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キラキラとは程遠い。3

 初めてのキスはあっけなくて、大したものじゃなかった。

 道端で知らない人と肩がぶつかり合ったような、その程度の衝撃。何の高ぶりも感じない。タケオはただ固まっていて、呼吸すらしていなかったと思う。きつく結ばれた彼のまぶたがなんだか面白くて、私はそこに唇を押し付けてから、ちゃんとキスをした。

 いつもと違う何か素敵な事が起きるかと思ったけれど、そんなことはなかった。

 空はどんより曇っていたし、夏の風は生ぬるい。昨日降った雨の残りが蒸発して辺りに青臭い匂いを漂わせていた。帰り道の雑草だらけのさびれた公園で、私はどうしてこんなくだらない事をしているのだろう。

 「つまんないの」

 溜息を織り交ぜながら呟いた。ただ突っ立っているタケオから身を離すと、固まっていた彼の瞳が眩しいものを見るかのようにゆっくりと開いた。目が合った頃には、誰に向けて呟いた言葉なのか分からなくなってしまっていた。タケオに言ったようにも、自分自身に言い聞かせているようにも思える。

 「ご、ごめん」

 タケオは相変わらず小さな声で、叱られた犬のような顔をしている。別に怒っているわけじゃないのに、そうやって無意味に謝られると舌打ちをしたくなる。

 「それ。すぐ謝る癖、辞めたらいいのに」

 「あ、そうだね。ごめん」

 ほら、また。私が眉間にしわを寄せると、タケオはより一層しゅんと小さくなった。

 告白したあの日から、タケオとの奇妙な関係は意外にもすんなりと進んでいる。そう思っているのは私だけかもしれないけれど、それでももう2週間ほどになる。

 私の約束通り月曜日からお互いの用事がない日はこうやって一緒に帰るようにしていた。でも、タケオは週に2回美術部の活動があるし、金曜日は甘い玄関と大好きな2人が私を待っているから一緒に帰れたのはほんの数回。タケオは話をしてみると普通の男子だった。ただ気弱なだけで、それ以外は取り立てて何もない。てっきり帰宅部だと思っていた彼が美術部に所属しているのを知ったのは付き合ってからだった。

 一緒に話をする時間が短かったのか、この2週間タケオは何も聞いてこなかった。

 あの体育館倉庫で汗を吹き出しながら頷くので精一杯だったくせに何も言わないで、就業の鐘が鳴るといつも下駄箱の影で私のことを待っていた。あんなにも強引な告白に、彼は何も思わないのだろうか。そう思い始めていた矢先タケオが行動を起こした。

 「ユメちゃん!あの。その、聞きたい事があるんだけど」

 最後の方は声が小さくてよく聞き取れなかった。私は手に付けていた髪ゴムを指でいじっていたから下を向いていて、彼がどんな表情で口を開いたのか見ることができなかった。タケオが私の手首をつかんでいる。息を飲み、顔を上げた。あまりにも驚いてしまったから。だってタケオが初めて私の名前を呼んだんだもの。

 「タケオって私のことユメちゃんって呼ぶのね」

 「あぁ、ごめん。変かな・・・」

 「変っていうか。他の男子は私のこと苗字か呼び捨てで呼ぶのに、タケオくらいだよ。名前で、しかもちゃん付けなんて」

 自然に笑いながら言うと、彼は俯いてしまった。タケオは私と付き合い始めてから、無造作に伸びていた髪の毛を思い切って切ったようだった。そのことに関して私はあえて触れていない。きっと指摘したら困ったような顔をするに決まっているもの。飛び跳ねていた栗毛は、この湿度でも目立たないくらいには収まっている。むき出しになった耳は、みずみずしいイチゴのような色をしている。こうなってしまったタケオになんて言葉をかけたらいいのか私はいつも悩んでしまう。

 優しくすればいいのか、俯かないように注意すればいいのか。私はやんわりと、タケオから自分の手首を外した。

 「で、聞きたいことって?」

 勢いよく顔を上げたタケオは、なんだか今にも泣きだしそうな表情をしていた。薄い眉毛は弱々しく下がり、唇は震えている。

 「どうして、その、僕なんかに告白したの?」

 こくはく。タケオの口から放たれたその言葉は、なんだかこの夏の暑さであっけなく溶けてしまいそうなほど繊細な物のように聞こえた。

 本当の理由なんて言えるわけがない。私はタケオの影にお姉ちゃんの彼氏であるイツキさんを重ねて見ている。

 中学生になりたての頃。私は何人かの男子に告白をされた。その中の数人と少しだけ付き合ってみたけれど、みんなイツキさんとは正反対の男子ばかりだった。サッカーが得意だとか、足が速いとか。制服を着崩して、ない個性を主張していたりだとか。彼らと話をする度に、お姉ちゃんの言っていた「私にしか分からない魅力」という、うっとりする言葉が脳裏によぎった。それが胸のあたりに霞を作り、釈然としないまま続いていた彼らとの関係は決まってすぐに終わっていった。

 彼らはママの作るお菓子みたいに整っていて一見別々の物に見えるけれど、知ってしまえば中身は同じようなものだった。

 いくら待ってもイツキさんのような男子は告白はおろか、私に話しかけてすら来なかった。だからできるだけイツキさんのに似ているクラスメイトを選んで「告白」に似た「宣戦布告」をしたのだ。それもタケオにではなく、自分自身に。私はこの理解できない感情を知るため、イツキさんとお姉ちゃんのような素敵な世界を気づきたいがために、自分自身に戦争を仕掛けた。だから誰でも良かったのだ。イツキさんに似ているようだったら、別に誰だって。

 「それ、言わなきゃダメ?」

 首をかしげながら、質問の意図を理解できていない感じを装った。きっと彼は「好きだから」とか「かっこいいから」なんてそんな甘い言葉を期待していたのだと思う。なんとなく分かってはいたけれど、くだらない嘘はつきたくなかった。一瞬タケオと目が合ったけれど、やはりすぐに下を向いてしまった。

 「いや、ごめん。言いたくないなら、言わなくていいよ。ごめん」

 いつもよりさらにしょんぼりしている彼を見て、気まぐれにも私の胸はほんの少しだけ、多分気のせいだと思うのだけれど、音を立てた。恋に落ちたわけではない。なんとなくだけれど、ほんのちょっとだけ楽しいかも。と思っていた。

 「じゃあ、やっぱり教えてあげる」

 ニコリと笑うと、タケオの顔は強張った。

 そして私たちは公園の隅っこで隠れるようにつまらないキスをしたのだった。イツキさんとお姉ちゃんがしていたのとは全く違う。何も生まれない、空っぽのキス。

 私には欲しいモノがある。それは素敵な世界。

 でも。

 私の現実は、ちっとも素敵なんかじゃない。

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