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歴史と信仰が息づく寺 宝沢山 薬師寺 1/2


奇跡の再興、銀山 薬師寺の歴史

 宝沢山薬師寺は山形県尾花沢市上柳渡戸にある曹洞宗の寺院です。
 薬師寺は大治五年(一一三〇年)に創建され、その起源は後に開発された国指定の史跡である延沢銀山と深く結びついています。元々は天台宗の寺院で「薬師堂」と称されていましたが、天文五年(一五三六年)に暗室関牛(あんしつかんぎゅう)大和尚(円照寺第五世)によって曹洞宗の寺院に改宗され、寺号が薬師寺に変更されました。
 本尊の薬師如来立像は、鎌倉時代中期に彫刻された木彫りの一本木造で、昭和四十四年(一九六九年)に尾花沢指定有形文化財として指定されています。また、境内には元々銀山温泉の近くにあった最上三十三観音霊場の第二十四番札所である上ノ畑観音堂が移築されています。上ノ畑観音堂の建立年代は不詳ですが、地元の有力者である高橋信濃(たかはししなの)が旅人の安全を願って観音像を安置したのが始まり。最初は峠近くの山中に建てられ、銀山温泉の温泉地にある東源寺という禅宗の小さな寺が、観音堂を管理していました。

 安政年間(一八五四年〜一八六〇年)に延沢銀山が衰退すると、東源寺に、住職がいなくなったままになっていましたが、この村の長老、薬師寺勇岳(ゆうがく)によって再興されました。
 その後、火災により観音堂は焼失しましたが、高橋信濃の子孫である高橋善左衛門(ぜんざえもん)によって安政四年七月十七日に再建。薬師寺正面の山門は、三間一戸、入母屋、金属板葺き八脚楼門形式の建物で訪れる人々に今でも圧倒的な印象を残し続けています。


昔より飲用されてきた「手水舎」の薬師水

薬師寺の井戸からは霊験あらたかな井戸水が湧き出しており、薬師水として昔より飲用されてきました。この手水舎の水も薬師水で、参拝に訪れた方が手のお清めに利用したり、水筒を持参し水を汲んで行かれる方も多くおられます。

手水舎(ちょうずや)


運が良ければ会える?メス猫「ちゃこ」

薬師寺に住む、年齢25歳のメス猫のちゃこ。お寺へ訪れた際、ちゃこに必ず会える保証はありませんが、その可愛らしい存在は心を温かく癒してくれることでしょう。

気持ち良さそうにお昼寝中の「ちゃこ」

曹洞宗 宝沢山 薬師寺(ほうたくさんやくしじ)
場所/ 尾花沢市大字上柳渡戸207
電話/ 0237-28-2437
https://ginzanyakushiji.com

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