見出し画像

鳥籠姫 act.1


いとおしい小鳥
きみはぼくだけの
いつもそばで歌っておくれ

あなたの願いはどんなことでもかなえてあげたかったの

だけど願いだけここに残してあなたは消えた

永遠の旅へと

海の見える丘の家に

時間だけが静かに積もる

わたしはわたしを ここに閉じこめた

柳の枝で編んだ鳥籠


 ある海の見える丘に、一軒の小さな家が建っていました。広々とした丘にぽつんと建つ姿は物寂しく、海から流れてくる風だけが丘の家を吹き続けています。全く人気のない古びた家でしたが、不思議なことにその家には鳥籠姫という美しい娘が今も住んでいるとか。
 街の人々は誰も鳥籠姫の姿を見たことがないと云いますが、唯一、年老いた医師だけが娘の姿を見たと云います。年老いた医師は、鳥籠姫の事を訊かれる度に何度も語るのでした。
『あんなに美しい娘は見たことがない』
と。
 そんな老医師の言葉に誘われて、興味本位で街の者がひとめ、鳥籠姫を見ようと丘を登って行きました。しかし家はドアも窓のカーテンも全て閉ざされてしまって、結局、老医師以外誰も鳥籠姫の姿を見たものはいないのでした。

 昔、丘の家には貧しいヴァイオリン職人の少年が暮らしていました。少年は、父親も母親もいない孤児でした。
 ヴァイオリン職人ではあるものの、子供の造ったヴァイオリンは人々に認めてもらえず、少年の生活は豊かではありません。毎日の食事がスープと麺包《パン》だけの日が幾度あっても、少年はいつか自分のヴァイオリンが世間に認められるのを夢に頑張っていました。丘の家の燈火は、真夜中、梟たちが啼く時刻になっても灯っていました。作業部屋では、少年が楓の厚板を丹念に削る音が響いています。
 彫刻刀で、ゆるやかな彫りをしていると、ポタッと一粒の雫がこぼれ落ちました。
 涙です。思わず、今は居ない両親を思い出してしまったからです。涙の雫は製作中の楓の厚板に薄い染みをつくり、少年は彫刻刀を机に置いて両手で顔を覆いました。その夜は、其限《それきり》彫刻刀の音は聞こえず、少年の泣き声だけが、開け放たれた窓から流れ込む風と重なり合っていました。
そんな少年の姿を窓枠の陰から1羽の小鳥が見つめていました。
(なんて可哀想な子なのかしら。独りきりで寂しい思いをしているのね)
 小鳥は石墨色の夜空を小さな羽で飛びながら何とか少年の孤独を和らげないかと考えました。明けの明星が輝く頃に良い案が思いついて、再び窓枠に座って少年に声をかけました。少年はベッドの中で、小さな寝息を立てています。
「眠っているのね。それじゃあもう少ししたらわたしが起こしてあげますね」
 小鳥はそっと窓から離れていきました。真っ白な朝露の中を飛び回ると、海から吹く新鮮な風に乗って美しいオリーブの羽が靡きます。まだ、誰もいない空は自分だけのものでした。
 朝陽が丘の地平線から昇り、緑の丘を淡い橙に染めていきます。
 小鳥はゆっくりと降下して窓枠に座り直しました。
「起きてください。朝ですよ。朝ですよ。」
 もちろん自分の声が人間に分からない事は知っていましたので、小鳥は少年が気づいてくれるまで、何度も呼びかけました。チリリ、チリリと澄んだ啼き声に、少年は目覚めました。真夜中の涙のせいで瞼が重いのを我慢して擦ると、ふと、窓枠に美しい小鳥が留まっているのに気づきました。オリーブの羽が朝陽を浴びてキラキラ輝き、細円い眸がこちらを見つめています。少年はそっと掌をを差し出しました。すると小鳥は、軽やかに飛び移ってきました。そしてまた、チリリ、チリリと可愛い啼き声をあげました。
「わたしがあなたのお友達になってあげます。だからもう泣かないでください」
 小鳥はそう云っているのです。少年には解りませんでしたが、小鳥が側で飛び回っているのを見て自分に好意を持ってくれているのだと思いました。
 それからというもの、小鳥は毎朝訪れるようになり、少年との仲を深めていきました。ある日、小鳥がいつも通り窓枠に座っていますと、少年が云いました。
「今日はきみに名前をつけてあげるよ。僕は昨夜ずっときみの為に名前を考えていたんだ。これからは『小鳥さん』じゃなくて、『メルトゥイユ』と呼んであげるからね」
 小鳥は大喜びして、少年に感謝のお礼を云いました。
「ありがとうございます!…メルトゥイユ…なんて素敵な名前なのでしょう!」
 その日から少年は小鳥を呼ぶのに、愛しいメルトゥイユと云ってくれます。メルトゥイユは優しい少年のために歌を歌います。すると今度は、少年がヴァイオリンで伴奏します。少年とのメルトゥイユの音楽は家中を賑やかにしてくれます。
 少年はもう泣くことはありませんでしたが、ただ一言だけ悲しそうに云うのでした。
「…もしきみが人間の姿になって僕に話しかけてくれたら…」
 メルトゥイユは、やはりまだ少年の心に淋しさが残っているのだと、心を痛めました。メルトゥイユは申し訳無さそうに啼くのでした。
「ごめんなさい。それだけは出来ないわ。本当はあなたのために何でもしてあげたいけど、わたしは鳥だからあなたの側で歌ってあげることしか出来ないの」
 少年と会話できない分、メルトゥイユは一生懸命心を込めて歌います。
 メルトゥイユの歌声は大変美しく、少年は清々しい気分でヴァイオリンを造っていきました。今までは室内で手掛けていましたが、メルトゥイユの事を考えて、家の外に丸木机と椅子を造り、そこで作業していくことにしました。歌を聴きながら海の風を浴びてヴァイオリンは、今まで以上にすばらしい出来具合になっていくのでした。メルトゥイユも満足でした。大好きな少年の傍らで、歌い、大空を舞えるのですから。
 少年もメルトゥイユも幸せでしたが、夕方、メルトゥイユが東の森に帰って行くときだけは、今まで以上に悲しくなりました。メルトゥイユもまた少年を一人残して帰っていくのは心許なかったからです。
「早く明日になりますように」
 少年はメルトゥイユがいない時間はとても孤独でした。そして何とかずっと一緒に居ることは出来ないかと考えてみました。
「そうだ鳥籠だ!籠を置いてみよう。メルトゥイユは僕の言葉は解らないけど、鳥籠を置いておけば僕の気持ちを解ってくれるかもしれない」

act.2へ続く


 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?