見出し画像

原爆祈念日なので、被爆二世としての思いを書いてみる

広島市出身で被爆二世な私が、昨日の「原爆祈念日」を使ったら通して思ったことを書き綴ってみます。
※写真は2008年の灯籠流しの風景。
※個人的に「祈念日」と思いたいので、こう記しています。

広島原爆祈念日とは

いつものごとく、最初に調べてみましょう。
簡単に言うと、「広島市上空に世界初の原子爆弾が投下され、甚大な被害を及ぼされた日」です。日本人ですから、「及ぼされた」と書きます。
私たちは小学生の頃から、授業の一環として「原爆」と「その被害」を扱ったものを教えられました。
夏休み中に班活動で壁新聞を作るのも、夏休みの宿題の一つでした。
そんな中、リアルな被爆者から十分な聞き取りが出来た最後の世代ではないでしょうか。
さて、1945年8月6日午前8時15分、広島市上空でアメリカが開発した新型爆弾「原子爆弾」が炸裂しました。
爆弾には「リトルボーイ」という名前がついていました。名前の由来は調べたんですがわかりませんでした。リトルボーイについての解説は、Wikipediaでどうぞ。構造は「ガンバレル型」と呼ばれる構造で、最近は使われていないとのこと。世の中が小型化を望んだ結果ですね。
瞬間的に人口の50%程度が死亡しと言われていますが、正確にはわからないですよね。広島市のホームページにも記載があります。
2018年8月6日現在、原爆死没者名簿に記載されている人数は30万8,725名です。うちの家族も掲載されています。

原爆投下の是非は・・・

様々な視点から原爆投下への評価は分かれます。
そりゃそうですよね。立場があり、価値観があり、視点の違いがあります。
投下したことにより日本を敗戦へと導き、多くの戦士の命を救った
という考え方も、間違いと言い切れないですし、
非戦闘員である民間人を大量虐殺した
というのも間違ってないですし・・・
ですので、個人的にはそのあたりよりも、
人類は手にしてしまった力を今後どうするのか
という問いかけに使ってほしいと思っています。

戦争を非合法なものにしないといけない

簡単なんですよね。戦争を非合法にしてしまえば良い。それで違法になる。
守るも守らないも人間次第
結局、人次第ということに思考が落ち着いちゃうんですよね。

では原子力は悪なのか

善になるも悪になるも使い方次第。これも人次第なんですよね。
ただ、使い方が「人殺し」を前提として作られた物は、悪だと思うんですよね。だから、原子爆弾はダメです。

平和が続くということとは

結局のところ、戦争が起きていない状態なんですよね。
戦争とは武力によって戦いが発生している状態と解釈しています。
経済戦争とよばれたりしている事は、戦争と考えてません。競争と考えています。
きれい事では済まされないのが世の常なんですが、原爆に関してだけは言えます。「悪」です。

昭和20年8月6日、静かな黙祷と共に、世界が平和でありますように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?