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フットボールを生きる街 #10 劇場

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“El estadio es un espacio místico, espiritual casi.”
- Carlos Ramos Cuadra

「スタジアムは神秘的な空間。霊的でさえある」

1833年にプリンシパル劇場が完成したのを皮切りに、セビージャにおける演劇文化は黄金期を迎える。

19世紀のセビージャにおいては皆、人々を見ることや、同等の身分の人々と交流することによって、自らの階級的誇りを保つことを主な目的として夜な夜な劇場に集ったという。当初はブルジョワのための娯楽であった演劇は、徐々に労働階級にも裾野を広げ、目的や客層に応じてさまざまな性格をもつ劇場が次々に誕生していった。

とりわけ上流階級の人々が傾倒していたのがオペラである。彼らはオペラや劇場を、自分たちの絶対的権威を可視化する拠点と考え、そこに純粋性・排他性を追い求め続けた。また、彼らにとってオペラとは、日常の世俗的しがらみから自らを解放し、偉大なものに身を任せる逃避的意味合いを持つものでもあった。オペラ上演中の劇場には、神々しさをもまとった静寂が張りつめる。人々が歌い手を賞賛するために喝采をあげときのみ、熱狂や陶酔によってその沈黙が破られたという。

1936 年から始まったスペイン内戦と、その後の独裁体制の誕生がきっかけとなり、セビージャにおける演劇文化は終焉を迎えた。しかし、やがて、劇場的性格を持つ別の空間が登場する。それこそが、フットボールのスタジアムである。サンチェス・ピスフアンもベニート・ビジャマリンも、日常に在りながら人々を非日常へと解放する場であり、荘厳にして神聖、かつ熱狂の充満した空間として「劇場」と称するにふさわしい。

また、そこに集う人々が、自分と似ていて異なる者との交流と、自らが守るべき価値の賞賛をもっとも重視しているという点も、19 世紀のセビージャにおける劇場体験と酷似している。さらに、言うまでもなく、そのウルトラスは排他的で、どこまでも純粋主義である。

世紀を越えてもなお、人々は劇場に集う。

しかし、スタジアムでおこる数々の奇跡を「劇的だ」とか「ドラマのような」などといった、使い古された常套句で形容するつもりはない。なぜなら、現代の「劇場」でわれわれが目撃しているのは、筋書きのない、まさに神聖な偶然であり、どんなにすばらしい脚本よりもずっと、われわれを熱狂させるものだからである。


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本文中で「排他的」というワードを使いました。誤解をさけるために補足すると、これは決して差別的なものを意図していません。実はこれ以降の文章でも触れるのですが、セビージャの人たちが「自分と、そのほか」を区別する基準は決して人種や宗教や思想ではありません。

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