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喜びで対価を得ていいんだという体験|ゆめのき学園のザツダン #2


ゆめのき学園代表、羽賀まきこへの月1インタビュー。今回は10月にリニューアルしたイロトリドリのコンテンツのお話から。

聞き手:横田孝優(ザツダン

羽賀
イロトリドリが4年目に入っています。イロトリドリには「コンテンツ」という時間があるんですけど、いろんな体験ができるように外部講師に来てもらったりとか、職員や子どもたちから生み出されることなど、日々いろんな活動を入れています。

そのコンテンツのやり方を今年の10月から大きく変えたんです。 それは元々理想としていた形に一歩近づく選択でしたが、ちょっと勇気が必要でした。

コンテンツには実は秘密がありまして。イロトリドリを作った当初から、月曜日はお料理とか、火曜日は英語とかっていう形には、あんまりしたくなかったんです。でも、以前はそういう構成でした。

それは、保護者にイロトリドリを選んでもらうためです。

お金を払ってくださるのは保護者なので、保護者の立場から「これいいね」というイメージが湧かないと、お客さまに来ていただけないという恐怖のようなものがあったんです。

私にとって、このイロトリドリって、ある意味でやりたいことの本命みたいなところがあります。本命って怖いんですよね。失敗したり、断られたりすると。

ずっと「傷つきたくない」みたいな思いがあったんだよなっていうのを、ここ最近思っていました。だから半分納得したふりして、コンテンツを出していたんです。

そしてやっぱり問い合わせで来るのが「このコンテンツいいですね」とか、「こういういろんなことがやれていいですね」っていう大人の反応です。ますます引けなくなってきました。

でも、日々の子どもの様子を見ると、発達の仕方、成長の仕方に合っていないなという葛藤があって、どうにか子どもたちに合うように、コンテンツの伝え方を工夫してやってきた3年間だったんです。

そして、今どう変えたかというと、縦割りを横割りにしました。今までは月曜日・火曜日・水曜日と、時間軸を縦割りで作っていたんです。

それを今、横軸でコンテンツを構成し直しています。これは本来の子どもの発達・成長・学びにすごく合ったやり方なんです。

子どもの特徴として、何にでも興味を持って飛びついてやってくれるけど、忘れっぽくて継続性が弱いんですよね。なので「今日楽しかった」が来週まで持つことってまず難しい。

習い事でイメージしていただくと わかりやすいんですけど、毎回復習から始めますよね。「前の週って何したっけ」から始めないと、子どもってスタートができないですよ。脳も心も。

でも例えば月曜日に木工をやったとして、子どもからは「まだやりたかったのに」という声が出てきたりとか、やり始めてからアイディアが湧いてきて「次の日も続きもやりたい」となりがちですよね。

これは幼児期からあることで、だから、レゴブロックを壊さないで残しておくとか、お家でもあると思うんです。 でも子どもって3日くらいすると、そのブームが1回消えるんですよ。続くのは、長くても1週間。

またそこから3週間後とか、長いと3ヶ月後ぐらいにブームが再熱するっていうのが、子どもの思考の癖というか、動きなんです。

そろばんやピアノでもよく言われますけど、 毎週定期的に1時間やるより、毎日10分でもいいから3日連続でやるとかの方が、よっぽど効果があるんですよ。それは子どもの発達に合っているからなんなんですけど。

イロトリドリも子どものキラキラした「あーこれやりたい今!」っていう興味や関心、その「一番やりたい」っていう時が風船がパンパンに膨らんだ状態だとすると、「じゃあこれ続きは来週やろうね」って言っても、もはや来週になると、風船はほとんどしぼんじゃう

好奇心、やりたい時のパワーって、一番伸びゆくというか、可能性が花開くので、 そこに合わせたコンテンツの持ってき方をずっとやりたかったんです。

今回のリニューアルで理想に一歩近づいたと思っています。

子どもたちの実際の様子を見て、 またイロトリドリのコンテンツは変化していくと思うんですけど、次なる展望も今ありまして…。

横田
はいはい。

羽賀
イロトリドリは、地域の方にすごく温かくしていただいていると思います。例えば、近くにお住まいの方が「もう使わないから」って言って、ものすごい量の画材をくださったり。

ハロウィンには、子どもたちがご挨拶回りで急に伺ったんです。大人抜きで。でも、逆にお菓子もらってきたり。

先日、イロトリドリに登所する子どもが、お買い物に行かれるご近所の方とすれ違った時に、お互いにアイコンタクトして、「いってらっしゃい」みたいな感じで2人で手を振り合ってた様子を見て、ほのぼのとした気持ちになりました。

地域に愛される場所になりたいし、子どもたちにとっても、小さい時からどれだけいろんな背景を持った大人に会えたかって、人生を豊かにすると思うんです。

だから今、私たちが計画しているのが、地域とともにコンテンツがあるイロトリドリです。

移転で忙しかったり、いろんなことがやりたくなっちゃって、リソースをうまく使いこなせていないところがあったんですけど、「私たちは地域で一緒に生活していく中での学びが一番大事だよね」とスタッフと確認して、依頼カードの復活を決めました。

横田
依頼カードとは何ですか?

羽賀
私が学童のスタッフの時からずっと使っているものなんですが、依頼カードには、人にお願いしたいことが書けるんです。

ただ、それはあくまで依頼なので、 やってくれる人が見つかるかはわからない。もしマッチングがうまくいけばお願いができます。

例えば、イロトリドリの中で使いにくい収納があった時に、「この収納の場所で使いやすく作ってくれませんか。作ってくれた方には、お礼としてイロトリドリ紙幣を何枚分差し上げます」みたいな感じで、お礼をちゃんと渡すんですよ。イロトリドリの中で使われてる紙幣ですね。

そしてこれはイロトリドリにいる子どもとスタッフだけの関係じゃなくて、保護者も依頼することができます。例えば、私、今度やるんですけど、「玉ねぎの皮を迎えに来るまでにむいておいててください」っていう依頼をしてやってもらえたら、夕飯作りが楽じゃないですか

そして今まではイロトリドリの中だけでこの紙幣が回ってたんですけど、例えば20枚で100円みたいに、本物のお金に交換できる仕組みを作ろうと思っています。

外でも使えるお金に変わると、近くのお店に買い物に行ける日とか、カフェで使えるとか、地域の経済を巻き込んでいけるんじゃないかと思います。

そして、その依頼カードの仕組みをイロトリドリの過ごし方の中に溶け込ませることもできます。ご近所の方々にも依頼カードとイロトリドリ紙幣をお配りするんです。何かお困り事があった時に、子どもたちが外の方のお役に立てる仕組みができたら、すごくいいなと思っています。

横田
いいですね。「子ども何でも屋さん」みたいな。

羽賀
そうそう。だから、コンテンツのあり方をどうしていくかなんですけど、 外部から魅力的なことがしてくれる人が来るよ、みたいな日があってもいいと思ってるんですけど、活動がパツンパツンと切れないようにしたいんです。

「コンテンツ」という呼び名は、近い将来なくなるかもしれないですね。というか、なくなりそうですね。

横田
「仕事とは何か」みたいな話を子どもとすることが家でもあります。「何かやるから、お小遣いちょうだい」みたいなやり取りになるじゃないですか。

それが成立するのって、得意なことができた方がいいよねっていうのはあるんだけど、例え自分が得意でもやってほしい人がいなければ、お金を払ってやってもらうっていう形にはならないんですよね。

やってほしい人がいて、自分がそれをできて、得意だといいかもしれないけど、苦なくできる。大変だったり、嫌だったりすると、「仕事=辛いもの」になっちゃうけど、他の人ほど苦労せずにできるものだと一番良い関係だよね、みたいな話をすることがあります。

まさにこの仕組みは、仕事のあり方ですよね。やってほしい人がいて、自分ならできるよとなって、 お金とやってあげることの交換が生まれる。

羽賀
とても共感できます。依頼カードで来るお仕事も、 ただやればいいわけじゃないんです。やっぱり満足いく結果にならなければ、お支払いはできない。それが、本当に相手が望むことって何かなっていう想像する力と、喜びで対価を得ることですね。

喜びで対価を得ていいんだという体験を子どもの時からすることって、大きくなってからの仕事に対するイメージに直結すると思います。

私も「仕事に行きたくないな」みたいな時はあるんですよ。すごい緊張するものが待ち受けているとか、自分の準備が悪いとか、あと天候が単純に悪いとか。

でも、すごく恵まれていたのが、仕事に行く感覚が結構薄いんです、昔から。アルバイト時代からなんですけど、 行きたくて楽しくてやった結果、気がついたら銀行口座にアルバイト料とかお給料いただいているっていう感覚が若い時からありました。

すごくラッキーなことだなと思ったんですよね。楽しくやってて、お金までいただけるって。

でも、お会いする多くの大人が、好きなことを仕事にしていない

言い方を間違えるとすごい誤解を招くんですけど、 私は小さい時から夢見た仕事に就くことがたまたまできたので、 世界を知らなくて、それが通常だと思い込んでいたんですよ。

でも周りを見ると、本当はやりたくないけどっていう仕事を一生懸命してる大人が多かった

20代の半ばに初めて知ってびっくりしました。自分の得意なこととか好きなことを仕事にするものだっていう先入観をすごく持っていて、やりたくないことを仕事にする人ってすごいなって思ったんですよ。

大変ですよね。やりたくないけど、ちゃんと毎日仕事に行くって。私はどちらかというとワクワクのエネルギーで行っているから。

自分がやったことで相手が笑顔になって仕事が成立した時に、それでお金が生み出せるんだと小さい時から体感できたなら、働くことにネガティブな感情って湧きにくくなるのかな。

それは私の中で副産物というか、横田さんからの話で思いましたね。

横田
以前も羽賀さんとそんな話をしたような記憶がありますけど、世の中の大人の大半は、我慢するとか、嫌なことを請け負う対価としてお金をもらって、それが仕事だっていう、そういう仕事観の人って少なくないと思いますけどね。

羽賀
そうみたいですね。 言葉のイメージ、特に親の言葉のイメージって、潜在的に子どもたちに積もっていくんです。特に娘は私の影響を受けやすくて、働くことがとっても楽しそうだと思っているみたいです。

例えば、私が娘に「今日イロトリドリ楽しかった?」って聞くと、「今日こうしたよ。ああしたよ。どこどこ行ったよ」ってエピソードを話してくれるんですけど、娘も同じように「ママ、今日お仕事楽しかった?」って聞いてくれるんですよ。「なんか大変だった?」って言われたこと、一度もないです

そうすると、「大人になったらこうしたい、ああしたい」みたいなことがポジティブに出てきますね。

例えば、子どもが水を出しっぱなしにしていると、「パパがすごい大変な思いをしてお仕事してきてくれたお金で払ってるから大事にしようね」って言うじゃないですか。ちょっと疑問に思っていたんです。

「大変な思いをして働いて得たお金だから大事にしようね」って、 私の中にはない感覚なんです。

ちなみに、私は子どもたちにどう伝えるかというと、「ママがお仕事をしたら喜んでくれる人がいっぱいいて、“こんなに人を喜ばせてくれてありがとう”って会社からお金をもらっているから、 このお金は、嬉しいこと・楽しいことを優先して、みんなで大事に使おうね」ってちっちゃい頃から話しています。

「人が喜んでくれるって嬉しいな」という気持ちが子どもたちにも生まれたらいいし、何よりも、人と関わる喜びや、知らない人と喋る時のいい意味の緊張感とか、 そういうものも、子どもたちには体験してほしいなと思うんです。

横田
そうですよね。どうして多くの大人たちがネガティブな仕事観になっちゃうのかなって思いますよね。

羽賀
なんだろうな。

横田
ちっちゃい子って「将来何になりたい」みたいなことだと、やりたいことを言うじゃないですか サッカー選手になりたいとか、お花屋さんになりたいとか。そう、サッカー好きだったりとか、お花が好きだからそう言いますよね。

でもどこかで、嫌なことを我慢するからお金がもらえる、みたいな仕事観にすり変わっちゃう

羽賀
私は、そこに対して1個だけ見えている答えがあるんです。

日本人って得意なこととか好きなこととかを、「大きくなったら何になりたい」ってすぐ大人が職業に結びつけるんですよ。でも、ちっちゃい時になりたい職業って影響を受けているものが少なすぎるんですよね。

野球選手、学校の先生、幼稚園の先生、お花屋さん、ケーキ屋さん。なんでそうなるかっていうと、自分で体験した世界が狭いからじゃないですか。

例えば絵が好きだから「じゃあ将来は芸術家だね」とか、英語が楽しいってやり始めると「将来は留学するか」みたいに、大人がすぐに将来に直結させたがるけど、その時点でまだ世界観が狭いわけです。

でも、その時に描いていた職業につける人って、一握りじゃないですか。

ヨーロッパとか、アメリカとかだと、「おっきくなったらどんな人になりたい?」っていう質問するそうです。とってもいいなと思う。

「絵が好き」っていうのも、絵そのものが好きなのか、色を扱うことが好きなのか、集中してやることが好きなのか、色々あると思うんですよ。

野球でも言えますね。チームで何かをするのが好きなのか、単純に野球っていう世界観が好きなのか、 コツコツと練習をしてうまくなっていくことを積み重ねるのが好きなのか。

横田
うんうん。

羽賀
何が好きでそうなのかを落とし込める質問が意外とされてない。

それに気づいたのが幼稚園教諭時代で、 魅力的な先生がいっぱいいたんですけど、その幼稚園教諭になる人たちも、得意なことと好きなことが全然違うんですよ。

私はピアノが全く弾けなくて、同期はピアニストみたいに上手に弾けた。

だったらピアノの当番は順番じゃなくて、ずっとその子に弾いててほしかったんですよ。

一方で、子どもたちを引きつけて話をするのが本当に苦手な同期もいた。でも私はどっちかっていうとそれは得意だったんです。

交換した方がいいじゃないですか。でもなぜか平等という名のもとに、順番で回ってくる。それにすごい疑問を持っていました。

そして「幼稚園の先生になる」って言っても、何が好きでこの世界に入ったかはそれぞれなんだなとも思いました。

だから、その先生の魅力が死ぬ仕組みがもったいないなと感じていましたね。それで離職する人もいたので。

ちっちゃい時に好きなことって、その環境を充実させていくことが大事なので、その時点で将来の仕事に結びつける質問ってやめた方がいいと思っています。

単純に野球が好きだっただけなのに、イコール野球選手みたいな答え出されちゃうから、「結局その仕事になれなかった」みたいな、挑戦もしてないのに挫折の経験を得るみたいな、もったいないことが起きている気がするんです。

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