見出し画像

美しい魔法。2

 双子として産まれるはずだったカオルは、成長する途中でお母さんのお腹の中で死んでしまったらしい。

 私はお母さんのお腹の中で、カオルの出来かけの肉体を吸い取ってすくすくと育ち、産まれてきた。カオルの肉体は今も健やかに私の一部として、脈打ち、生きている。

 そして肉体を持たないカオルの魂は私の前へと現れた。産まれてからずっと、ずっと私の隣に居る。私とそっくりな顔で私と一緒に成長してゆく。鏡のようだった。そのくらい近く、深く、私とカオルは繋がっている。

 彼が他の人に見えないのだと、私ははじめ理解できなかった。幼稚園の頃、私の独り言や虚言癖を両親はひどく心配し、悲しんでていたから、私たち、いや、私は神様にお願いしたのだ。喋らなくてもお互いが、感じあえる美しい魔法を。

 あの日。そう、モンシロチョウがゆらゆらと飛んでいるような平和な日。幼稚園にある檸檬色のカーテンの影で、私とカオルはこっそり秘密のキスをした。唇と唇を触れ合わせるだけの、優しいもの。

 その瞬間カオルの感情が、全身に沁みわたり、混ざり合ってゆくのを感じた。私は幸福だった。

 ふわふわとした心持で、外を見ると、薄紫色の雲の切れ間から光が差し込んでいていた。私はその綺麗な光景を見た時、唐突に神様が私の願いを叶えてくれたのだと。幼すぎる私たちに魔法をかけてくれたのだと、そう信じて疑わなかった。

 そしてなんとなく、だが明確に直感していた。この幸福な関係にハサミを入れるのはカオルではなく自分なのだと。

 「誰も居ないから大丈夫だよ」そう言って、霧が立ち込める池のほとりで私はカオルの手を取りながら、そんな大切な事を思い出していた。忘れていたわけではない、しまい込んでいたのだ。胸の奥深く、カオルですら入り込めない私の心の深い闇。その中に、放り込んで、蓋をして、目をつむっていた。

 霧はよく目を凝らしてみると白い細やかな粒状で、その小さな粒がカオルの産毛に細かく散って光っていた。そのせいでカオルが光を発光しているように見える。幻想的で、儚げで、けれど、こんなにもはっきりとカオルは私の前で実在している。なのにどうして彼はこの世に存在を許されていないのだろう?どうしてカオルじゃなく、私が生きているのだろう?

 「カオリ」

 カオルが私の名前を呼んだ。心臓が痛くなるほどの悲しい声。

 「カオル」

 できるだけ落ち着いて、彼の名前を呼ぶ。どんな表情をしていいのか分からない。ただ、少しでも視線を揺らすと涙が溢れそうだった。

 悲しくて仕方がないのに、私は不思議な確かさで感じていた。今からカオルが消えてしまうということを。

 「魔法が解けちゃったね」

 私の呟きにカオルは「そうだね」とだけ言った。自分から言ったのに、肯定されたことで頭から血の気が引いて行くのがわかった。

 カオルが普通の存在ではない。そう、頭ではなく心で理解するのに、物分かりの悪い私は随分と時間がかかった。本当は、14歳になりたての今でもよく分かっていない。ただ、中学のクラスメイトと接してゆくうちに、私が異常なのだということを、日々の生活の中でまざまざと思い知らされた。

 人とは違うのかもしれない。ただそれだけの疑問が、カオルに対する恐怖に変わっていった。ほんの少し、たった小さじ1杯にも満たない恐怖心。それはむくむくと膨れ上がり。私は昨日、初めてカオルが怖くなった。それがいけなかった。私は彼の存在を否定してしまった。

 魔法が、電波の悪いラジオのように、静かに途切れてゆくのを感じた。あぁ、私は1人になってしまうのか。それがどんなに恐ろしいことか、私は身震いする。

 「僕は今、初めて君が怖いよ」

 カオルが私に向き合い、私たちは見つめ合った。視線が揺らぐ、こらえきれなかった涙が熱い塊となって私の頬を転がってゆく。それを拾うように彼は私の頬を撫でた。

 「カオリ、もうお別れの時だよ」

 彼は全て悟っているようだった。いつもよりずっと幻みたい。触れれば消えてしまいそう。けれど、私はカオルの細い首に腕を回す。そうでないと霧に紛れて居なくなってしまいそうだったから。嫌よ。絶対に嫌。行かないで、お願いだから、行かないで。1人にしないで、私も連れて行って。

 そう願いながら、私は自分の半分が引き裂かれてゆくのをじっくりと感じていた。カオルは別れの言葉をつらつらと述べている。私は自分の泣き声で彼の繊細な言葉がかき消されないようにこらえているので必死だった。

 私は清く、美しくなんてない。あなたの体を奪って生き延びた、挙句の果てにあなたを心の奥で恐れていた。

 お願い事も、約束事も全部守ってなんかやらない。だから、どうか怒りに来て。暴力を振るわれたっていい。呪いにきてくれてもかまわないから。さよならなんて言わないで。

 「じゃあね、ばいばい。ずっと愛しているよ」

 カオルから発せられた決定的な永遠の別れの言葉に、私は頭が真っ白になった。

 「まって!行かないで・・・!」

 もう一度、顔を見せて。さよならなんて、嘘だって言って。カオルに触れていたはずの手が、どろりと重力に従い地面に落ちてゆく。あるのは絶望的に深い霧。底のない池。それと先の見えない孤独。たったそれだけ。

 そこにカオルはもう居なかった。

 さようなら、それすら言葉で言えなかった。

 全て私のせいなのに。私が望んだせいでカオルはずっと私のそばに居てくれた。キスをして、彼の魂は私にとらわれてしまった。そして、今度は私の勝手でカオルは消えてしまった。

 ごめんなさい。私はカオルのことを忘れることなんてできない。きっと、大人になっても、おばあちゃんになってもずっと覚えている。

 2人の間で、2人にだけしか通じない美しい魔法。それを解いてしまったのは私。そして、カオルを殺してしまったのも私。これは罰なのだ。何もかも孤独な世界で1人生きていかなくてはならない。私は半分死んでしまった心を取り戻す術を知らずに、声を上げて泣いた。

 さようなら。たった1人の愛おしい片割れ。

 私はきっと自分のことを呪い続ける。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?