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ただしい人類滅亡計画 感想


#ただしい人類滅亡計画

・抽象的な #ネタバレ 注意

・すごいぞ。Googleで「反出生主義 本」で検索したらトップに出てくるぞ。

・私は中学の頃、「人類が存続する目的は?」「生きる理由は?」「死後はどうなる?」などの初歩的な哲学について考え、親に話していたけど、親はそういうのにめっぽう興味がなくてまともな議論にはならなかった。

 周囲の大人も「人類が存在する理由」について理解せず、ただ漫然と生活しながら生殖するばかりで誰もそれに疑問を呈さず、自分以外の人間は全員頭が悪いのだと思っていた。

 その中学時代の私にこの本を贈呈したら喜んで何周か読むと思う。君だけがそう考えてるわけではないのやで。


・この本は具体例による思考実験が多いため、哲学の話だけど飲み込みやすい。必要となる前提知識もないため、私の様な「哲学に興味はあるが触れたことが全然ない」という人向けではなかろうか。

・「フィクションをリアルたらしめる余計な装飾」をせずに思考実験を原液で垂れ流していたので、星新一のSFくらい読みやすかった。キャラ名もエヌ氏とかで良いんだよね。




・自分は哲学に興味はありつつも一歩も踏み入れたことがなかったので、道徳の扱いがここまで面倒だとは思わなかった。

・価値観を押し付け合っては生きづらくなるけど、道徳は押し付け合った方が生きやすくなるんだね。

 趣味趣向、結婚願望や出産願望の有無、性自認や性指向、金銭の使い方などは個人の価値観なので、それを押し付け合い、個人の領域を侵害しあっては生きづらくなる。

 しかし、エネルギーの浪費とか不法投棄とかフードロスとかその他環境破壊の話などは「価値観の違いを認めて尊重しようよ」では済まなくて、道徳を押し付け合った先に合意のラインを探るものだと思う。

 最も大規模な道徳の押し付けは、法律だろう。人を殴ったり物を盗んだりする行為は価値観の一種としては認めてしまっては治安が守れないために、国民にルールを押し付けている。

 「動物の搾取は避けるべきだ」というヴィーガニズムの考え方があるけど、これはヴィーガンからすると道徳なので押し付けるべきものだが、そうでない人間からすると価値観の一種なので押し付けられると不快だ。その意識のずれが今までの長い論争を招いているのだろう。

 風呂に入る頻度の議論もそうかもしれない。風呂に入るのは3日に1度でいいと思っている人間は、それを価値観の問題だと思っているが、風呂は毎日入れと思っている人間は、それを道徳の問題だと思っているために、意見を押し付けるな/押し付けても良いと解釈が分かれ、議論がすれ違うのだと思う。というかマナー全般がそうか?

 探せばもっとあると思う。価値観か道徳かの判別は難しい。

 私は学制服も喪服も資源の無駄だと思っているし、毛玉やほつれができた服を捨てるほど高い水準の身だしなみを押し付け合う風潮も資源の無駄になるのでおかしいと思っていて、これは道徳の問題だと思っているよ。

 でも私は、私よりエネルギーの浪費に厳しい人から「デジ絵を描くのも地球環境に悪い! デジ絵を描くのをやめろ!」と言われても拒否するから、結局は道徳というのは多数決で合意のラインを探るしかないのかもしれないとも思う。なんかもっと良い方法はないのかと、納得はできていない。




・何事においても、複数の選択肢があった際の意思決定は、メリットやデメリットを比較して行われることと思う。

 しかし、「自殺は引き止めた方がいいか、止めない方がいいか」「安楽死制度はあった方がいいか、ない方がいいか」「子供を産んだ方がいいか、生まない方がいいか」など、生死を左右する2つの選択肢があった際の意思決定は少し扱いが特殊だ。

 命がないということは観測者がいないということであり、幸不幸や善悪を評価できるジャッジがいなくなるということだ。よって、生死を左右する2つの選択肢は、メリットやデメリットを比較することができず、バグが起こる。


・幸福度を金額で例えればわかりやすいかもしれない。散歩して天気が良かったら+30円、転んでけがをしたら-100円のように、幸福度をプラマイの金額で表せるとしよう。理由が何であれ、分岐が発生するなら、分岐の左右で幸福度は違う。

 その場合、「自殺する」や「自分が雷に打たれて急に死ぬ」「親が自分という子供を産まない」など命の有無を左右する分岐の幸福度は、もう片方の分岐と比べてプラマイ何円だろうか?

 私が思うに、命がないというのは幸福度を評価できる観測者がないという特殊な状態なので、円という概念すらないと思う。プログラミングで言えば幸福度がUndefinedになるのだ。

・幸福度が存在しないために、他の選択肢の幸福度と比較することができない。100円とUndefinedではどちらが幸福か? と比較することはできない。

・つまり「観測者の有無」を左右する2つの選択肢において――例えば、「自殺者は止めるべきか、そうでないか?」「安楽死制度はあった方がいいか、なかった方がいいか」「子供を作ることは果たして本当に良いことか、悪いことか?」など――は、選択肢を比較するとバグを起こすために意思決定できない! というのが個人的に納得している結論で、それ以上の結論が出るとは思えない。

 皆は、どうにか「生と死ではどちらが良いのか」について比較しようと頑張っているけど、泥沼である。ギリシアの3大作図問題を解こうとするくらい泥沼である。「解なし」も解である。

・「ただしい人類滅亡計画」においては、それ以上納得できる結論は出なかったので、私個人にとってはあまり刺さらなかった。でも議論の過程はお見事な内容だった。


・補足しておくと、観測者本人以外からの目線でのメリットやデメリットは比較できると思う。つまり、「自殺者は止めるべきか、そうでないか?」という議題があったときに、本人が幸福になるか不幸になるかについては客観的な結論は出ないが、「電車が止まるから止めるべき」「僕が悲しいから止めるべき」という、当事者以外の幸不幸や善悪のみを照らし合わせるなら、客観的にメリットやデメリットを比較できる。

・そのため、「人類滅亡スイッチがあったら、押した方がいいか?」という議題について客観的な結論を出すためには、宇宙人に意見を訊く必要がある。宇宙人だけが人類滅亡後の観測者だからである。←あまりにも思考実験の趣旨に反した面白くない回答すぎるが……



・おわり

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