54、55、56、57日目:そもそものお話。

書きそびれ溜め込んだこの数日間のことをまとめて。前向きな結論。

休職54日目。7月22日(月)曇りと小雨。

前夜、産業医との話し合いを嫌だなーとぼやいていたら「いかなくていい、いかない方がいい」と家族が押してくるので、やめた。しかし気になって朝何度も目が覚めキャンセルができたかの確認をしたり、もはやその夢を見たりしていた。が、結局ホルモンの影響受けまくりで体調が優れず、朝外出できるような状態ではなかったので結果オーライだった。あまりにふらふらなので母も付き添いつつ、心療内科へ。転院の旨を伝えるとあっさりと紹介状を書いてくれ他は何も話さずあっさり終わったが、紹介状の値段の高さに驚愕した。しかしこの病院に来たから休職できて今の自分がいる、という感謝のもと病院を去った。

少し回復したので銀行へ行ったり本屋で画集とうつに関する本を買った。

コンビニで雑誌を立ち読みしていたら30分くらい経ってしまった。その立ち読みのおかげで、「世界はもっと広い、生き方はもっとある」というワイドな思考が再度希望を持って自分に落ちていった。

帰るときに「そもそも、自分は何が苦痛だったのか」なんてことをかんがえながら歩いた。そして家でうつに関する本を読み、自分なりに考え、家族とも話し、今後は薬を減らしていきたいという思いを固めた。

そもそも、「休職前は何が苦痛だったのか」を改めて定義すると

1、背中、肩、首、目、顔、そして特に頭が痛い。

2、慢性的な睡眠不足

3、仕事で力を使い果たしてしまう。自分はその仕事ではないことで身を立てたいという思いがあったが、そこに力を注げない。

4、自身のめざす生き方に向けて力を注ぐことができていない、約7年間もくすぶり続けて進歩していないという情けなさ。

となる。そうすると、この1〜4を解決することこそが必要だ。そして2にあるように、そもそも、眠りを渇望していたのだ。休日は疲れてずっと寝ているくらい。なのに今睡眠薬や抗不安剤を飲まないと寝付けない、この状況はなんだ?「薬を飲まないと眠れない」暗示を自分がかけてしまったのではないか。抗不安剤に関しても、1〜4に「不安」という言葉は見当たらない。そもそもはなかったのだ、不安なんて。嬉々としてその薬を飲んでいるのは、1の「コリや頭痛」に効くから。それは筋弛緩を助長する成分が入っているから。今不安に苛まれることがあるのは、「そういう病気だから」と自分で片付けていたが、こんなにも自分の時間がある、こんなにも以前と異なる生活をしている、時間があり、かつ生活が変われば、不安という要素も出てくるだろう。デトックス的な感じもする。これは薬でなくすものではない、自分で考え抜いたり行動したり、周りの人の力を借りたりして、きっと長い時間をかけて付き合い少しづつ無くしていくものなんだ。そう考えると、精神に影響を与える薬はどうしても依存性がある。少ないといっても、気持ち的に頼ってしまうのだ。以前強制的に楽しい気持ちにするためにお酒を飲んだように。気分を落ち着かせるために薬という選択肢に頼ってしまう。でもそれを一生やるのは嫌だ。いつかなくすべきなら今から少しずつ無くしていきたい。それができるくらい、自分を取り戻している。

・・・そんな考えから、そもそもの1〜4にもっと目を向けて、その根源を消していこう、という気持ちに至った。その近道は薬ではない、自分の行動だと考えるようになった。

3と4に関して、「自分の人生は別にあるはずだ」という幼稚な考え方が抜けなかった。何もしない(できない状態)けど誰かが引き上げてくれるのを待ちわびていた。引き上げてくれたら頑張れるから。そんな甘えはもうさらばですよ、仕事の忙しさにある意味逃げていた、その道に進むために本気で考えるのを放棄していた。だからこれからはその点において甘えた生き方はできないということを今も自分に言い聞かせながらこの文章を打っている。そこで甘えると、うつになっちゃうから。

翌日の新しい心療内科では、「薬に頼りたくない」をごり押しすることに決めた。

休職55日目。7月23日(火)曇りと小雨。

睡眠薬を飲まず、眠れたのは5:00すぎ。最終的に筋肉のこわばりをとり頭をぼーっとさせるために抗不安剤は飲んでしまった。まあ頑張ったでしょう・・・久々にオールナイトニッポンを聞いたら楽しかった。昼過ぎにカフェに行く。勉強に必要なイヤホンを忘れる。買う。そしたら時間がなくなり勉強では使わず。でも歩きながら音楽を聴いて新たなやりたいことの芽がぴょこと出た。実現できるかは別として。もったいない買い物にならなくて嬉しかった。心療内科で無事に薬を少なくしていくこと、抗うつ剤は飲まないことを先生と握れた。漢方の回数だけは少し増やすことになった。ただ復職のメドは「あと2ヶ月はかかりそう」とのこと。生活リズムが整い、人混みなどの環境に耐えられなければスタートラインに立てない。復職を目指す(最終的に目指すのはそこではないが)のではなく、そこを目指して過ごすことを念頭におくことにする。そして自分としては9月には復帰したいなとぼんやり思った。

眠る前に肩のストレッチをしまくった。

休職56日目。7月24日(水)晴れ!

睡眠薬飲まず、眠れたのは3:00ごろ。進歩よ。会社の夢見てしまった。ちぇ。お昼すぎに一人暮らしの家に日帰りで行って、風を通したり、洗濯したり、少し掃除したり、少し筋トレしたり(ダンベルが実家にないからダンベル使いたいときはこの家にいるときやらねば!)お金関係確認したり、電話したりして帰途につく。

FNS歌謡祭をかなり楽しく観た。そして肩のストレッチをしまくった。

休職57日目。7月25日(水)晴れ!

睡眠薬飲まず、眠れたのは2:30ごろ。進歩!!夢もFNSを見たらからか楽しい夢だった。一回7:15くらいには目覚めたから、そこで起きられたらいいんだけど・・・結局起き上がったのは9:00だった。

ご飯を食べて、ストレッチしたりして、歯医者に行って、今。いつもとは違うカフェ、ビジネス街のど真ん中にいる。

人事と連絡とったり上司と連絡とったりした。7月までの休みの予定だったから・・・ごめん、最低でも1ヶ月伸びる。上司は「すべてのことが成長につながる」と言ってくれた。ありがたい。本当にありがたい。そして、会社のことを悪く思っていないからこそ、慣性や愛着だけで、その会社に続けることはしてはいけないと自分に落とし込む。休職期間が明けたら、自分の日常の環境を変える動きをしていかないといけない。住む場所、働く場所。時間や思考や体力を多く投入する事柄。遠くない未来に、休職前の環境とはさよならしなければならないだろう、と思う。そして今、その事柄について大いに思考したい。


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