ぼんやりとした小説を書いています。

疲れきった天国  1

「飲んで良いよ」

 そう言って、コンビニから戻ってきたマキオが渡してきたのは缶チューハイだった。私は顔を歪めながらもそれを受け取る。勢いよくプルタブを引くと空気の抜ける音が車内に響き渡った。夏の夜だけが持つことを許されている密度の濃い空気が、冷えた缶にまとわりついて、水滴となり私の手や肘を濡らした。

 ひと夏の恋も、欲望も、嫉妬も、幸せも、まどろむような疲労感も、すべてをごちゃまぜにして、なん

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海に連れてって。今すぐに

車は暗闇の前で震えながら停まった。

「ついたよ」

シフトレバーをパーキングに押し込みながら言うと、助手席で眠っていたユリは目をこすって短く息を吐き出した。たぶん笑ったのだと思う。暗くてよく見えなかった。車内のライトをつけると彼女は片目をつぶって眉を寄せた。

「まぶしい」

手足を伸ばしながら言う彼女からは、俺と同じシャンプーの匂いがする。

おとこ物の、清涼感の強いその匂いでさえ、ユリが纏う

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過去を抱いて今は眠るの 6

「な、なにそれ?どうなってるの?」 

 宮園恵(ミヤゾノ メグミ)は座っていた座布団から身を崩し、顔を引きつらせながら後ずさった。

 顔面を殴られたはずの冷原一(セイライ ハジメ)は、他人事のように頭の後ろをぽりぽりと搔いている。

 「お前が言うところの幽霊ってやつだ。だからハジメには触れることはできない」

 渡良瀬誘(ワタラセ イザナ)は下を向いて、頭を押さえた。絞り出すように放たれた言

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彼は独りで甘く眠る

握りしめていた手のひらの中で、「秘密」がぐにゃりと溶け出しはじめた。

 私はそれに気づきながらも、手を開くことはしなかった。かわりに息をゆっくりと吸い込み、あいている手で筆を動かす。

 私の体温で少しづつ形を失ってゆくそれは、甘いミルクの匂いを漂わせながら、彼の存在を色濃くさせてゆく。居ないはずなのに、彼が近くに居るのだと、つい錯覚してしまう。そのたびに私の心臓は小さく高鳴り、必ず痛みを連れて

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でんきくらげ

ちょうど十二時の鐘が鳴って、僕は本を破る手を止めた。

 口の中に放り込んだものを咀嚼し、飲み込むとタイミングを見計らったかのように「ねぇねぇ」と声が聞こえた。

 声は上からだった。

 顔を向けると、街頭の上に一人の女の子が立っていた。ジーパンに白のティーシャツというラフな格好だ。しっかりと僕と目が合っている。中庭で時々見かける子だった。

 彼女は街灯に取り付けられているハシゴからするすると

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過去を抱いて今は眠るの 5

「返して、寂しい、返して、私の、冷たい、取らないで、誰か、独りぼっち、返して・・・」

 渡良瀬誘(ワタラセ イザナ)は支離滅裂な単語をぶつぶつと呟いている。顎に手を当てて、何か考え込んでいる様子だった。

 そんな不気味な行動をとるワタラセを目の前に、宮園恵(ミヤゾノ メグミ)は膨れ上がる恐怖心を止められずにいた。

 自分の表情が強張ってゆくのが手を取るように分かる。

「何言ってるの?ねぇワ

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疲れきった天国  1

「飲んで良いよ」

 そう言って、コンビニから戻ってきたマキオが渡してきたのは缶チューハイだった。私は顔を歪めながらもそれを受け取る。勢いよくプルタブを引くと空気の抜ける音が車内に響き渡った。夏の夜だけが持つことを許されている密度の濃い空気が、冷えた缶にまとわりついて、水滴となり私の手や肘を濡らした。

 ひと夏の恋も、欲望も、嫉妬も、幸せも、まどろむような疲労感も、すべてをごちゃまぜにして、なん

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海に連れてって。今すぐに

車は暗闇の前で震えながら停まった。

「ついたよ」

シフトレバーをパーキングに押し込みながら言うと、助手席で眠っていたユリは目をこすって短く息を吐き出した。たぶん笑ったのだと思う。暗くてよく見えなかった。車内のライトをつけると彼女は片目をつぶって眉を寄せた。

「まぶしい」

手足を伸ばしながら言う彼女からは、俺と同じシャンプーの匂いがする。

おとこ物の、清涼感の強いその匂いでさえ、ユリが纏う

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過去を抱いて今は眠るの 6

「な、なにそれ?どうなってるの?」 

 宮園恵(ミヤゾノ メグミ)は座っていた座布団から身を崩し、顔を引きつらせながら後ずさった。

 顔面を殴られたはずの冷原一(セイライ ハジメ)は、他人事のように頭の後ろをぽりぽりと搔いている。

 「お前が言うところの幽霊ってやつだ。だからハジメには触れることはできない」

 渡良瀬誘(ワタラセ イザナ)は下を向いて、頭を押さえた。絞り出すように放たれた言

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彼は独りで甘く眠る

握りしめていた手のひらの中で、「秘密」がぐにゃりと溶け出しはじめた。

 私はそれに気づきながらも、手を開くことはしなかった。かわりに息をゆっくりと吸い込み、あいている手で筆を動かす。

 私の体温で少しづつ形を失ってゆくそれは、甘いミルクの匂いを漂わせながら、彼の存在を色濃くさせてゆく。居ないはずなのに、彼が近くに居るのだと、つい錯覚してしまう。そのたびに私の心臓は小さく高鳴り、必ず痛みを連れて

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でんきくらげ

ちょうど十二時の鐘が鳴って、僕は本を破る手を止めた。

 口の中に放り込んだものを咀嚼し、飲み込むとタイミングを見計らったかのように「ねぇねぇ」と声が聞こえた。

 声は上からだった。

 顔を向けると、街頭の上に一人の女の子が立っていた。ジーパンに白のティーシャツというラフな格好だ。しっかりと僕と目が合っている。中庭で時々見かける子だった。

 彼女は街灯に取り付けられているハシゴからするすると

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過去を抱いて今は眠るの 5

「返して、寂しい、返して、私の、冷たい、取らないで、誰か、独りぼっち、返して・・・」

 渡良瀬誘(ワタラセ イザナ)は支離滅裂な単語をぶつぶつと呟いている。顎に手を当てて、何か考え込んでいる様子だった。

 そんな不気味な行動をとるワタラセを目の前に、宮園恵(ミヤゾノ メグミ)は膨れ上がる恐怖心を止められずにいた。

 自分の表情が強張ってゆくのが手を取るように分かる。

「何言ってるの?ねぇワ

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