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過去を抱いて今は眠るの 4

 宮園恵(ミヤゾノ メグミ)が連れてこられたのは、体育館裏にある倉庫だった。

 昼休みに足を運んだ時と同じく、湿った土の匂いがまだ辺りに強く残っている。風が吹くたびに、伸び放題になっている雑草や木々が音を立てて、メグミの恐怖心をくすぐった。

 渡良瀬誘(ワタラセ イザナ)は慣れた手つきでワイシャツの胸ポケットから鍵を取り出し、真ん中の扉の鍵穴に差し込む。

 「ねぇ、なんでここの鍵なんか持ってるの?」

 メグミが聞くと、ワタラセは短い舌打ちをした。

 「関係ねぇだろ」

 突き放すようなその言い方に、少しむっとする。

 「教えてくれたっていいじゃん」

 メグミが睨み付けると、ワタラセはわざとらしく大きなため息をついた。

 「俺はお前に協力してやる。でも、慣れ合うつもりはない」

 固い口調で言いながら、ワタラセがゆっくりと振り返る。その視線に射貫かれ、メグミの背中がゾクリと震えた。

 凍てつくような目だった。

 メグミは何も言うことができずに、薄く下唇をかんだ。

 「いいか。だから面倒な質問もなしだ。余計な口は開くなよ」

 しばらくの沈黙のあと、ワタラセは突き放すように言って、倉庫の中に入っていった。

 メグミは重苦しい空気に、思わずため息を吐き、首を傾げた。

 ワタラセくんは私の抱える悩みを解決しようとしてくれている。けれど、どうも納得がいかない。見る限り協力的な態度ではないし、何なら私のことを疎ましく思っているようにも受け取れる。それなのにどうしてワタラセくんは私に協力すると言ってきたのだろう。それも一度断ったのに。

 「おい、いつまでそこに突っ立ってるつもりだ」

 ワタラセの言葉に、メグミは急いで倉庫の中に足を踏み入れた。

 倉庫は薄暗く、そのせいか扉の近くにあったガラクタに足を取られ、盛大に転んでしまった。

 「大丈夫か?」

 そんな声が降ってきた。

 あんなワタラセくんでも私のこと心配してくれたりするんだ。

 心底驚きながら顔を上げると、知らない人間がそこに居た。

 制服から同じ学校の生徒だということは分かるのだが、見かけたことのない顔だった。

 男は背が高く全体的に武骨そうな雰囲気だが、たれ目と吊り上がった眉毛とが相まって整った顔立ちをしている。そして何よりも髪の色に目が引き付けられた。

 「わぁ金髪だ」

 メグミが呟くと、金髪男は困ったような顔をして笑った。たれ目が細められて、一気に優しい印象になる。転んだ自分に声をかけてくれたのはこの人だったのかと、メグミは納得した。

 ワタラセに目をやると、興味がないのかソファーにふんぞり返り目を閉じている。

 あれ?彼はいつ、この部屋に入って来たのだろう?

 メグミは口を開きかけたが、質問するのをためらった。ワタラセに聞いてもどうせ嫌な顔をされて、ろくな説明も得られないに決まっている。

 「どこか痛むのか?」

 金髪男が心配そうにメグミの顔を覗き込んでくる。

 「あぁ!ありがとうございます。大丈夫です。転ぶの慣れてますんで!」

 笑いながら言うと、メグミは立ち上がり、スカートを手で払った。砂埃がぱらぱらと地面に散らばる。

 そのやり取りを聞いて、さっきまで目を閉じていたはずのワタラセが、フンッと鼻を鳴らした。

 「転ぶのに慣れるなんて、とんだ間抜けだな」

 「うるさいな」

 メグミが睨み付けても、ワタラセは涼しい表情で口の端を釣り上げて笑っている。

 「間抜けに間抜けと言って何が悪い」

 「人をどんくさみたいに言わないで!」

 「なんだ、違うのか?」

 メグミが言い返そうとすると、二人の間に金髪男が割って入って来た。

 「なぁイザナ、少しはここの掃除したらどうだ?」

 「俺しか使わないからいいんだよ」

 「また誰かが転んでケガでもしたら大変だろう」

 「転ぶのは、どっかの間抜けだけだ」

 それを聞いてメグミはいーっと歯を見せて威嚇したが、ワタラセは知らん顔をしている。

 「でも、彼女の座る場所がないだろ」

 金髪男はそう言うと、メグミに視線を投げかけた。賛同するようにメグミも頷く。

 ワタラセは心底嫌そうな顔を見せたあと、ソファーから立ち上がり、辺りに散らばっているガラクタを足で乱暴に避けた。そして、ガラクタの中に埋まっていた薄汚れた座布団を投げるようにして地面に置いた。

 「ほら、お前はここに座れ」

 気に食わないことは沢山あったが、地べたよりは良いかとメグミは座布団に正座した。

 目の前には、ソファーでふんぞり返りメグミを見下ろすワタラセが居る。なんだか王様に謝罪する庶民のような心持だった。

 ワタラセは満足そうに笑っている。

 「あのぉ、質問よろしいでしょうか?」

 メグミは逆なでされる精神を押さえつけ、挙手した。

 「言ってみろ」

 ワタラセが顎でメグミを指す。その態度にさらに腹が立ったがいちいち気にしていたら身が持たない。メグミはワタラセから金髪男に視線を移した。

 「いったい彼は誰なんでしょうか?」

 「冷原一(セイライ ハジメ)だ。イザナとは幼馴染だ」

 メグミの質問に、金髪頭のセイライが答えた。はっきりとした口調が清々しい。

 「なるほど、で。ワタラセくんが言っていた、会わせたいヤツとはこの方ですか?」

 メグミが言うと、ワタラセは呆れたような視線を投げかけてくる。

 「状況から考えて他に誰が居るんだよ、少しは考えろ」

 「確認のために聞いただけじゃない、ケチ」

 「面倒な質問はするなってさっき言ったばっかりだろ、聞いてなかったのか?それとも間抜けは耳がないのか?」

 「耳ならちゃんと付いてるよ!そんなことも見えないなんて、そのダサいメガネ捨てた方がいいんじゃないの?」

 「ダサッってお前!ふざけんなよ!」

 言い合う二人にセイライが口を開いた。

 「イザナ早く本題に入れ」

 ひどく落ち着いた口調に、メグミは思わず崩れかけていた正座をただした。

 ワタラセはズレた眼鏡を直し、長く息を吐きだした。

 傾きだした日差しが、赤く燃えるように部屋の中を照らしている。風が吹いて、外で草木が揺れる音がした。

 静かになった部屋で、ワタラセは射るようにして、まっすぐメグミのことを見つめだした。その真面目な表情に、思わず息をのんでしまう。気づいたときには、目がワタラセからそらせなくなってしまっていた。時折眼鏡の奥のワタラセの瞳が揺れ動く、メグミは何度か瞬きをしたが、ワタラセは一度も瞼を閉じなかった。

 ずいぶんと長い間のあと、ワタラセはその薄い唇を開いた。眉間にはしわが寄っている。

 「お前、子供から何か取ったろ?」

 いつも以上に訳の分からないことを言うワタラセに、思わず顔をしかめてしまう。

 「何の話?」

 「この高校に入ってからずっと気になってた。お前の周りには必ずその女の子が居る」

 ワタラセがゆっくりとした動作で、腕を上げる。

 人差し指がメグミの右横を指している。

 メグミは振り返り、ワタラセの指す方に顔を向けた。

 けれど、そこには誰も居ない。

 あるのは不気味な静寂だけだった。

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