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北別府学さん死去

◉成人T細胞白血病(ATL)を患っておられ、数年前から闘病を公表されてもおられましたが、ついに……。自分らの世代にとっては、小学校時代の強い赤ヘル軍団の不動のエースで、技巧派の代名詞でもありました。コントロールの良さはもちろんですが、強気のピッチングでメンタルも強い印象でしたね。ただ、ホームランもよく打たれていたイメージも。また、鹿児島県出身の選手で、北別府という珍しい名字も含めて、記憶にも記録にも残る選手でした。65歳は若すぎますね。

【北別府学さんが患っていた「成人T細胞白血病」とは 潜伏期間30~50年、60歳以降の発症多く】スポニチ

 元広島の投手で野球解説者の北別府学(きたべっぷ・まなぶ)氏が16日午後0時33分、広島市内の病院で死去した。65歳。鹿児島県出身。沢村賞を2度獲得し、2012年には競技者表彰で野球殿堂入り。20年に自身のブログで成人T細胞白血病(ATL)を患っていることを公表して以降、懸命の闘病生活を送ってきたが、ついに力尽きた。

 広島時代にエースとして通算213勝をマークした北別府氏は2020年1月に成人T細胞白血病を患っていることを公表。同年5月には次男をドナーとする骨髄移植を受けた。21年6月には転倒して側頭部を10数針縫い、尾てい骨を骨折。21年11月には大腿骨骨折が判明して人工大腿骨にする手術を受け、22年には3月の尿毒症に続いて6月には敗血症を発症するなど入退院を繰り返していた。

https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2023/06/16/kiji/20230616s00001173449000c.html

ヘッダーはnoteのフォトギャラリーより、広島球場の写真です。

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広島東洋カープといえば、山本浩二・衣笠祥雄の強力な打撃陣に、北別府学・大野豊・川口和久の三本柱が圧倒的でしたね。そして、ストッパーは津田恒美。1975年の優勝時の記憶はないのですが、1979年のリーグ優勝日本一で、すごいブームでしたからね。王貞治選手の衰えが目立ち、1978年の空白の一日事件で、読売ジャイアンツへの批判が日本中に巻き起こった時期でしたからね。時代は山本・衣笠・掛布・江川らの80年代に移っていった感じです。この1979年、17勝を挙げた北別府さんは、以降は安定して2桁勝利を上げてタイトルに絡む、絶対的なエースに。

1980年は二連覇で、北別府さんは1994年に引退するのですが、昭和の時代に大活躍されたのは事実ですが、平成の時代にもかかっているんですよね。でも、1993年には津田恒美投手が脳腫瘍で若くして亡くなりチームは最下位、山本浩二監督は引責辞任。北別府さんが引退されて以降、カープは低迷期に。1991年のリーグ優勝を最後に、2016年まで優勝できなかったのですから。1991年は北別府さんが最高勝率のタイトルを獲得していますから、まさにカープの黄金期は北別府さんとともにあったと言えます。

成人T細胞白血病を引き起こすヒトT細胞白血病ウイルス1型(HTLV-1)は、エイズなどと同じレトロウィルスで、母子感染するんですよね。ただ、潜伏期間が長く、何十年も経ってから発症するので、昔は発症する前に寿命が来ることが多く、長らく存在に気づかれませんでした。興味深いのは、九州でも僻地と呼ばれる所、平家の落人伝説とかある地域に多く、縄文系の人間に特有のウィルスだったのではないか、という仮説を栗本慎一郎氏が著書で語っていましたね。レトロウィルスは新加速度が早く、ある時期から宿主を長生きさせる方向に進化した可能性。

今は、事前の診断で感染が判明したら、母乳をいったん冷凍してウィルスを死滅させられるので、将来的には消えゆくや病気なのでしょうけれど。ブログの方でも、お人柄が伝わるエピソードが多く、引退後も人気だったんですが。昭和の名選手が、また一人。すでに、衣笠祥雄さんもなく。戦後、広島が廃墟の中から立ち上がった歴史と、カープは表裏一体であり、そこは中沢啓治先生の『広島カープ誕生物語』にも、いきいきと描かれています。個人的には、『はだしのゲン』とはまた別の、戦後広島市としても貴重な作品だと思います。

北別府学投手のご冥福をお祈りします。合掌

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