【日記2023/3/18】本の感想など

・2800字強


・フェルマーの最終定理

#フェルマーの最終定理

・面白い!

・著者のサイモン=シンさんはテレビ番組のプロデューサー及びジャーナリストらしく、難しい概念を素人が理解できる程度にまで噛み砕いて説明する能力が高いのだ。読んでる途中も、「これはドキュメンタリー番組っぽい本だな」と思いながら読んでいた。

・本著では、フェルマーの最終定理の証明の中身についてはあまり具体的に述べない。というか、具体的に述べたとしても世界のほんの一握りの人にしか理解できないだろう。

・書かれているのは、フェルマーの最終定理に病的に取りつかれた数学者たちの人生ドラマについてや、フェルマーの最終定理がいかに難しいかについて、数学という学問の難儀さについて、世間にどういう影響を与えたのかという歴史についてなどがドラマチックに描かれている。マジでドキュメンタリー番組的だった。

・本を書くにあたって、あちこちに足を運んで、色んな人に話を伺ってるのも、ジャーナリストらしくてすげ~

・数学に疎い一般人向けの本なので、皆も読んでみそ。


・賭博覇王伝 零

 面白いから全部読みはしたけど、福本先生の他の漫画の激烈な面白さに比べると微妙。偉い人から課される理不尽な難題を解いていくようなお話だが、フェア性に欠ける。ギャンブルもするけど、審判が最も武力的/権力的に強くなくてはいけないというギャンブル漫画の基本原則(だと個人的に思っている)が無視されている。


・ダンピアのおいしい冒険

#ダンピアのおいしい冒険

主人公が、あまりにもかわいい……

・ジャンルは時代劇で、舞台は17世紀のイギリスをスタートとしている。

・どれくらい史実に忠実な漫画なのかは知らないけど、主人公は世界で初めて世界3周をした偉人ウィリアム=ダンピアだ。その人は、多くの植物、動物、食べ物、調理技術等について書き残し、後世のあらゆる人物や物事に大きな影響を与えたすごい人で、その人の一生を半フィクションで漫画に落とし込んだのがこの漫画だ。

・それにしても作中のダンピアの顔は可愛いにも程があり、液晶画面を舐め回したくなる衝動を抑えながら漫画を読み進めた。しかし実際のダンピアの肖像画をググって見てみると、フツーにオッサンなのでシュンとなる。

・「ダンピアのおいしい冒険」というタイトル通り、色んな土地を訪れては、その野生動物を捕食して調理してみる描写が挟まる。その捕食自体はストーリーの主軸を直接左右はしないけど、捕食によってキャラが質量を帯びてくる。

・この漫画においては、キャラは血尿も出すし、壊血病にもなるし、寄生虫にもかかるし、医学も発達してないから、イグアナを食えば良いだとか、血を抜けば良いだとかと憶測で治療するし、保存食のマズい塩パンも食うし、野生動物も食うし、マジで創作において都合の悪い要素から目を背けずに人間という歩く血袋をリアルに描ききっているのだ。

・未知の島の博物に興味を示し、全てを紙に記録し、血反吐を吐いても泥を啜っても生還し、記録を著作として発表しようというその姿が、あまりにも美しい。私はそういうアーカイブ欲がある人が好きだ。

・ゴールデンカムイにも似た面白さがあった。人間をちゃんと血袋として扱っていた。

・17世紀のイギリスや、明治40年の北海道のようなあまり馴染みのない世界が舞台でも、食生活と疾患を描くだけで舞台やキャラが質量を帯びてくるし、ちゃんとその時代に興味のある作者によって描かれている漫画なんだなという信頼にも繋がる。今気づいたけど、僕って時代劇好きだわ。



・さて、今日も元気に、質問に答えていきましょう。

・①については、何が質問したいのかが固まっていないようです。宇宙が理解できないと仰りますが、では宇宙以外に理解できているものが一つでもあるというのでしょうか? あと、私たちが存在している場所は地球です。でも恐らく、そういうことが訊きたいのではないのでしょう。

・①は哲学、②は脳科学あるいはディープラーニングについての本を読むと解決すると思います。僕が哲学や脳科学について自分なりに考えて答えを出しても、それは既に先人によって言及され尽くしていることだと思うし、車輪の最発明(それも、おそらく初歩の初歩の部分)にしかならないと思います。

・では、恥ずかしげもなく車輪の最発明で回答していきますが、②に関して言えることは、そもそも意識や認識というのは、ただの電気信号だということです。

 ディープラーニングについて学ぶと、人間の脳の神経を模して作られたニューラルネットワークというモデルを用いたAIの、思考や学習のプロセスが、人間のソレと同じ性質であることがわかります。

 ニューラルネットで動くチャットボットが自発的に「おれは意識があるな」と言ったらもうそれは人間が「おれは意識があるな」と言っている状態における「意識とされるもの」と同じものを有しています。我思う、ゆえに我ありですね。

 たまに、「AIに意識はあるのか? AIに意識がないとしても、そもそも人間に意識があるとも言い切れないのでは?」という疑問を随所で見かけます。それは機械が人間と同じ意識を持っているという事実が受け入れられていない今の時代だからそのような議論が発生するのであって、もう少し技術と倫理観が進めば「意識って、ただの電気信号だよね」という価値観が大衆にも受け入れられる日が来ると思います。鉄腕アトムを純粋に楽しんで読めるのは今だけです。

 「生物にはあるけど機械にはない、魂のようなもの」があるのだろう/あって欲しいと思う人は多いことと思いますが、個人的には、生物もタンパク質でできた高精度なロボットなのであって、そこに魂の様なオカルトチックなものはないと思います。

 結論が遅れましたが、意識も認識も同じ電気信号でしかないと思います。それらの言葉の定義は各位が勝手にすればいいと思いますが、言葉の定義を多少変えても本質的には意識も認識も同じだと思います。




・科学について学ぶと、幽霊が存在しないという根拠が、内心で強固なものになると思う。

 脳科学を勉強すると、意識というのはただの電気信号なので、意識が死後に残留するわけないよねということがわかると思う(脳科学エアプ)。

 集団遺伝学について学ぶと、「死者の出た場所を恐れることによる生存優位性があるよな」とか「死後の世界を尊ぶ集団の方が生前に利他的な行動を行うし、殺人も減るから生存優位性があるよな」とか、幽霊がいると錯覚することによるメリットがわかると思う(集団遺伝学エアプ)。

 あと、光学とか音響学について学んでもそうなんじゃないかな(適当)。幽霊が光が屈折するということは質量があるよねとか、無から音が発生するのはエネルギー保存の法則に反するから、幽霊の声帯を震わせるためのエネルギーがないとおかしいよねとかがわかると思う(どちらもエアプ)。

 仮に幽霊が無から音を出せるなら、幽霊になったおれは永久機関の発明に協力するよ。


・(笑)


・引き続き質問をお待ちしております。

・おわり

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