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悲しみが潜む場所の話。

 私は年に一回。洗いたくなった時にカーテンを洗う。狭い浴槽にカーテンを詰め込み、水を張る。しばらくすると水が、みるみる濁っていって面白い。このオレンジ色のカーテンを洗うのは今年で5回目だった。

 5年前、私は今住んでいる場所に引っ越してきた。

 高校生だった私は人生初めての引越しに戸惑いながらも、家に詰まっていた物が全て引っ張り出され、ダンボールに仕舞われてゆくのを見て楽しんでいた。捨てられなかった手紙や小学生の時牧場で貰った牛乳瓶。割れたビー玉。匂いのついたケシゴム。お気に入りのスノードームコレクション。私で止まってしまった交換日記。色の薄いプリクラ。誰かとお揃いだったミサンガ。それらを捨てたり、箱に戻したりしながらその日を指折り数えていた。そして新しい本棚と、オレンジ色のカーテンを買った。

 引越しの日。それは、東日本大震災が起こった日だった。

 私はあの時、灯油がなみなみと入っている赤いポリタンクを3階の引っ越し先へと運んでいた。全ての家具の搬入が終わり、業者に挨拶を済ませ、私だけが新しい家になる場所に居た。

 ベランダに出ようと冷たい鍵に手をかけた時、風がガラス戸を激しく揺らしているのに気づいた。ごうごうと音がなっていた。さっきまでこんなに風は強くなかったはずだ。そう思い顔を上げて外を見た。駐車場に並べられている木々は、凪ぐことはなく、絵のように静止していた。けれど、窓は風が揺らすようにカタカタと細かく音をたてていた。何かを察知した黒点が、蠢くように空に散乱していた。無数のカラスだった。

 そこからの私の行動は早かった。

 何か良くないことが起こるから、逃げようと走り出していた。赤いポリタンクを放り投げ、玄関を目指した。

 積み上がっている茶色いダンボールが何度か私のふくらはぎを引っ掻いた。

 ごごごごと何かが這ってくる。私は蒸発を待つ水を連想していた。ぐつぐつと今にも煮え立ちそうな水を。

 玄関にたどり着き、ドアを開けた頃にはもう走ることはおろか立つことも危うい状態だった。大地が完全に沸騰していた。私は階段を駆け降りたい衝動を抑えながら、建物の中へと身を戻した。身近にあった柱に捕まって、静かに耐えた。声すら出せなかった。揺れで歯がガチガチとなり、下を噛みそうだった。

 さっきまで運んでいた重いポリタンクが金魚のように飛び跳ねていた。積み上げられていたダンボールも崩れ、サラダの上に乗ったクルトンみたいに軽々しく舞っていた。

 私が数秒前立っていた場所には、大きな食器棚が倒れ込んでいた。

 揺れが収まり、急いで階段を駆け下り両親と妹と合流した。

 日が沈むにつれて雪が激しく降った。前も見えづらいほどに。

 寒くなって私は車に入りカーナビを付た。緊急ニュースがヘリコプターで撮った地上の映像を流していた。それをぼんやりとした気持ちで眺めていた。小学校の時バスケットボールをするために毎週通っていた体育館が、何か灰色のものに覆われてゆく。覆われて見えなくなって、私はそこで事態の深刻さに気づいた。

 あの体育館は私の思い出そのものだった。床が綺麗な木でできていて、隅には平均台が2本があった。私はそこにタオルをかけたりしていた。ドアが重くて始めは開けるのが大変だった。一日中練習がある日は、お昼休みにかくれんぼをして遊んだ。練習後にはお菓子がもらえた。競争するようにやった雑巾がけ。いつもひんやりとしていた倉庫。ブルーシートを硬い体育館の床に敷いて、みんなで食べるお弁当が好きだった。いつの間にか忘れてしまっていた。

 夜になり、電気のつかない日々が少し続いた。日が明るいうちはダンボールの中を取り出す作業ばかりしていた。スノードームは全て割れしまっていた。振ればキラキラと輝く世界はどこかへ消えて、全て古びた遊園地のように見えた。外ではヘリコプターの音がうるさかった。

 公衆電話に長い時間並んでおばあちゃんに連絡をとった。待ってる間にどんどん日が沈んでいった。みんな不安そうな顔をしていた。星だけが綺麗だった。

 ガスはしばらく使えなかったけれど、水と電気はほどなくして使えるようになった。夜に電気が使えるようになり、私はそこでようやくオレンジ色のカーテンをつけたのだった。日常が早く戻りますようにと思いながら。

 私は洗いたくなった時にカーテンを洗う。

 一年分の汚れをほどき、カーテンが水を濁らせる。それを浴室の排水口に吸い込ませながら、私はあの日のことを考えてしまう。考えて少し悲しくなる。けれど、いつも通りの生活の中で少しづつ忘れてゆく。

 思い出しては忘れ、思い出しては薄れ。悲しみは浮き沈みしながらも、ひっそりとオレンジ色のカーテンの中に潜んでいる。

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