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京アニ放火殺人事件:重要なポイント

◉京都アニメーション放火殺人事件の犯人、語れば語るほど、当初の予想通りの、自意識過剰な典型的なタイプだと、露わになっていますね。裁判の行方は、裁判官でもない自分にはわかりませんが。こういう人間がなぜ、単独犯による犠牲者という点では日本史上でも稀に見る凶悪事件を犯してしまったのか、そこを明らかにすることで、その予備軍への貴重な教訓にするしかないですね。安易に社会のせいに責任転嫁することなく。何十万人もいる就職氷河期世代でも、こんな凶行に至ったのは彼だけですから。宮崎勤を一般化できないように。

【「では青葉さんも罪になるんですね」被告を沈黙させた裁判員の疑問】産経新聞

 36人が死亡し32人が重軽傷を負った令和元年7月の京都アニメーション放火殺人事件で、殺人罪などに問われた青葉真司被告(45)の裁判員裁判の第10回公判が、27日午前10時半から京都地裁で開かれる。この日から証人尋問が行われ、事件発生当時、現場で一部始終を見た目撃者が出廷し、当時の状況について証言する見通しだ。これまでの公判では計7回の被告人質問があり、25日の公判では裁判官や裁判員らが被告に直接質問した。持論を繰り返す被告に、ある裁判員が投げかけた。「青葉さんも罪になるんですね」。法廷は沈黙に包まれた。

https://www.sankei.com/article/20230927-JEPDN4NWKJJEJMPXHEL5JA4QCA/

ヘッダーはnoteのフォトギャラリーより、

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■チェスタトンの指摘■

『シャーロック・ホームズ』シリーズのコナン・ドイルと、『ポアロ』や『ミス・マープル』シリーズのアガサ・クリスティの狭間の世代の、『ブラウン神父』シリーズで知られるギルバート・キース・チェスタトンは、ユーモア作家にして鋭利な文明批評家でした。加えて、保守思想家としても巨人で、日本の福田恆存にも影響が大きいのですが。その代表的な思想書である『正統とは何か』の冒頭で出版社の社長に、「貴方だって読むに堪えない原稿を持ち込む男に居留守を使っていたじゃないですか。」と、下手くそな原稿を持ち込まれて困ってる事実を指摘しています。

チェスタトンはそこで社長に、自分を信じてるから成功するのではなく、信じているから必ず失敗するのだとの逆説を、ぶつけていたのです。京都アニメーション放火殺人事件の犯人の言葉に触れるたび、自分はその言葉を思い出します。自分の主観でしかないことを、絶対の真理のように語る左派にも感じますが。でも、この事件の犯人は……何者かになろうとして、何者にもなれなかった人間が、大量殺人犯になってしまったのですから。それも、単独犯としては戦前の津山三十人殺しの都井睦雄を超える、36人の犠牲者を出し、他にも重軽傷者32人という、とんでもない大事件に。

事件当日、第1スタジオに包丁を持って入ったことやスタジオ内で「死ね」と叫んだことについても「記憶にない」と繰り返した。

同上

チェスタトンは「自己を信じるなぞということは、ろくでなしの何よりの証拠にほかならぬ。芝居のできぬ役者にかぎって自己を信じている。金を借りて返そうともしないのは自己を信じているからだ。自己を信じているから成功するのではない。自己を信じているからこそ必ず失敗するというほうがずっと正しい。自己を信じて疑わぬというのは罪であるばかりか、それは一つの弱さなのだ。」と、喝破しています。「正義は暴走しても正義」なる言葉と比較すると、なるほど保守思想界で一目も二目も置かれる巨人の、鋭い人間観察眼に驚かされます。批判するにしても、左派にも必読の書でしょう。

■善意が仇になった?■

産経新聞の別記事ですが、京都アニメーション、落選を通知していたんですね。結果発表はウェブで──ならば、自分の名前が当選者欄にないので、落選を間接的に知ることができるのですが。一次予選落ちにそのことを通知したら、おまえには才能が無いという事実を、わざわざ突きつけられたような気持ちになった可能性が、ありますね。通知の封筒が来たとき犯人は、良い知らせだと思って喜び勇んで開封したら、落選通知。怒りが倍加した可能性。自分の才能をなんの根拠もなく信じられるのですから、封筒を見た瞬間、大賞受賞の通知ぐらい、期待したでしょうね。

《被告は平成28年に自身の小説を京アニ大賞に応募。翌年、落選の通知を受けている》

https://www.sankei.com/article/20230926-7PQFEKCEE5K55AHIL7QVEMYCBU/

同時に、そうやって通知が来たことで、京アニは少なくとも自分の作品を読んだと、妙な確信を得たのかもしれません。盗作云々の思考の飛躍も、ここで起きた可能性がある? 京アニ大賞の選考システムの詳細は知りませんが。人気のアニメスタジオで、実績もあるので応募多数でしょう。実際は多くの大手出版社と同じシステムで、まずは下読みの人間が読んで、明らかにレベルが低い作品は、一次予選は落としているでしょうから。なので監督とか脚本家とか作画監督など、京アニの作品制作に関わる人間は、最終選考に残らなかった作品の内容を、知るよしもないはずです。

ここら辺のシステムは、当人に説明した方が良いかもです。同じような思考が飛躍した狂人が出る危険性もあるので落ちた人間には通知しない、これはひとつの処世術として必要でしょう。もちろん京アニは善意で、落選通知したのかもしれんが、作品選考などに基礎的な知識が無い犯人には、妄想が飛躍する餌になってしまった可能性を感じます。もちろん、京都アニメーションに責任はありません。狂人の思考の飛躍は、想定できませんから。ただ、どんな人間でも、落選通知は心に痛いです。そこは大事です。

■相談する人がいない■

もう一点、重要な部分をピックアップしておきますね。産経新聞が見出しで挙げた点よりも、こっちのほうが自分にとっては重要ですね。犯人は相談できる友達がいなかった。いたとしても、聞き耳も持たなかったのでしょう。三人寄れば文殊の知恵、という言葉もあります。自分にない視点は、一生気づかないこともあります。他人の視点を聞いて、合理的に判断する。これって大事なんですよね。そういう友達を持つには、まず自分が人の意見を真剣に聞く、そういう部分が必要なんですよね。でも犯人は、友達がいなかった。

弁護士への相談など合法的な手続きを通して抗議する方法について考えなかったのかと裁判官に問われたものの、「これまで誰かに何か言って解決したことはない」「はなから相談などは考えていなかった」(被告)。

同上

これは、『親戚の詳しいオバチャンに相談した』みたいなレベルでさえ、間違った知識や判断をしてしまうんですよね。弁護士や専門家に相談したら、簡単に解決することも、遠回りしてしまう。これは、進学や就職にしてもそうで、親や親戚に大学進学した人間がいないと、都会の人間が予備校で簡単に手に入る知識さえ、10年経ってようやく知ることになるわけです。ビジネスでも保険でも補助金でも、知ってるか知らないかで、大きな違いが出る。知るためには、まずは自分が聞かないと。こういうのも、身近にアドバイスする人がいるかどうか。犯人にはそれがいなかった。身近な親が、既に確執があり、人生のモデルになり得なかった。

再び、チェスタトンの著書より。「異常な人は異常を異常と思わない。異常な人が人生はつまらぬとこぼしてばかりいるのにひきかえ、尋常な人のほうが人生をずっと楽しいと思うのはこのためだ。」……なんですかね、この予言の書は。1909年の書とは思えないぐらい、的確ですね。時代は変われと人は変わらず、という思いを強くします。『正統とは何か』の結論も、逆説に満ちたものでした。個人的には肯定しませんが、否定できない魅力がある結論でした。中国の『莊子』にも似てるなと思ったしだい。

どっとはらい( ´ ▽ ` )ノ


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