【日記2023/10/7】コロモー巡回の時間だ!

・1500字強


 そっ、そんな……



 幸福とはなんだろうね。

 例えばの話、有名な芸能人がペットの犬に「畜生」という名前をつけてかわいがっていたことが判明したら、おそらくネット上でたくさんの非難が飛んでくると思う。犬がどう思っているかは度外視で。



・はえ~


 これはGoodインターネット



・Goodインターネット


・そもそも地雷という言葉を使う人は、地雷および戦争を茶化しているわけではない

・地雷という言葉を聞いて不快に思ったり、戦争の惨劇を思い出して心を痛める人は存在するのか?

・このページの誰かが、「ゲリラ豪雨」「帰宅難民」とかも戦争から派生した言葉だと指摘していて、これはいい例だねと思った。

 デカさを「ド級」と形容するのも、イギリスの戦艦に由来しているのでNGなのかな。


・撮り鉄を貶す風潮についてどう思うかを教えて

・バオオオオ(という気持ち)

 全ての言葉は、意思決定を左右する情報を持っているものだと思っている。

 持っている ”べき” と言いたいわけではない。意思決定に関わってこない情報って言葉にする必要性がないから、意識せずとも自然にそうなると思う。

 なんというか、コロモーで発生している議論を見ると、「それで、それを議論することによってどう意思決定が変わってくるんだ?」と問いたくなることがままある。というかコロモーに限らずネット全体に対してもよくそう思うんだけど。

 「~はモヤモヤする」「~はという考えは甘え」「~を嫌ってもいいのか?」「~を否定する考えを持つのはいけないことだと思う」「~は…だと思われても仕方ない」のような抽象的な言葉を使いながら机上で理屈をこねくり回すとき、その理屈の向こう側に意思決定に使う変数が見えている人と、見えていない人がいる気がする。後者の書く意見は、その意見の向こうに意思決定が見えないので、「モヤモヤするから何?」「甘えだったら何?」「内心で嫌っているから何?」とツッコミ所が残る場合が多い。

 なんというかね……

 ゲームの攻略本って、元となるゲームを所持していないと、見ても意味がなく、それ単体では使い道がないじゃん。(それ単体で楽しむ奇人も存在はするけど、それだってゲーム本編の存在があることに思いを馳せて楽しんでいるのだから、やはり攻略本の面白さは本編に依存する)

 言語もそれと同じで、”現実世界での意思決定” というメイン目的を達成するための攻略手段として言語があるのだから、現実世界がないなら、言語単体では意味がないと思う。

 言語をアートとして楽しむことはあるかもしれないけど、それだって現実世界がある故に、おまけとしてアートとして楽しめるのだ。「詩を作る専用の言語」は存在しないことだろう。あくまで、現実世界を記述するための言語を借りることでしか詩を作ることはできない。

 だから、現実世界の意思決定を左右しない机上論を見かけると、情報量がないな~と思う。

 繰り返し書いてしまっているけど、議論において、「良い/悪い」という抽象的な言葉を含んだ意見があったとき、それに対して「良い/悪いから何?」と思うことがたまにある。もっと「愚行権を侵害している」とか「刑事責任を問われる」みたいな、意思決定にどう活きて来るのかベースの言葉に直せるだけ直して欲しいと思っている。

 他者と「○○をするのは良いことか、悪いことか」という議題について議論したとき、よくあるのが、誰かが「それは自分にメリットがあるからした方がいい」「それは功利的に考えると、しない方が良い」「それは道徳的にしちゃだめだと思う」のように、「良い/悪い」の軸がぶれていることに気づかず、歯車が嚙み合わないまま議論が進められることがままあり、オチンコ~~~と思っている。


・おわり

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