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ねこぢる草 ねこぢるうどん 感想

・2100字強。


・ねこぢる草を見た。

・言語的表現があまりなく、雰囲気がよかった。湯浅政明さんが作画監督とのことで、原作漫画からは想像もつかないようなダイナミックなアニメーションになっていた。

・お話を作る天才とさあ、アニメーションを描く天才がさあ、協力しちゃあさあ、ダメじゃないか…

・良い作品だった


・ねこぢる大全なる作品がキンリミでタダだった(Kindle unlimitedってどう略するのが正解なのだろうか?キンアン?)

・全く理路整然としてなくて、整合性を放棄している。何が起こっているのかわかったりわからなかったりするが、ただただ「嫌」だけが存在するのでページをめくる手が止まらなくなる。

・殴打、死、注射、血液、差別、知的障害、卑罵語、貧困、といった目を見張る要素が右へ左へと揺れるので、つい目で追ってしまうような、そんな作風だ。


・ねこぢるうどんには、ねこぢる草の元ネタになったであろう回が複数あった。ねこぢる草って結構色んな回を混ぜたキメラ作品なんだな。


・殺人描写がたくさんあるのに、殺人をやめさせようとするキャラはほとんどいない。平均すると一話に一回は死人が出るのに、死を悼むキャラはマジでいない。気持ちがいいまである。

・作中でキャラがキャラを殺す理由として、積極的な理由で殺すこともあるけど、多くは「なんか楽しいから」「危険な作業をする前に安全確認を怠ったから」「そういえば助けるのを忘れてたから」「倫理観が欠如しているから」みたいな消極的な理由である気がする。殺すメリットがあるから殺すんというより、デメリットを理解していないからやっちゃう感じ。

・みんなも幼少期は小動物をいじめたり虫を殺したり、好奇心や嗜虐心が倫理を上回ることもままあったのではないだろうか…その感情を思いだした。年を重ねて倫理観が塗り固められても、死って基本的に面白いんだよねという本質からは逃げられない。


・作品鑑賞をしているとき、死を悼むシーンに時間を割いているのを見るとちょっと調子が狂うというか、つまづく。いや、死を悼むのはわかるよ?でも死を悼むのなんて当然なんだから省いてよくない?

・この感覚は説明するのが難しいんだけど、例えるなら「それは本当に嘘じゃない?」「嘘じゃないよ」という会話くらい調子が狂う。みんなも現実でそういう会話を目にしたことが何度かあるでしょ。「嘘じゃない?」という質問をしても答えなんて「嘘じゃないよ」一択なんだから、愚問である。その会話に費やされる時間は漫画なら1~2コマ程度なのだろうけど、もしそういう表現を見かけたら、せっかく作品に没入していても「この会話いらんな~」という雑念によって意識が外に引っ張り出される。

・死を悼むシーンもそんな感じだ。死人がよく出る作品(バトル漫画とか)で死を悼むシーンが多いと、「早く慣れろよ」という雑念が生じる

・ねこぢるは死人が出てもホイホイ次に進むので気持ちがいいね。舗装したてのアスファルトのように滑らか。心地の良い異質さがある。


・あと関係ないけど、こういう「描き込みが少ないのにしっかり内容が面白くて愛されている漫画」を見ると励まされるね。そういう漫画を私に教えてくれ。王様ランキングとか。


・wikiで作者に関する情報などを読んでいると、本当に頭のネジがぶっとんでいる人だなと思った(褒めとして)

山野曰く、ねこぢるには「変な人に遭遇する不思議な力」があり、人混みで明らかに怪しい男が遠くから真っ直ぐねこぢるに向かって歩いてきて「おれ、頭ばかなんだ」と言ってねこぢるの腕に掴みかかったというエピソードも存在する

・これ、本当にそうだと思う。私の知人にも変な人を吸い寄せる特異体質な変人がいたな。スタンド使いは引かれあうって言うしな。

・作者が自殺したことは、ねこぢるシリーズにとっての画竜点睛になってしまったというか、自殺によって、ねこぢるシリーズの壊れた倫理観が”””本物”””になった節がある。

・え、このwiki全部良い文章だな。こんなブログ読んでる暇があるなら、ねこぢる先生のwikiを読んでてくれ。



・昨日観たTAMALA2010がまだ脳内でグルグルしている。あの映画は視聴者に「何を見せられてるんだ?」という感想を抱かせるために全力投球している作品であるという印象がある。ガチで幼少期に難しい映画を観ているときのあの感覚を思い出す。なんか理解が及ばない映像が流れているが、ただ損得が発生していることだけなんとなくわかるような感覚。

・ねこぢる草もそうなのだけど、何かの暗喩的表現に見える思わせぶりなシーンばかりであるからといってそこにメッセージ性があるとは限らない。単に、摩訶不思議さの演出

・何の作品においても、考察厨はすぐ「実は全て主人公の妄想」「全て夢」「全て臨死体験」「全て死後の世界」とか言い出すので好きになれない。ねこぢる草においても、一挙手一投足一描写に対して、自然災害の暗喩だの、原爆の暗喩だの、環境を破壊する人類の暗喩だの、何かにつけてメッセージ性を求めて来るが、「そもそもメッセージ性などなく、単に芸術を求めた結果そういう映像になっただけ」とは考えないのだろうか。


・おわり

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