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おもんない奴は存在しないけど、おもろさを見出してもらえるほど世間は優しくない


タイトルはちょっと前に感じたこととしてつけてみた。


おもんない奴とは………
色々あると思うけれど、めちゃめちゃ雑に言語化すると「話しててつまんない」やつだと思う。

でもでも私自身、この世の中におもんない奴っていないと思うんだ。
みんな何かしらミステリアスな部分だったり、個々人が持っている不条理な感性や熱意、美しさ、怠惰、あきらめが生きていく中で心の内にいくつも芽をだしていて、探っていくと世の中の人って全員面白いと思う。
そう。探っていけばね………

人間という生き物は、大人になると相手を掘り下げて知ることに労力を使うことをしたがらない。
だって疲れるから。時にストレス、大敵だわ!!

「こいつにそこまでせなん?くっそ面倒、、」
その人を掘り下げて受け取るメリットや楽しさと、疲労を無意識に天秤に乗せて、その結果…疲労が勝ってしまう。
人だけじゃない。組織もそうやと思うし組織の場合はお金が絡むからかなりシビア。
こいつ、うちの会社におってもおもろくならんわ~やめてもらお、とかね。余裕である。
見出してくれるほど甘くはないんだよね。

社会に出ると、表面上の会話が多くなっていくから「あ、こいつつまらんわ」ってなるスピードがすごくはやい。
そういうラベルを一回張られちゃうと、仕事のチャンスが回ってこなかったり、楽しめる環境を手に入れそこなったり何かと損するなぁとつくづく感じる。

「さ、俺を/私を探ってみなよ。面白いかもよ?」というスタンスだと一生損をするし疎まれる。

だからこそ自分の面白さは自分でいち早く発見して外に出したい。

私は好きな友達とお話しするときのための、会話メモを毎回用意している。
感じたことや起きたこと、自分のこと、面白かったことをなるべく詳細に伝えたいのと、これからもずっと仲良くしてほしい、自分のことを面白いと思っていてほしい、もっと私を知ってほしい、何か面白いことがあったら声をかけてほしい、一緒にいたら面白そうと思ってほしい…………というエゴなんだけどね。

要は関係性を豊かにするチャンスがほしいので、好きな友達に会うときは用意したりする。

これがいいか悪いかはわからない。

ただ、自分の面白さぐらい自分で発掘し、外に出すのだ!というそれだけのこと。

読んでくださりありがとうございました。

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