徹夜で踊る、盆踊り。

夏の始まり、もうすぐ2年のお付き合いになる人とお別れをした。学生の頃、口癖のように「ちゃんと生身の人間と、心から向き合って恋愛したい」と言っていた私にとって、初めてのちゃんとした恋だったのだと思う。

「別れよう」という言葉は上滑りしたように身体と頭を通り抜け、呆然としてしまった。自分の生きる軸を彼に傾けすぎて、心から向き合うどころか「同化」させようとしてしまっていたのかもしれない。お互いにとって、いい選択かまだわからないけれど、一緒にいない日常が始まっていることは確かだった。

自分はどうして生きているのか、この先楽しいことはあるのか、生きている意味があるのか、を問い続ける一週間だった。生きる力が小さくなって、夜は眠れないし涙も出続けるし身体は栄養を受け付けてくれなくなった。楽しかった想い出だけ浮かんでは、寂しくて泣いた。

どうしようもなく途方に暮れた。

そんなときに、心から向き合ってくれたのは友人たちだった。彼らがいなかったら、私はこうやって美味しくご飯も食べれないし、会話もできないし、未来を見ることなんてできなかっただろう。

泣きながら電話をかけたり、泣き笑いしたり、お酒を飲みながら朝まで一緒にいてくれたり、たくさんの愛情をもらった。彼らに、そしてこれから出会う人々に少しずつ返していくことが生きがいだと思った。

時間はすごいもので、徐々に元気にさせてくれる。心臓がギュッと痛むこともある。それでも、自省する時間ももたらしてくれる。

今回得た沢山の気持ちを引きずってみんな生きているんだろう

さて、そんな出来事のすぐあとに岐阜県郡上八幡で日本一ロングランだと言われる盆踊り「郡上踊り」に行ってきた。

名古屋からバスで2時間ほど、降り立ったのは山の上に縮尺がちょっとおかしなお城(かつて日本最古の木造建築のお城だったらしい)が建っている城下町だった。

7月~9月まで続く郡上踊りは、お盆期間の4日間「徹夜踊り」と呼ばれる、夜8時~朝5時まで生歌・生演奏で踊り続ける局面を迎える。

郡上踊りの特徴

・服装は浴衣に下駄(いい音がなる、底が高いタイプ)

・全11曲で、そのうち2曲は最初と最後しか演奏されない。9曲をまるでDJのようにそのときの踊り手によって演奏者が選び、延々と踊り続ける。

・キラーチューンは「春駒」

わたしたちは洋服に下駄という、なんともアンバランスな服装で参加した。

まったく踊りを予習せず参加したが、盆踊りのすごいところは見よう見まねで踊れた気持ちにさせてくれるところだ。しかし、地元の方々の腰さばき、下駄さばきには感心してもしきれない。ヤンキーのような風貌の若者から、コスプレのような佇まいの女の子、眼鏡にまだ若さのぬけきらない髪型をした男の子たちまで、大きな声で演奏に合いの手をいれ、列を縫うように踊り狂っていた。

なんだか無性に「日本も捨てたもんじゃない」と思えた。

とにかく絶えず人が踊っていて、聞くところには「9割が地元の人じゃない」という衝撃事実。

縁もゆかりもない人々が集まり、熱狂する、郡上踊り。ますますなぞが深まるが、きっと私もリピーターになるのだろうと感じた。

夏も、そろそろ終わり。


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