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どう生きるか。

私は清水萌恵です。職業は鍼灸師です。私が今回発表する事を決めた理由は、みんなに生き方について考えてもらうきっかけになればいいなと思ったからです。


①『 超自己紹介』

 私は中学生の時に、体育の先生に憧れて中高の体育教員を目指していました。中学生の頃に憧れたその先生は、運動が苦手な人でもどうしたら楽しめるのかを考える方でした。私もその先生のような教師になり、スポーツが苦手でも楽しいと思ってもらえるように指導し、生涯楽しめて健康になれるスポーツに出会えるようにしたいと思いました。


 高校に進学し、バスケットボール部に所属しました。その時の顧問の先生は、テーピングを巻けばなんでも治る、強いチームと同じ内容の練習をすれば強くなると考える先生でした。テーピングの技術はすごいけど何か違う、練習メニューも試合のどの場面で使うのか伝わらない。何のための練習なのだろうと考えるようになりました。その顧問の先生を絶対に超えてやるという想いを持ちました。
 鍼灸に興味を持ったのもこの頃です。部活動でアキレス腱を痛めた時、整形外科を受診しましたが湿布を処方されるだけでした。湿布では治らなかった為、他の治療法を探しました。部活の先輩が鍼灸院に通っている事を聞き、自分も鍼灸院を訪れました。鍼灸の治療は効果覿面(てきめん)でした。整形外科、テーピング以外にも治療方法があるのだという事を知り、鍼灸に興味を持ちました。


 大学は、保健体育の教員と鍼灸師になれるところに進学しました。4回生の時に、教育実習で中学校と高校へ行きました。教師として生徒と関わるのではなくお姉さんという立場で生徒に寄り添った授業をやりたかったのですが、教員の評価ばかりを気にしていました。落ち込んでいた私を見て、裕孝さんが「誰のための授業なん?先生のためじゃないやろ?」と言ってくれました。その言葉で吹っ切れました。その後は、生徒の喜びが私の喜びになりました。就職活動では教師になる事を目指しましたが条件の合うところが見つからず、母が「鍼灸師にも目を向けてみたら?」と言ってくれたので、鍼灸整骨院で鍼灸師として働く事となりました。


 就職した鍼灸整骨院は、トレーナー、訪問鍼灸、全身治療のできる院でした。訪問鍼灸、院内での治療など、様々な経験を積めると思いましたが、院長は、自己啓発を都合よく絡めて正しい事の様に仕事を押し付けてきたり、私を指名してくれた患者さんを横取りしたり、自分のお金のことばかりを考えていました。その結果、平日の生活が仕事、帰宅、ご飯、お風呂、寝るの毎日になりました。毎日何が楽しいのかな?と感じるようになりました。おばあちゃんになるまでこんな毎日を送って何が残るのだろう?と思っていました。職場に対する信頼が無くなり、仕事へのやりがいが分からなくなったので退職しました。退職後は、訪問鍼灸に魅力を感じ、そのような会社に就職しました。患者さんだけでなくご家族の方も一緒に喜ばれるのでやりがいを感じていましたが、この社長も自分のお金のことばかりを考えていました。


 時は前後しますが、裕孝さんから2018年にプロポーズをしてもらい、その年に結納をして、2019年に結婚式を挙げました。年は10個離れていますが、年の差に関係なく裕孝さんのことが好きです。幸せが続くと感じていた時に私の母に癌が見つかり闘病することになりました。孫を抱かせてあげられるのか、まだ親孝行らしいこともできていない、体調を崩していた時に症状にあった病院に早く受診させてあげられていたらと後悔や不安がありましたが、しっかり支えてあげて絶対に孫を抱かせてあげようと思いました。2020年2月28日、母が一時退院している時に達真が産まれました。長い闘病生活を経て去年の10月に退院しました。その後、再発が見つかり12月に母が亡くなりました。しかし、家族と一緒に過ごしたいという希望を叶えてあげられました。母に好きな人と結婚して幸せになった姿と孫を見せてあげられて良かったです。通夜の時に、400人以上の方が焼香をあげに来てくださいました。母は、たくさんの人から大切にされていて、愛されていたのだと思います。通夜や葬儀の時に父の職場の人たちが受付や警備にあたってくれました。母が父の事を支えていたからこそ、父は仕事に専念でき、職場の方達との親密な関係を築けていたのだと思います。私はそんな両親の娘で良かったです。そして、そんな夫婦になりたいと思います。生前、母から「鍼灸師の仕事は萌恵に合っていると思う」と言われました。これからは、そばで喜んでくれるように頑張りたいと思います。


 仕事は現在育休中です。まだ幼い達真の世話に加え、コロナの影響もあり、外へ出ることがほとんど無くなりました。社会からおいていかれていると感じるようになりました。患者さんのために治療できないなら鍼灸師として働くのは辞めて、家族のためだけにしようと思っていました。そんな時に裕孝さんに働き方研究会とWPHへ誘ってもらいました。WPHとは、一人一人が幸せな未来を考える団体です。働き方研究会やWPHに参加させていただいて、考え方が変わりました。以前に比べ、様々な事を主体的に考える様になりました。育児や家事も楽しめるようになりました。以前は、今をどう過ごすのかとか、自分たちが幸せになるにはどうしたらいいかだけを考えていました。しかし今は、子ども達や孫、更にその子孫の将来世代がもっと幸せを感じられる世の中になっていてほしいと思うようになりました。そのために、できることは何なのかを考えた結果、インスタグラムでアカウントを立ち上げて鍼灸のことやツボの紹介などを発信するようにしたり、仲間に鍼灸をしたりするようになりました。


②『受け取り直し』

 今まで何に囚われていたのかを考えてみました。大きく3つにわけて受け取り直しました。その内容を共有したいと思います。

鍼灸についての受け取り直し
 鍼灸について囚われていたことは、患者さんが良くなるかどうかより自分のやり方にこだわって自分の流儀を貫き通すことがかっこいいと思っていたことです。気づいてみれば、体質や生活習慣が違うように人間の体も人それぞれ違います。それなのに、同じ治療をすることはおかしいと気づきました。私は、自分と関わる方が元気になるなら、鍼灸治療だけでなく、話を聞いたり、一緒に考えたり、ご飯を一緒に食べるなど元気になるなら何でもいいと思っています。その時の患者さんの状態に合わせてベストなことをしていきたいと思います。

生きることについての受け取り直し
 母を亡くした事から、いのちは永遠ではないということを実感しています。生きるとは何か。死とは何か。いつかやる、いつか伝えるではなく、自分のために、皆のためにも今を生きなければいけないと思っています。

働くことについての受け取り直し
 育児のために現場から離れてみて、働くということを考えてみました。学生の頃は、大人になったら働かなければならないと思っていました。就職してからもその考えは変わらず働くことが義務と感じていました。仕事から帰ってくると疲れていて仕事の話は絶対にしたくなかったです。
今、達真と一緒にフリーランスで活動しています。具体的には、店舗を持たず、自宅と訪問で治療をしています。人生を、未来を、可能性を切り拓いていくと、周りに支えてくれる仲間が沢山いることに気づきました。前までの私が感じた違和感の正体は、お金に囚われて働く事でした。今は、お金より、患者さんが「身体が良くなった」、「やる気がでた」と喜んでいる姿を見ると嬉しいです。働くということは、お金のためだけではなく、自らの生き方を実現することだと感じています。これからは、頑張る人を鍼灸で良くして、その人たちを通して未来が良くなるようにしたいです。
 生きること、働くことの囚われから解放されてからは、経験はやりながら積めばいい、年齢や性別は関係ない、できない理由を探す前にどうしたらできるのかを考えています。


③『今後の展望』

私は医療業界に革命をおこします。鍼灸の業界では、長時間労働や時間外労働、取れない有給、技術を学ぶのだから低賃金が当たり前となっています。労働力の収奪に終わります。そんな現場から変えていきたいです。革命のために私がやっていくことを2つ述べます。

第1に、労働環境を根本的に変える。具体的には、一人一人の医療従事者が組織から自立し、医院を持たずに全国各地、世界中の困っている人のところへ飛び回って治療できるようにする。このような、新しい鍼灸師の活動を支える緩やかなネットワークを形成する。そのネットワークの中で自分の技術を他の鍼灸師と共有できるようにする。技術、知識を自分の物だけにせず、同じ志を持つ仲間との共有財産にする。

第2に、治療技術を教えてもらうのではなく、主体的に学ぶ文化をつくる。自分の知識や経験の中から治療法を提案するのではなく、患者さんに寄り添った治療法を考え、調べ、必要であれば新しい治療方法も取り入れ実践する。
               
鍼灸師と患者さんという関係さえも超え、対等な人間としてお互いに良くなり共に生き方を考え、公共幸福のために取り組む同志となってゆく。そんな業界に変えていきたいと思います。

可能性は無限大です。限界を決めるのも自分です。皆さんは、人生をどう受け取り直しますか。

最後まで読んでくださりありがとうございます🙏

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