君は厄介

しにたいなんて書いたら誰かがそんなこと言うなとかじゃあそうしろだだとか、インターネットの中でいくつの言葉が本当なんだろう。
本当のことなんてひとつもわからない中できっとこれが本当だってそう思いながら願いながら推している、私のオタクたちへ。

続けることは大事、すごい、とは言っても続けた先に何かあるのだろうかとかこのまま一生このままなのかなとかそういう考えがよぎる時もある。
活動内容がほぼ個人配信のみとなった企業V。私ってなんなんだろうとする自問自答。この姿形で何を目標に生きていくべきなんだろう。だってもうあまりにもひどい。米の擬人化に対して米へのアピールが低いし、設定すぐ忘れて日本中心に話すし、リアル家族の話題も出す、企画をした配信はほぼなく延々と喋り続けて三千年(嘘をつきました)、話の中身はない、画はもはや静止画と言っても過言ではない。ふよふよと宙に浮く存在の私を限りなく狭い世界でファンが支える。膨大に増え続ける生命の中で私を応援しているやつは本当に稀有だ。

コンプティークの取材で話したことはもちろん間違いじゃないが、いつだって前向きなわけじゃない。強くも弱くもない心が私を殺すか否かナイフをつきつける中でいつも思いとどまるのはやっぱりというかお決まりというかお前のせいだよ。オタクはここで「俺のことかも…」「私かな…」と思う。
そうだよ、言わせんな恥ずかしい。
卒業、引退、大きなイベント時に綴られるファンへの感謝。
今んとこ大きなイベントもないし書いとくよ。

私の配信って私と私のことが好きなファンで成り立っている。
今話題のミッドサマーじゃないけど、知らない人が見たらほんと全然楽しめない狂気すら感じるあの村、一刻も早く出ようとなる。
ごくまれに途中から好きになってもらえることもあるのはキャラデザと笑い声のおかげだろうと思う。
逆にこんなに喋らず明け透けでないほうが人気が出たのでは?可愛い無口キャラが似合うよあの見た目。しかしもう手の施しようがないところまで来てるので私はこのまま生き恥をさらしながら生きていく。好きなことして生きていく──アースミュージックアンドエコロジー。
そう、うだうだ悩んではいるがもう好きなように生きるしかない。楽しんでなきゃ配信なんかやってられないし私は私が好きだし私を好きな私のオタクも私が好きだし私も私を好きなやつのことが世界で2番目に好きだ。1番は俺の家族。譲れねえ!でも他人としては1番にきてるからすごいよすげーなすごいです。クレヨンしんちゃんの新作映画まであと50日!!!!!(※4/24公開予定)

アイドルのコンサート等で必ずと言っていいほどあるファンへの想いを語るシーン。人気グループともなるともうそれはそれは何千何万といるファンへの想い。「そんなこと思ってないくせに、当たり障りのないこと言って感動させようとしているんだろう」ってえげつなくひねくれた見方をしていた。
でも今はわかる。ファンの存在って圧倒的感謝しかない。支持者、支援者が得られなければ石油王の娯楽でもない限りコンテンツはしんでいく。つまりファンがいなければ存在価値は与えられない。そんな中で1人でも、2人でもファンがいることによって意味が生まれる。
血のつながりもなんもない、なんにも知らない赤の他人が自分を肯定してくれる。
そんなのもう泣いちゃうでしょ。陳腐になっちゃうけど奇跡だ。
これももうよく見かける言葉のひとつとして「私を見つけてくれてありがとう」が上げられるが、見るたびに「またこれか(真顔)」だった。
でも今はそうじゃない。「それな!!!!」になった。
他に表す術を知らない。私を見つけてくれて、好きになってくれて、ありがとう。これ以上の言葉が見つからないからみんなかぶるんだなって腕組み後方彼氏面で泣いている。

フォロー、ありがとう
リプライ、ありがとう
コメント、ありがとう
手紙、ありがとう
エアリプ、ありがとう
イラスト、ありがとう
プレゼント、ありがとう
ここに来てくれて、ありがとう
私のファンでいてくれて、うれしい

何もかも嫌になる夜に浮かぶ。ブレーキを踏む。こんな私でも希望にしてくれる奇妙な存在を。夜な夜な自嘲気味に話すつまらない話を意味があるよと画面の向こうで懸命に打ち込む姿を想像してしねなくなる。
だから私も、なけなしの人生の毎週3回の3時間を君に捧げる。君の存在が私を生かし続けている。ああ、なんて厄介な存在なんだろう。

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