名古屋市営100周年記念 名古屋市電系統図の52年(1):市内軌道全線市営化まで(1922〜1937)

 名古屋市が名古屋電気鉄道(現 名古屋鉄道)から市内線を引き継いだのは1922年(大正11年)。「市営十年」(名古屋市電気局, 1933)には、「最初、当電気局は会社時代の運転系統を踏襲していたが、大正11年12月、従来の運転系統を整理して、改正を断行した」とある。これ以前の系統図は残念ながら不明。しかし、「市営十年」と「市営十五年」(名古屋市電気局, 1937)によって、市内軌道全線市営化までの系統図はほぼ完全に知ることができる。


1922(T11):系統符号は数字ではなく、いろは順にひらがなで「い」から「そ」まで
1923(T12) 明道橋〜菊井町開通、を号名古屋駅前まで延長、並行するわ号廃止(1.16)、小針〜滝子・高辻〜牛巻開通するが系統符号は無く「東郊線」と呼称(1.25)、東新町〜鶴舞公園(9.20)・門前町〜岩井町(11.13)〜水主町(12.22)開通し、は・ほ・る・を号延長、よ・そ号廃止
1924(T13) を号延長して循環線化(3月)、大津町〜栄町開通、ち号延長(7.20)、愛電前開業によりり号始点変更(12.26)
1925(T14) 東郊線が鶴舞公園に接続し、わ・よ号に(12.23)
1926(T15・S1) 志摩町〜那古野町廃止で名古屋鉄道線乗り入れ経路変更(1.23)、ほ号経路変更、ミニ路線だった か号の経路が大幅に延長(4月)、ろ・は・へ号経路延長、と号廃止(11月)
1927(S2) 牛巻〜堀田(4.17)・押切町〜浄心前(7.10)開通、ほ号少し延長(10月)
1928(S3) ほ号の水主町〜鶴舞公園間をよ号に編入(3月)、愛電豊橋線堀田駅開業で市電と連絡(4.15)、滝子〜桜山町開通、ほ号延長(10.15)
1929(S4)は尾張電気軌道が新三河鉄道に改称(6.1)以外は変化なし。
1930(S5)矢場町〜千早町(つ号)開業(5.9)、浄心前→大曽根→名古屋駅前→大曽根→浄心前と運行する ね号新設(浄心前〜名古屋駅前が二重線なのはこの経路のため)、に号廃止(10月), ほ・り号延長(12月), 名古屋鉄道が美濃電気軌道と合併し名岐鉄道に改称(12.20)
1931(S6) 「従来の系統記号いろは文字は運転区間を連想せしめる上にいささか欠けるところがあったため、昭和六年十二月に至ってこれを起終両点の頭文字を組み合わせて系統名とする合理的な方法に改正した」(市営十年p.64) :例えば名古屋駅前〜覚王山なら「なか号」など。ただし、「市営十五年」には一文字の「系統符号」も併記されており(例えば「なか号」は「か号」、「なお号」は「お号」など)、以降の系統の説明には一文字の系統符号が用いられていて、いつごろ転換があったかは不明。本記事の図には「系統符号」を用いている。
また、「市営三十年史」(名古屋市交通局, 1952)p.103には「同時に車両の所属出張所をそれぞれ色別であらわすこととし、沢上(茶)、老松(緑)、浄心(赤)、池下(群青)、高辻(樺)とした」とあり、これを参考にして池下の担当と思われる系統の線の色は青系、浄心は赤系としているが、沢上の担当と思われる系統は多く、茶色では地味だしバリエーションも多くないと判断してこちらを緑系とし、名古屋城を通る循環線を担当する老松は金や銅などの金属系、高辻はバリエーションを多くできる紫系とした(ちなみに後年の下之一色は青緑系、港は水色系、安田はオレンジ〜茶色系)。
1932(S7) 桜山町〜市民病院前開通、た号延長でみ号に改称(12.30)
1933(S8) 大津橋〜市役所前開通(8.24), こ号延長でと号に改称(10月)
1934(S9) 水主町〜六反小学校前開通、ほ号延長(9.11)
1935(S10) 名岐鉄道と愛知電鉄合併で名古屋鉄道(名鉄)発足(8.1)
1936(S11) 中村電気軌道市営化・休止(5.24), ひ号延長でり号に改称(6月), て・そ号新設(12月)
1937(S12) 上図は3.15時点のもの。名古屋汎太平洋平和博覧会(3.15〜5.31)の開催に合わせ、省線名古屋駅移転・高架化、市電旧名古屋駅前は笹島町に改称(2.1), 覚王山〜東山公園開業(2.27)、名古屋市内全軌道線市営化(3.1)、日比野〜築地口が博覧会場を突っ切る形で開業(3.11)、旧中村電気軌道線 笹島町に接続、堀内町〜名古屋駅前開通(3.14)、省線名古屋港線に博覧会前臨時旅客駅開業(3.15)、以上に伴い、は・い・も・の・ま・な・む・た号が新設され、系統が増えたため各系統線を細く表示した。なお、図では な・お・か号が笹島町駅に触っていないが、実際は通っている(以降も同様)。上図に示した以外にも博覧会場方面行機の臨時系統が18設定されたが省略した。
1937(S12) 笹島町〜名古屋駅前経路変更(実際の位置関係は3.15時点の図と変わらないが、作図の都合で位置を変えた)、これに伴い一部系統経路変更(4.16)

画像をクリックして拡大表示し、左右の矢印をクリックすることで変化を視覚的に確認できます。

(序)
(2):1937〜1952
(3):1952〜1974

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?