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みなもと太郎先生死去

◉ショックです。リイド社『コミック乱』の連載が去年から中断されていて、体調不良は伺っていたのですが……残念です。74歳は、まだ後期高齢者に達していない年齢です。残念です。もうただでさえ貧弱な語彙が、あますます貧弱になって申し訳ないですが、残念です。それしか言葉が出てきません。

【漫画家・みなもと太郎さん死去 74歳 「風雲児たち」】朝日新聞

 歴史大河漫画「風雲児たち」で知られる漫画家みなもと太郎(みなもと・たろう、本名・浦源太郎〈うら・げんたろう〉)さんが7日、心不全で亡くなった。74歳だった。昨年から肺がんで闘病中だった。葬儀は家族で営んだ。喪主は妻静香さん。
 京都市出身。1967年にデビュー。79年に連載を始めた「風雲児たち」は、関ケ原の戦いから幕末の動乱へ至る壮大な歴史を、ギャグ漫画のタッチで生き生きと描き、歴史漫画に新しい地平を開いた。2004年に手塚治虫文化賞特別賞、20年に日本漫画家協会賞大賞を受賞。三谷幸喜さんの脚本で18年にテレビドラマ、19年に新作歌舞伎になった。続編「幕末編」を「コミック乱」(リイド社)に連載中だったが、未完に終わった。

作品自体も大ファンでしたが、出版社の新年会でお会いした時、気さくにお話をしていただいて、貴重なお話も聞けました。

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■風雲児たち■

『風雲児たち』の連載が始まったのは1979年(昭和54年)のこと。創価学会の会員でもあったみなもと太郎先生でしたから、掲載誌は潮出版社の雑誌『月刊少年ワールド』に、翌1980年(昭和55年)から同社刊行の『コミックトム』に連載。恥ずかしながら、自分が同作を知ったのはけっこう遅く、ちょうど同時期に浅羽通明師兄と歴史の話をしていた折、勧められましたが。ギャグ漫画家という認識だったので、食わず嫌いで躊躇しました。

ところが、ほぼ同時期に尊敬する漫画家さんからも勧められ、いかに傑作化を力説され。しぶしぶ読んだのが96年頃でした。読んで、後悔しました。なぜもっと早く、読んでおかなかったのか……と。傑作でした。歴史学者からは異論も有るでしょうが、江戸時代の通史を、これほどわかりやすく書き起こした作品は、めったに無いでしょう。しかも、人物にスポットを当てつつ、1600年の関ヶ原の戦いから1868年までを描こうという意欲作。

■宝暦治水 波闘■

もし、歴史は暗記教科だとか、歴史はつまらないと言ってるお子さんがいたら、是非オススメしてください。歴史が好きになります。そして、歴史の中で繰り返されてきた、人間の成功と失敗の営みに、歴史を学ぶ意味を感じるでしょう。本作によって、教科書的な知識しかなかった林子平が、いかに慧眼で優れた人物であったか、にもかかわらず不遇な生涯だったか、そしてそれでも自分の信念に従って生きたか。勇気づけられる作品でした。

田沼意次への評価も、本作でガラッと変わりましたし。『仁義なき忠臣蔵』で、赤穂事件の見方が変わりました。しかし、70年代末に始まり、平成令和と時代を重ねた本作も、ついに未完で終わりました。40年以上の連載。それでもなお、本来の目的であった坂本龍馬の生涯を描ききれたかと言えば。ただ、本作はそういう部分は無念ですが、既に描かれた部分はこれからも変わらず、愛されると思います。新たな読者も獲得するでしょう。あまりに長大と言うなら、外伝の『宝暦治水伝 波闘』が、単行本一冊のまとまった内容で、オススメです。

■マンガの歴史■

古参のみなもとファンからすれば、ギャグ漫画家としてのみなもと太郎先生もちゃんと言及してよと言うでしょうが。『ホモホモ7』とか、リアルタイム世代じゃないんですよね。だって1970年当時は、乳幼児ですから。作画グループとして参加されていた『銀河を継ぐ者』は、掲載された週刊少女フレンドを姉貴が買っていたので、読んでいましたが。あれは1981年の作品でしたか。

みなもと太郎先生のもうひとつの顔が、漫画史研究者でした。ライムスター宇多丸氏のラジオ番組にも出演さ、その広く深い少女漫画の知識に、本当に教えられることが多かったです。あの部分を、オーディオブックとして出してほしいぐらいです。そして、『マンガの歴史』も未完で終わることに。こちらも本当に素晴らしい書籍ですので、漫画について学びたい方は、楽しみながら学べるので。こちらも本当に、残念です。自伝漫画を含む『挑戦者たち』もおすすめです。

残念ですが、たくさんの傑作を残されました。本当にありがとうございました。この文化を、微力ながらも継承していくのが、自分ら後進の務めでしょうね。できる範囲でがんばります。

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みなもと太郎先生のご冥福をお祈りします。合掌

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