死刑にいたる病

という映画を観たんですがネタバレしたくないのでまた自分の話でもします。

一番平和であるべき幼少期〜学生時代の家庭環境が自分的に納得のいかないものだったこともあって、ちょうど両親の仲が悪くなり始めた小学校高学年くらいの頃から、周りの幸せそうな子供をずっと羨ましいと感じてた。

本人たちも後悔してるだろうし今となっては冷静に話せるけど、うちの両親はどちらも暴力的な人間だったので、言うことを聞かなかったり期待に応えられないと、血が出るレベルのビンタをされたり物を思いっきり投げつけられたりして、本来一番安全であるはずの『家庭』という場所が、幼少期から嫌いで嫌いで仕方がなかった。

弟も同じことをされていたから、弟のことは未だに自分の分身みたいなものだと思ってる。弟もずっと、あの時期がトラウマだって言ってた。あのとき手の甲にぶっ刺されたボールペンのインクが色素沈着して一生消えないってネタにしてるけど、自分の腕の傷を見る度にあの時期のことを思い出す私は少し心配してる。
弟も私も、加藤ミリヤの歌詞みたいな恋愛しかできないのは、おそらくその時期に自尊心がぶっ壊れて、大人になって環境が変わっても、自分のことを大切にしてくれる人間を信頼する気持ちが根本的にわからないからだと思う。

大学生くらいの頃、そういう育ちをずっとしてきたと叔母と祖母に何となく話したとき、初めてその教育方法が間違っていたことを知った。
大学のとき心理学の勉強をしていたので、授業で「こういう家庭で育った子どもはヤバいです」みたいな事例が出てくるたびに、うちのことだ…ってなって、自分はダメな家庭で育ってしまった残念な人間なんだとその度に落ち込んでた(笑)。

家庭環境がどうであれ、自分の力でそれなりに幸せに生きていきたいと思って、毎日学校以外の時間をほぼ全部バイトに当てて、寝ないで学校に行き授業を受けてる私に、いろんな面で恵まれていながら授業をさぼりまくってる女の子たちが「ノート見せて」と言ってきたときは、こいつら全員私が死ぬとき一番残虐な方法で殺してやりたいとか思った。

今でも子供が欲しくない、子育てしたくないのは、そういうトラウマみたいなものが影響してるのかも。
避妊のために何年もずっとピルを飲み続けて子供が絶対にできないようにしてるのは、幼少期の自分や弟より恵まれた子どもを可愛がれない自信があるから。
産んだら考え方変わるよとか、自分の子どもなら可愛いよとか言ってくるやつのことも、お前に何がわかるんだよ!と心の底から思ってます。
私が子供を産むことは罪だと私が一番よくわかってるから、無責任なことを言うな。

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