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自分の好きなことは話せるなら話したい。

でも、
話しすぎてひかれないかな?
自分より詳しい人がいたらどうしよう?
ちゃんと伝わるかな?
とか考えたら余計話しづらくなる。

このあいだ、高知に行った。子どもの頃からよく遊びに行っていて、自分のなかではふるさとのようなもののひとつだ。

太陽に照らされる広大な太平洋

旅行に行くたび、その土地に明るい友だちがいろんな場所を紹介してくれる。うれしいことはうれしいけれど、自分には何もないことを痛感するからなんとも言えない気持ちになる。

そんな葛藤を抱きつつ飛行機に乗る。心の中では高知のあれこれを紹介したいな!と思いながら。

今回も例のごとく大所帯。そして、みんな思い思いに旅行を楽しんでいる。

ふと、
「今のままでも楽しいけれど、もう少し何かを足したらもっと楽しくなるんじゃないかな?」
という気持ちになった。

最初はこっそりと。ひろめ市場の買い出しでどろめ(太刀魚の幼魚)や土佐巻を入れてみた。

これはハランボ。カツオの大トロ。

そしたら楽しくなってしまって。
迷惑かな?という気持ちはいつの間にかなくなって、みんながもっと喜ぶかなと思って、

日曜市で文旦やらフルーツトマトやらを買い込み

この雰囲気は他にはたとえがたい

鳴無神社に行ったり

はい、ひょっこりはん!

してみた。

そしたらみんな喜んでくれて。そりゃ当然なのかもしれないけれど。考えすぎだったみたいです。

仁淀ブルー
ジブリのような世界



人と関わることで一番大事なのは、何かを共有し合うということなんだと思った。それが好き、という気持ちに一番近いものなんだろう。
今までは何ごとももらってばかりだという気持ちだったから、グループの中にいるにもかかわらず、孤独を感じていたようだ。

けれども、今回「あげる」という経験を実感することができた。そこに孤独という気持ちも、無理をしているという気持ちもなかった。だからだろうか、みんなの写真を撮るのが今までで一番楽しかった。
そしてそれは「いまを生きる」ことを意識できた証左なのだろうと思う。


「シェアハピしよ!」というのが好きな仲間がいる。

それに対して、自分からあげられるものは大したものじゃないと感じていたから、それに値するものなんかないよと思っていた。

でも今回、自分にもそれがあることがわかった。自分が持っているものがなんだかいいものに見えたから、自分の外側ばかり見て落ち込む必要もないんだろうなと思えた。

それから、何かを共有するためにはスペースが必要なんだということもわかった。それは時間のゆとりであり、頭のゆとりであり、心のゆとりであり。それはすなわち「余白」なのだろう、と。

そのためには「積み減らす」ことが必要なんだと思う。自分の外側を見て、あれも足りない、これも足りないと言っているうちは余白ができない。

少しずつ、肩の荷物を下ろしていこうと思う。

これからも、どこかでつながると思えるから。

誰かが言ってたな。
「人生を楽しむコツは童心を忘れないことだ」
って。

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