見出し画像

【カサンドラ】 20.ステロイド

少し冷たい夜風を浴び、目を開けると
そこに広がっていたのは、私が幼少期を過ごした鎌倉の奥地
雑草だらけの公園だった。

そこには赤いブランコがふたつと、小さな砂場に、銀のアルミの滑り台がひとつ、
それ以外何もなく、公園の外にはなぜか、以前勤めていたサーフショップの隣に並ぶ飲食店のビルが建っていた。
公園では、クリーム色のパフスリーブのTシャツと、
デニムのスカートにピンクのスニーカーを履いた
10歳くらいの少女が1人でブランコを漕いでいた。
私はこの子を知っている。
私は彼女が漕いでいるブランコに近づいて、「こんな寒い日にTシャツで、寒くないの?」と
尋ねた。
聞こえているのか、いないのかわからないが
少女は目を合わせることもなく、ただ黙々とブランコを漕ぎ続けている。
私は返事を諦めて、隣のブランコに座り
彼女を横から眺めているうちに、眠ってしまったようだった。


聞いたことのあるお笑い芸人の声が、私に「早くしろ!早くしろ!」と言っている。
私が黙っていると、大勢の笑い声が聞こえてきた。
なんで笑うのだ、と、口を開こうとするも声が出ず、
動かない体を硬直させて、力を込めて目を見開いた。

「起きた?」

ベッド脇でタバコを片手に持ったまま、徹が振り向いた。
無感情に流れるテレビはお笑い番組をやっているので、夜中ではないらしい。
部屋は豹柄の遮光カーテンで締め切られていて、今が何時なのかもわからない。
徹からペットボトルの水を渡されると、少し体を起こして一口含んでから
再び布団の中に潜り込んだ。
徹の部屋の目覚まし時計を見ると、4時半。日が昇るのか、沈むのかわからず
「朝?」と聞くと、
徹が「朝だよ。4時半。オト起きねぇからビデオ見てた。」と、穏やかな笑みを作った。
続けて思い出したように
「つうか昨日何食ったの?あれじゃいつか輪姦されるよ。」
「知らない男に囲まれたとこまで覚えてる。」
「そうだよ。俺の日だったからいいけど。今日休み?」
と訊ねながら徹は、ベッドに横たわる私の隣にするりと滑り込む。
スウェット越しに、徹の肌の温度を感じていたら
昨日の分の薬を飲んでいないことを思い出し、
慌ててバッグに手を伸ばしてステロイドのシートを引き抜いた。

オレンジ色の小さな錠剤を手の平に押し出しながら「横浜で働いてた時さ。」と漏らす。

「薬忘れて仕事来ちゃった時にね。
お母さんに電話して、持ってきてもらったんだけど。」
「うん」
「あの人鎌倉から横浜までの電車さえ1人じゃ乗れないような人なのに、1人で来てくれたんだよ。
あの店まで、辿って。
これ、急に飲むの止めるとショック死しちゃうから」
「そうなの?ジャンキーだな。」


若い女の子達で溢れかえるビルの通路で、小柄な母の姿を見つけた時、
すごく嬉しかったんだ。

私に気付いて手を振りながらこちらへ歩いてきて、小さな巾着袋に入れて渡してくれた
私の命を繋ぎとめる、ステロイド。
あの時の母の笑顔は、私が幼い頃によく見た笑顔だった。


徹はバケツではなく「すべり台」という簡易的な容器を使って煙を吸い上げる。
ベッドのサイドテーブルにあったすべり台を指差し、
私の目を見た。
私は小さく首を振ってから、徹の首元に両手を回した。


私を取り囲む兵隊や、外に連れ出されてから見た光景は、幻覚と呼ばれるものだった。
このドラッグを使うと決まっていつも同じ光景を見る。
家に居たくない夜にはいつも、鵠沼のクラブ「CANNNABIƧ」に来た。
二週に一度の水曜日は、徹が回す日。
昨日はたまたま水曜日だったのだ。

「そういえば昨日、ヒロくんの友達の女の子に会ったよ。
 私”あれ”呼ばわれされたんだけど」

「誰。なぎさ?あいつめんどくせんだよ。」

「お気に入りなんでしょ、徹のこと」

「気に入られてるねぇ。」

語尾に微笑を含み、私の耳元に唇を寄せる。
自分に敵意を持つ女が好きな男と、これから体を重ねるという優越感を噛み締めて
私は薄く笑みを浮かべ、全神経を徹に委ねた。


Gabrielle - Give Me A Little More Time

>>


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?