34日目:書くべきことと、衝動などと。

休職34日目。7月2日(火)曇り。

昨日のこと。7月の始まり、今週から少し活動的に、と息巻いていたが、のっけから崩れてしまった。

6月30日の夜、家族で「君の名は。」を楽しく見たのちベッドに入ったが、すぐに寝られず、いろんな考えが去来する中で、「ほぼほぼ起こり得ない(または想像したところで意味がない)ことをリアルに妄想して悲しくなって泣く」という現象に陥り、3時間くらい涙がぽろぽろと眠れず、睡眠導入剤を導入するも眠れず、抗不安剤をプラスし、電気をつけ詩集を眺め、思考を混濁させてやっと眠りについたのだった。

翌1日、心療内科での定期診療の日。午後は一人で「海獣の子供」を観る予定も入れていたので、割と元気に家を出発した。が、その診療での先生とのやりとりからメンタルが崩れてしまった。

昨日は主に「最近眠るのが難しい。最初の頃より難しい」と、昨日の現象を交えて相談。先生は「なんでそんなこと考えるの?(いや、それを知りたくて相談してるのよ)」から始まった。いつかも書いた通り、先生は常に淡白な感じなのだが、そのあとのやりとりも含め、昨日はまるで、「あなた頑張っていないでしょう」と言われたように感じてしまったのだった。そこをまた涙ポロポロしながら指摘すると「そう捉えられてしまったら申し訳ない、そんなつもりではない」と訂正してくれたが・・・

「最初にここに来た時(仕事の忙しさによる疲弊)と今(人生全般への不安)の状態は違う。その不安を自分でどうにもできないなら抗うつ薬を使うしかない(今は抗不安剤)。」

そして先生はカウンセリングを提案してくれた。私は、心療内科はカウンセリングもセットであると思い込んでいたのだが、違うということをこの時知った。

結局、抗うつ剤は抵抗があるので抗不安剤の量を増やして1週間様子を見ることになった。

その後一旦一人暮らしの家に戻ったり整体に行ったり映画を見て実家に帰ったが(映画は…なんか壮大だった…)、病院でのやりとりから気持ちが辛くなってしまったようで、報告する前から嗚咽タイムが始まってしまった。

そのまま両親に今の心理状態をいろいろ話した。かなり良くなってきていると感じているが、夜がダメなこと。なんで生きているのか考えてしまうこと。たまに良からぬことを考えてしまうこと。衝動的な思いが走ること。大事な人が亡くなる不安に駆られること。幸せな状態もそれの終わりに向かって進んでいる不安に駆られること。恩師(と勝手に思っている)人の死が予想以上に大きいんだと思い始めていること。少し前の自分のことをかわいい子供のように思うがそれがまた哀しいこと。この休職期間に自分なりに考えて過ごしているが正しいかわからないこと、無意味に思える時があること。歩いていても、見える風景が前と違ってしまっていること。自分がこの世界にいないような気がすること。そして、現在の診断に少し疑いを持ってしまったこと。

この歳にもなってかなりの甘え具合かと思うが、一番親密な相談者ということで、許してくれ(誰か)。

自分の記録用のためのnoteでもなんか幼稚な内容だな・・・

とりあえず、他の病院やカウンセリングも当たってみることにした。

話をしながら、鬱の症状もだが、元からの性格の部分がかなり大きいような気がしてきた。だからあまり自分を自分で病気にしないようにしよう、という結論に。そして前日寝られなかったのは、もしかしたら「君の名は。」を見て心の何かにドスッときたからなのでは…との意見が出て、あながち無くもないぞ…?と思ったのであった。

今日は12時まで寝てしまい(多分薬と精神的なもの)、昼寝もしてしまい、今。でもちょっと筋トレした。

昨日の日記の最後に「自分をつくりかえるとき…」と書いた。これだけは忘れないようにメモしておこうと思ったのだ。何度も自分い言い聞かせるが、もう元のようには戻れない、戻らないための今なんだ。だから同じ風景も違って見える。自分の中身を、構造を作り変えている時なんだ。海獣の子供を見て残った感覚だ。残念だけれども5月前半くらいまでの自分にはもう戻れない。戻らない。作り変えるには時間がかかる。予定通り行くこと、予定より良いこと、ダメなことがある。

自分が生んだ作品を破り壊してしまう衝動的イメージが湧くことがある、その妄想はとても哀しく辛い。この手の妄想がなんなのか、脳の不思議に迫りたい気持ちもある。以前からだが心理というより脳に興味があるな…

書いておくべきと思うことと書きたいことと書いているうちに書いておこうと思いつくことがごっちゃになって、今日の日記になった。

昨日、「生きている意味があるのかわからなくなる」と話した時の母の動きは忘れないだろう。





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