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桃太郎と桃子

◉桃太郎を女性の桃子に置き換え、話し合いで鬼と和解する話に改変したという話題が、TwitterのTLに流れてきました。バカバカしいですねぇ。差別や偏見についてエラソーに啓蒙しようって側が、自分が新たに生み出そうとしている差別や偏見に、無自覚なんですから。バカバカしい以外の形容はないです。

Twitterで的確な批判がいくつも流れてきたのでご紹介。たぶん今後も、こういうバカな改変はなんぼでも繰り返されるので、備忘録としても。

正論。正義なき力は暴力ですが、世の中にはその暴力を行使する人間が、常にいます。故に〝力無き正義は無力〟という言葉とセットです。ところが日本では、憲法9条という理想主義に過ぎる条文のためか、話し合い万能主義が蔓延し、昭和の時代には「非武装中立」なんてお花畑の論を口走る国会議員が、多数いました。憲法9条で北朝鮮の拉致が防げたか?

芥川龍之介が童話のさるかに合戦をパロディにしてますね。政治的に正しい童話、なんてポリティカルコレクトをからかった本も、外国では発売されたんですが。気がついたら、冗談でなくポリコレ棒を振り回す野蛮なリベラルが跋扈する時代に。BLMもこの流れの延長線上に産まれました。

愛知県の三ちゃん団体が、名作を発刊停止に追い込んだり、修正させたり。正義を振り回すのは、気持ちいいです。その正義に酔って、暴走する人間が多いです。挙げ句の果てに「正義は暴走しても正義だもぉ〜ん♥️」ではね。歴史を見ても、ヨシュア記の虐殺も十字軍の蛮行もヒトラーや毛沢東やポル・ポト派の暴走も、全部が正義の確信が背景にあります。

こういう愚行は、未来で批判され悪と烙印が押されますが、主観的には正義であったことを、記録して後世の判断材料にするのが、同時代の有象無象の役目かと。

どっとはらい( ´ ▽ ` )ノ

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