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フットボールを生きる街 #03 家族

03

“Aun recuerdo la primera vez que fui al Ramón Sanchéz Pizjuán como si fuera ayer.”  
- Alberto Escobar 

「初めてスタジアムに行った日のことを、昨日のことのように覚えている。」

彼らにとって、それはクラブとの思い出であると同時に、家族の大きな背中を見上げて歩いた記憶でもある。

 Laura: 父に教えられたこと。クラブを愛すること。守ること。感じること。 

 Carlos: 祖父と兄に手を引かれ、スタジアムまでの道を歩いた。芝生の匂い。腹に響くウルトラスの歌声。すべてがわたしの感情を形成する重要な要素だった。

 Ángela: 初めてスタジアムに連れて行ってくれたのは叔母だった。サンチェス・ピスフアンに足を踏み入れたその瞬間に、セビージャFC はわたしのクラブで、ここが自分の居場所なのだと確信した。

Javier: わたしにフットボールを教えてくれた祖父は地元の村のペニャの創設者だった。わたしとクラブを結びつけているものは、生まれたときから現在まで持ち続けている彼への強い憧れそのものである。

Juan: 祖父母が手をつないでスタジアムに連れて行ってくれたのが、わたしが持つ一番古い記憶だ。彼らが試合を見ている間、わたしは古いセメント製の椅子の上で遊んでいた。あの頃の彼らは、今のわたしと同じようにフットボールを生きていたのだと思う。

José María: 孫が生まれたことを喜んで、祖父は毎週のようにわたしに会いに来た。膝の上にわたしを座らせ、「きみはセビジスタだ」と幾度もわたしに言い聞かせた。わたしが生まれて初めて覚えた言葉はパパ、でもママ、でもなく、Sevillista の “ista” だった。 

Cayetano: わたしは父に、父はそのまた父に、その情熱を教え込まれた。それは世代を超えて受け継がれるものである。 

Luis: 父親と一緒に初めてスタジアムに行く。大きくなると、友人と連れ立ってゴール裏のウルトラスに参加するようになる。チームを応援するために、様々な場所に旅をして、その一員であることを誇りに思う。わたしの子どもたちも、わたしと同じような道を歩んでいくのだろう。 

Antonio: 祖父は大のフットボール好きで、長年セビージャのソシオだった。幼い頃には、地元の村のペニャに参加したり、セビージャの試合をラジオで聞いたり、新聞で試合の記事を読んだり、彼とたくさんの時間を一緒に過ごした。彼からの贈り物は、いつもセビージャFC に関わるものだった。ユニフォーム、ボール、マフラー、旗、時計ーー。わたしは、祖父と同じクラブのサポーターであることを誇りに思っている。 

Loli: 50年以上の間、セビージャFC のソシオNo.3は祖父のものだった。彼に、生まれたときからセビージャを愛することを教えられた。わたしは、他のクラブの愛し方など知らない。 

 Basillo: 全員がセビジスタという家庭に生まれ、わたしに他の選択肢はなかった。そのことを非難しているのではない。感謝しているのだ。 

 彼らはみな、自らのことを、「生まれながらのセビジスタ」と称する。 

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セビージャのスタジアムには、家族連れがとても目立ちます。親子三世代で観戦、というのも全然めずらしくなくて、いちばんヤジ飛ばしてるのはおばあちゃんだったりする。

わたしの隣の席に座っていたのもお父さんと中学生ぐらいの娘さんの家族連れで、試合に勝って泣きながら抱き合っていた光景がすてきで、ずっと覚えています。わたしも家族のように仲間にいれてもらって、ありがたかったなあ。

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