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日帰り京都出張の記

 009

 どうしても直接会って話さなければならない人がおり、日帰りで京都に行ってきた。
 僕は学生時分の6年間を京都市右京区及び北区(時折左京区)で過ごした。ゆえに、京都を出てしばらくの間は、京都には「行く」ではなく「帰る」であった。その頃はまだ友人たちも多く京都にいた(留年など)。
 しかし、もう京都に住んだ倍の年数を千葉県市川市で過ごし、京都には多くても年に3、4回しか足を運ばぬようになった。だからいまは、京都には「行く」である。

 さて、いつも通りに眠剤が切れて覚醒し、朝の諸々を済ませて新幹線に飛び乗った。
 最近の東海道新幹線は喫煙車両がないから、大変に辛い。あんな狭い喫煙コーナーに喫煙者が列をなしているのを見ると、吸う気もなくなってしまう。JR東海は反省すべきである……などと考えているうちに寝落ちし(傾眠)、起きたらもう名古屋を過ぎていた。

 打ち合わせ自体はつつがなく終わり、自腹出張の意義は果たされた。
 その後、夕刻から人と会う予定があったのだが飛んでしまい、2時間ほどポッカリ時間が空いてしまった。 

 さて、どうしたものか。
 博物館や美術館はそろそろ終いだし、夕食を摂るにはいささか早く、どうせそのあと時間をもてあますことになる。
 一応パソコンは持ってきたものの、仕事をするつもりは一切なかったので、そういう心の準備はできていない。
 夕食は新福菜館にしようと考えたが、雨が降ってきたのでそれも次の機会に繰り延べになった。僕は出先で傘を買うのがいやなのだ。余談だがあそこのまかないカレーはうまい。

 土産物を買いながら散々逡巡した挙句、学生時代に飲み歩いた四条河原町〜木屋町あたりに行ってみることにする。
 あのあたりはアーケードもあるし、あまり濡れずにすむだろう。
 烏丸線で四条まで出て、阪急に乗り換えるのもばからしい気がしたので地下道を歩く。

 iPhoneの広告がでかでかと出ている。僕の学生時分にはスマホなどなかった。当時はどんな広告が出ていたろうか……と考えたが何も思い出せなかった。

 四条河原町交差点も随分と変わった。市バスの「北白川仕伏町」の文字列が、なんとも懐かしい。

 インバウンドがとにかく多い。こんなものも見かけた。レートは悪い。

 小雨に濡れながら木屋町を歩いた。
 ソワレに入ろうと思ったが、なんだか妙に並んでいたのでやめた。
 長浜ラーメンのあたりまで歩こうかとも思ったが、やめた。「あの頃」とあまりに距離が開いていたとして、いまの僕はそれを受け止める気力がないと思ったからだ。
 「あの頃」の木屋町は学生向けの安居酒屋が多く、多くの先輩同輩後輩たちが高瀬川に、あるいは木屋町通りに吐瀉物をぶちまけていた。
 朝まで安く飲める店で語り明かして、金がないので始発バスで帰るか、その金もなくて衣笠あたりまで歩いて帰ったりもした。

 そういえば、僕はこのところサークルOBたちの集まりには誘われても顔を出さない。
 いまこれを書いていて気がついたが、おそらく「あの頃」からの変化を見るのが怖いのだろう。

 この分だと、懐かしの立命館大学衣笠キャンパスにも、当面行くことはなさそうだ。
 新幹線は三河安城を過ぎた。千葉に帰れば、僕は少しの安心を得ることができる。
 東京駅までの間にひと眠りできるか、試してみることにしよう。

(これより下に文章はありません)

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