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KANさんの訃報によせて

KANさんが亡くなった。

11月3日、彼の過去の作品がサブスク解禁になった時、悪い予感がよぎった。
10月に彼はフランス旅行に行って、無事帰ってきた。

もしかして、と思ったが、正常性バイアスが働いた。まさかKANさんがこのままいなくなってしまうわけがない。
公式サイトで彼が書いたように、「いつかこのことをサラッと洒落にして」復帰するのが当たり前だと思っていた。

ジョークを交えつつも、生きてステージに帰ってこられたことを観客に「ご心配おかけしました」なんて告げてピアノに向かい、ひとしきり珠玉の演奏をお見舞いして

「ありがとうございました、KANでした!」

といつもの挨拶で締めて舞台上手にはけていく、そこまでイメージできていた。

事態は悪い予感の方に転がってしまった。

彼の最後のツイートは、ビートルズの新曲の感想だった。何でも彼なりのオシャレな表現で伝えてくれる人が、「言葉にできない」と言った。
相当つらかったのか、それともビートルズがすごすぎたのか。

彼の音楽の原点は嫌々習っていたピアノだが、その次にはビートルズのコピーバンドがあった。
中学生とは思えぬクオリティのそのバンド名は、「ミートルズ」だったという。

彼が最も影響を受けたアーティストであるビリージョエルは来年日本でコンサートを予定している。
その報せを受けてテンション上がっていたKANさん。
リプライにはファンの方々の「KANちゃんチケット取れるといいね」「体調も戻って見られるといいね」という言葉がならんだ。

残念ながら叶わなくなってしまった。

私のKANさんとの出会いは、やはり「愛は勝つ」だった。テレビで流れる軽快かつ力強いピアノサウンドと、高らかに歌う率直なメッセージが心に引っかかった。
何気なく、近所のCDレンタル屋で彼のアルバムを借りた。
「野球選手が夢だった。」だ。

タイトルが文章になっていて、句点まで付いているのも気に入った。
今でこそ、文章になっているタイトルなど珍しくないが、とても新鮮だった。

そのアルバムの中に入っていた曲が、どうしようもないくらい好きになってしまった。
「けやき通りが色づく頃」
いつかこの曲を弾き語りたいと思った。
もちろんCDも改めて書い直した。

その後に発表されたアルバム「ゆっくり風呂につかりたい」に入っていた名曲、「永遠」は、私の忘れられない恋の思い出そのものの曲になった。

人生で初めて自分でチケットを取ってコンサートに行ったのもKANさんだった。
「NO-NO-YES MAN」から怒涛のエンターテイメントショー(演劇?)に展開していく様に衝撃を受けたし、アンコールの最後にピアノの上から一本のライトで照らされて歌い上げる「永遠」に胸を打たれた。

ラジオ「45RPM」を毎週録音して、アルバム「TOKYO MAN」が発売される頃にはほぼ全曲をカセットテープに録音できていた。
私はそれを聴きながら、家から遠く離れた学校の受験に新幹線にひとり乗ったことを覚えている。
心細かったけれど、KANさんがいたから大丈夫だった。

ラジオといえば北海道でのKANさんは長年パーソナリティとしてお馴染みだった。
私は冬の夜ベランダに出て、大きなラジカセの片側を持ち上げてむりやり北海道のAMの電波をつかまえて「アタックヤング」を聞いたこともあった。「イマジン」「空きっ腹に団子」という名コーナーも噂では耳にしていたが、しっかり自分の耳で聞くことができた。

やがて10代も後半に入り、私は渋谷系ポップ/ロックシーンにずっぽりハマったが、CDの棚からKANさんの作品が消えることはなかった。
新譜が出れば追いかけていたし、
「フランス人になりたい」という夢を叶えるためにフランスに行ってしまった時もKANさんらしいなと見送っていた。

いつしか私は結婚をし、母になり、ライブからは少し遠ざかってしまった。
最後に彼の演奏を生で聴いたのは2010年となってしまった。
コロナ禍の中、「弾き語りばったり」を配信で見た。
彼がピアノを弾く手元を、上部のカメラでずっととらえているという画面構成。
彼の手は少し「おじさん」になったが、盤上をめくるめくスピードで駆け回ったり、力強く叩いたり、とても美しいと思ったのを覚えている。

私は熱心なファンからしてみればやや不良ファンかもしれないが、彼の音楽にずっと寄り添ってもらったという感謝は間違いなく持っている。
そして、熱心なファンの方々も、きっとそれを咎めたりすることはないだろうという安心感を持っている。
「愛は勝つの一発屋」でないことを知っている、そのことが身内感のようなものを醸成しているのかもしれない。

彼を尊敬するアーティストがたくさんいることも、また私たちの胸を熱くする。
彼が音楽家として、たくさんの人たちと仕事をしてきた結果が、この日本に、世界に、たくさん残っている。
そしてそれを聴く私たちもまた、ある時は泣きながら、ある時はフフッと笑いながら、日々を生きるだろう。

きっとまた日本は艱難辛苦に直面する時がくる。もちろんできれば来ないに越したことはないのだが。
その時、どこかで誰かがラジオに「愛は勝つ」をリクエストしたり、iPhoneで流してくちずさんだり、アーティスト達が集まって大きな声で「しーんぱーいないからねー!」と観客と一体になって歌うこともあるだろう。

そこにもうKANさんはいないけれど、多くの人がピアノの前に座り左足を大きく客席側に向けて右足でペダルを踏み鍵盤を力強く叩く彼の姿を思うだろう。

アメフトの衣装か、警官か、サンバか、武者なのか、それとも新たな何らかの扮装をして。
天使になったKANさんは、ap bank fesあたりのステージでこっそり落武者のコスプレでもしてサラッとコーラスに加わってるんじゃないかな。

ひととおり泣き終わった私は、改めて彼の楽曲をよーく聴き直している。
遺伝子に刻まれるほど聴いてきたのに、まだ新しい発見がある。聴く自分が変わったということもあるのかもしれない。
多分早晩私はとうとう夢を叶えるために、電子ピアノを買うだろう。大丈夫、弾き語りスコアは何冊も買ってある。

新曲が聴きたいです。
看護師さんに恋しちゃった青年の切なくてポップなラブソングなんてどうですか。
還暦を過ぎて旅したフランスの話も駄洒落まじりの歌で聞きたかった。CAさんに見惚れて「君」に怒られててほしい。
「めずらしい人生2」も聴きたかった。
「ガラスの70代」とかも聴きたかった。

後年の名曲、「エキストラ」であなたが綴った言葉を、あなたにお返しします。

「大好きです
 好きです」

61年間、おつかれさまでした。
36年間、ありがとうございました。
あなたのいる場所があったかくてやわらかくてきもちいい、ひざまくらのようなところでありますように。

(画像には「プロポーズ」の公園のイメージのものを使用させていただきました。)

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