父から引き継いで医師をしています。まだまだ経験不足ですが、苦しんでいる人たちを救いたいという熱意だけは自負しています」
 二輪馬車の手綱をしっかり握りしめ、ちらりと隣に座るメルトゥイユに目を遣ります。
「わ…わたしは…メルトゥイユ。ここから少しばかり離れた集落で暮らしています。あまり詳しい身の上はお話できませんが…」
 もじもじと身体を縮こませて遠慮がちに喋る美しい娘に、フェリックスは街では見かけないタイプの女性だと思いました。こんな悪天候の中でも医者を呼びに来る…そう思わせる人間は何者だろうかと訝りましたが、あえて口には出しませんでした。ふたりはそれくらいの会話だけで、殆ど無言でした。
 丘の上の燈灯が見えてくるとメルトゥイユは椅子から立ち上がり、眸の前方を指さしました。
「先生、あそこです!あの橙の灯りが彼の家です!」
 今にも意気込んで馬車から降りて駆け出しそうになるメルトゥイユをなんとか落ち着かせて、フェリックスは燈灯を目指して馬車を急がせました。起伏した丘を馬車でガタガタ揺られながら、やがて丘の家に到着しました。
 メルトゥイユは、急いで馬車から飛び降り、家の扉の鍵を開けると、フェリックスが後から医療道具を抱えて来たので、扉を開け中に案内しました。
「先生、怪しいと思われても仕方がないのですが、わたしは彼に合うことは出来ません。理由は訊かないで…お願いします。あと、彼の前で私の存在を…名前も明かさないで下さい」
 そうフェリックスに忠告して、少年が眠る部屋のドアを開け、メルトゥイユは、頭を下げた。フェリックスを部屋へ進ませると、メルトゥイユは両手でドアを押すように閉め、ずるずると床に座り込んでしまいました。メルトゥイユは、気持ちを落ち着かせるために少年の作業部屋に行きました。椅子に腰を下ろすと、あたりを眺めまわしました。少年のヴァイオリンが至るところに置かれています。その中で隅に隠れるように置かれた、柳の枝で編んだ鳥籠に眸が止まりました。
「…あの鳥籠は」
 メルトゥイユが鳥籠に手を伸ばしたときに、フェリックスが部屋から出てきました。
「…先生?」
 メルトゥイユは、言葉を震わせて恐る恐る訊きました。フェリックスは、額に手を当て首を左右に振りました。
「もう少し早く診察を受けていれば…。詮索はしませんが、こんなに酷くなるとは…。僕も沢山の肺結核患者を診てきましたが…恐らく今夜まででしょうね」
 メルトゥイユは、ああ!と泣き崩れました。
「わたしのせいです!私があのときでていかなければ…この柳の鳥籠に入ってずっと側にいれば…」
 フェリックスは、そっとメルトゥイユの肩に手を乗せて云いました。
「彼はあなたに…メルトゥイユというお友達に会いたがっていますよ。あなたなのでしょう?メルトゥイユさん」
 メルトゥイユは顔をあげました。

決してその友人に姿を見せてはいけない。
もし掟を破ると…

 風の精霊の言葉が、頭の中を走ります。メルトゥイユは、床につけた両手を握りしめました。メルトゥイユは、ふと、いつか少年が云った言葉を思い出しました。
『もし、きみが人間の姿になって僕にはなしかけてくれたら…』
 メルトゥイユは、立ち上がりました。そして小さく呟きました。
「あなたの願いは、どんなことでも叶えてあげます」
 メルトゥイユはドアを開けて部屋に足を踏み入れました。ベッドの少年は、フェリックスの安定剤が効き、先ほどよりもいくらか呼吸が落ち着いていました。
「メルトゥイユ…愛おしい小鳥。いつも側で歌っておくれ」
 半開きになっている窓から海の風が吹き込み、少年の言葉と重なり合います。メルトゥイユは、少年の傍らに、寄り添うと、少年の白い手のひらにそっと口づけます。
 少年は、何もかも悟ったようにメルトゥイユを見つめて微笑みます。
「帰ってきてくれてありがとう。メルトゥイユ…とても美しい姿をしていたんだね。僕が思い描いていた人間の姿と一緒だよ」
 少年は安らかな笑みを浮かべ、メルトゥイユの頬につたわる涙を拭います。
「…泣かないで。僕は笑っている君の姿のほうが好きだ。きっと、とても美しい笑みなんだろうなぁ…」
 そう夢想をしながら、少年はメルトゥイユを見つめたまま、ゆっくりと眸を閉じました。

 少年が永遠の旅へと逝ったあと、海の見える丘には鳥籠姫と呼ばれる美しい娘が、少年の思い出に閉じ籠もっているという話です。
 今でも現れる、海からの風が運んだ、どこにもいない幻と…

おわり

《ふありの書斎より…》
ここまでのご拝読、ありがとうございました。この作品は十代のときのわたしの処女作です。こうして、再び再編集をしながらメルトゥイユと少年に再会できて嬉しいです。
この場をお借りして、作品に関わって下さったすべての皆様に感謝いたします。
ありがとうございました。

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