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【カサンドラ】 15.特発性血小板減少性紫斑病

過労と睡眠不足とドラッグで確実に体がおかしいのだけれど、
一週間でも素面でいれば震えるほどの大きな不安に襲われる。
全く食欲がわかず、たいしたものを口に入れないまま休むことなく仕事を続けていると
酷い立ち眩みで電車の座席を立てなくなることがあった。
無理矢理食べ物を入れても、まったく消化している気がしないので
渋々近くの総合病院に行くと、栄養失調と診断された。
当面は仕事を休み、点滴を打ちに来るようにと医師が言うので
帰宅して母親にそれを伝えると、顔を顰め病院に行くのを止めるようにと促された。
私がなぜかと尋ねる前に続けて
「栄養失調なんて。食べさせてないみたいじゃない。」と
私の顔を見ずに一気に捲し立てた。

もはやショックを受けることさえできない。またか、と思うだけで
むしろこうゆう時に何も言葉を返すことができない自分に腹が立った。
母にとって一番大切なものは何かという、見えないメッセージを握り締め
私はいつものように、家中の柱に突き出る棘から逃れるようにして外に出る。

頭の中に蓄積された不安は針のように尖り、やがて体調不良が改善しないことだけに鋭く神経が集中するようになった。
私は次第に、何か重篤な病気なのではないかという妄想に支配されはじめ
逐一現れる僅かな症状に怯えては、あらゆる検査を繰り返した。  

すると本当に病気が見つかった。
採血の後、全身で脈を打つかのような恐怖に包まれながら検査結果を待っていると
待合室にいるすべての患者の診療が終わった、その最後に名前を呼ばれた。

診療室に入ると、医師が大きく分厚い書物を開き、その左側のページを、眼鏡をズラして覗き込んでいる。
医師は私の顔を見るなり「今日はお父さんかお母さん、どちらか病院にいらっしゃれますか?」と訊ねた。

検査結果に何か異常があったのだと悟り、私は覚悟を決め「誰も来ません」と答えた。

カルテに目を移し、二十歳・・になっているから、いいか。。と医師は、
開いた書物の1ページを見せながら、病気の説明を始めた。

特発性血小板減少性紫斑病(Idiopathic thrombocytopenic purpura)
国が指定する特定疾患で原因不明、2万人に一人の難病だそうだ。
思えば最近、鼻血が止まらなくなったり、体のいたるところに痣ができたりしていたが、
胃腸障害以外では痛みがないので、そんな奇異な病だとは想像もしなかった。

出血を止める血小板を自分の抗体が壊してしまう病気だそうで、
転ぶだけでも生命の危機に繋がるからと
帰宅することもできずそのまま一ヶ月入院させられるらしい。
治療薬はなく、症状を抑える投薬で普通に生活できるようにはなるのだけど、
"プレドニンステロイド"という名のその万能薬は、肌が荒れ、ムーンフェイスと呼ばれる
ステロイド服用患者特有の丸顔になる。

症状が白血病と類似しているために、最初に骨髄を抜く検査をした。
今までに経験したことがないような痛みで、もう一度この検査を受けるくらいなら死にたいと思うほどだったが
それよりも何よりも若干20歳の女にとってこのムーンフェイスが辛かった。

退院してからも、ある一定量以上服用していれば、この副作用が出る。
昼の仕事は入院と共に辞めることになってしまったので
この顔のまま、夜の店に出なければいけない。

入院中に一度、祐介が見舞いに来た。
親身になって私の身体を心配してはいるものの、
以前のような関係性ではないことがはっきりとわかるように、私に距離を取った。
私は6人部屋の病室で一ヵ月、湧き上がる不安を搔き消すように、可笑しくもない毎日をひたすら笑って過ごした。


私の友達を「ブスね」と笑う母から、
ブスとバカには生きる価値がないと教わった。
成績を諦めた私にとって、見た目の美しさは自分を認めるための何よりも大切な要素なのに
投薬を始めた私の顔は赤い吹き出物だらけでまん丸く膨れ上がり、鏡を見るのも嫌なくらい醜くなっていく。

むしろ、入院したままのほうが楽だった。
療養中は、両親が生活費の面倒を見ると言ってくれたのだけれど、
辛い時に家族と一緒に過ごすということが何よりもの拷問に感じられ
私はその顔のまま夜の仕事に出ることにした。

ほぼ一年振りに店に顔を出すと、店長が「太ったな~」と笑った。
これからきっと指名客が減り、幾つもの屈辱を受けるのだろう。
それでも私は、自宅でも職場でも笑顔を張り付け日々をやり過ごした。


GLAY - HOWEVER

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