ひとくちエッセイ集⑦

・1900字弱

・だからそれはツイートなんだって


ジャムの法則を毎日ひしひしと感じている……何を消費するときも選択肢が多くて困る。全部3択くらいになってくれた方が生きやすい気がする。

【仮説】
インターネットの発達により、恋人の候補者が増え過ぎて、ジャムの法則によって、恋人を作りづらい世の中になっているのでなかろうか。10人の異性から恋人を選べる状態と、100万人の異性の中から恋人を選べる状態とではどちらが幸福なのかというと、実は前者なのではないだろうか。
 恋人を探そうと思ったら、ネットでなくリアルでどこかしらの集団に身を置いて、その中で一番魅力的になればいいのではと思っている。恋愛経験に乏しい一個人による仮説に過ぎないけど。

Twitterでは稀に「国語を学んだからこそ、メロスを改変したり、山月記をスラング化して笑えるんだ。だから国語を学ぶ意義がある」という旨のツイートがバズっていることがあるが、これは違うと思うよ。その構文の「国語」の部分に何を入れても文が成立する故に、国語固有の重要性を説明できてはいない。国語を学ぶ代わりに神話を学んでいれば神話ジョークを共有できたはずだし、法学を学んでいれば法学ジョークを共有できたはずである。

国語の教科書に出てきたセンテンスをスラング化する行為がTwitterでは「教養深いジョークだ」とされる風潮があるが、その面白がり方は淫夢厨と本質的に同じ。

Xのページタイトルに「Xユーザーの○○さん」とついてるの、いらなすぎる

ハンディキャップ理論という理論がある。ガゼルが捕食者から逃げるときにあえて舐めた走り方をしたり、クジャクが派手過ぎる羽を持ったりしている理由は、「そういう縛りプレイをしても生きていけるほど自分が優れていること」を異性に誇示しているのだ。それで言うと、人間が妙に高い腕時計を好んで身に着けるのもハンディキャップ理論で説明がつきそうだ。生きて行くのに必要のない所に大金をつぎ込むという枷をつけ、その枷の大きさで自分がいかに優れているかを異性に誇示する。

 飯を「かぁ~っ! うめぇ~!」という顔でモリモリ食う人と、スマホを見ながら黙々と食べる人、どちらがより幸福だろうか? 答えはわからない。もしかしたら後者の方が美味しさを噛みしめているかもしれない。幸福という感情は外からはわからないのだ。

 笑顔で水族館を歩くカップルがいたら、それは素直ではない笑顔だと思う。水族館から得られるInterestingな面白さは、笑顔になるようなFunnyな面白さではないと思う。でも、無表情だと飽きているみたいに空気になってしまうから笑顔を絞り出しているのだろうかと思うなどしてしまう。もしそうなら、それは素直でないことだ。

 卓球など、一人が一つの道具を購入するタイプのスポーツの嫌いな所、経済力が強さに含まれる所。これは(競技としての)TCGもそう。TCGは子供のコミュニケーション欲やコレクティング欲を満たす娯楽としては優れているけど、経済力が勝敗を左右する大きな変数である以上、スポーツ性は低いと思う。

 「嫌われるか好かれるか」という評価軸は、善悪という評価軸とは似て非なるものなのだけど、その二つは重なっている部分が多いからか、しばしば議論上で混同されて扱われる。「嫌われるけど悪ではない行動」は世の中にたくさんあり、それは哀しいことだ。例えば、新卒の就活面接で金髪ピアスをするのは、悪ではないが嫌われる行為だ。

機運という言葉が便利でよく使ってしまう。意思決定って、複数の変数によってされるので、例えば就活面接で「なぜ弊社を志望したのですか?」と訊かれても、厳密に答えようとしたら「複数の変数について考えた結果、デメリットよりメリットの方が大きかったためです」という回答になるだろう。そんな感じで、複数の変数が追い風になっていることを「気運が高まっている」と言うとしっくりくる。

会話相手が理の通じない人だったときに、「徹底的に相手の論理的欠陥を指摘する」という選択肢と「会話を放棄する」という選択肢があり、どちらもそれぞれ別の理由で合理的だとは思う。自分は専ら後者を採用しているのだけど、前者だったらどんなに気持ちよく生きられたかと思う。

高校の頃、「風速5m/sの逆風の中で人間が時速2m/sで走っても、速度が-3m/sにはなりませんよね。だから速度は足し引きできるものという考えは厳密には間違いなんです」と言っていた物理教師、何度思い出しても新鮮に腹が立つな


・マガジンにしました。

・おわり




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