【日記2024/4/6】ひとくちエッセイ集⑪

・1200字弱

・だからそれはTwitterなんだって。


 「傷つく」という表現は、場合によっては嫌いだと思った。
 例えば「脅迫されて傷ついた」「私に関する嘘の悪評を吹聴されて傷ついた」という表現は問題ないと思うけど、「頼み事を断られて傷ついた」「無視されて傷ついた」「逆カプが視界に入って傷ついた」とかは、加害をされていないのでダメな表現だと思う。ストレスを受けただけのことを、さも被害を受けたかのような含みのあるレトリックで表現するんじゃあないよ! と思ってしまう。

 法と道徳をごっちゃにしないでほしい。法は法、道徳は道徳。

 ネットでは日々「主観をさも客観かのように書くレトリック」が研究されている。研究している本人は、研究している自覚がないだろうけど。この前ネットで、優れたレトリックを見かけたので共有しておきたい。
 とある人が、とある議題について「それは別にいいんじゃないの?と私は思うのだけど、道徳的にはダメらしいです」と言っていた。これは「私は道徳的にダメだと思うよ」の高度な言い換えです。

「社会人初日なのに寝坊/遅刻した」という表現、嫌いだな~。社会人初日ってなんなら最も寝坊/遅刻する可能性が高いのでは?
 「第一印象がマイナスからスタートするのがダルすぎて、初日に寝坊したから出社するのを諦めて、そのまま退社した」という事例、よく耳にするが……

 私が通っていた大学は割とアホちゃん大学だったのだけど、「アホちゃん大学の、起業家志望の学生あるある」言っていいですか?
 あのー、成功したい(←?)だとか自分がアイデアマンであることを証明したいという欲ベースで起業家を志しているから、顧客からの需要とか競争での優位性とかに興味がなく、マネタイズがガバガバの夢アイデアを量産しがち。
 そういう人って割と「自分が帰属意識を持っている集団が大きくなったら嬉しい」という、社会目線で見たら無益な欲求のために、自分の所属する組織(大学のサークルなど)を必要以上に大きくしたがっていて、しょうもないと思っている。
 何においても、「ものづくりしたい」「立派になりたい」「自分がいかに優れているか顕示したい」という欲だけで動く人は成功しない傾向にあると思う。

 なんか個人的に、自己表現が目的のクリエイトをしてる人が苦手で、歌を聴いていても、なんか「作品を通して作者のことを好きになって欲しいというの臭い」がする歌が苦手だ。その点、ボカロはの臭いが消臭されていていいね。
 ボカロ曲の歌ってみた版は陶酔した歌声である場合が多い。
 あの~、カラオケで歌が上手い奴だと思われたい場合、まずは「自己表現をしたい」という陶酔をなくすといいのかもしれないね。いや、カラオケって自己表現をして陶酔するのが目的の場所なのだけどさ。


・おわり

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?