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映画感想:機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島

◉機動戦士ガンダム、その中でもいろんな意味で伝説になっているエピソードが『ククルス・ドアンの島』ですが。個人的には、ガンダムに人生を持っていかれた世代ですので、楽しみにして鑑賞しました。公開日は避けて、翌日のレイトショーを狙っていったら、レイトショーでも1900円でした。閃光のハサウェイも、そうでしたね。オレのバカバカ。まぁ、あと数回は見ますけどね。なぜ今ククルス・ドアンの島なのか、という問題も含め、ちょっと考察を含めて。

『機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島』映画ドットコム

1979年に放送されたテレビアニメ「機動戦士ガンダム」の第15話「ククルス・ドアンの島」を映画化。テレビシリーズを再編集した劇場版3部作には含まれなかった伝説的エピソードを、「機動戦士ガンダム」のキャラクターデザイナー&アニメーションディレクターで、近年は「機動戦士ガンダム THE ORIGIN」も手がけた安彦良和が監督を務めて新たに映像化。「機動戦士ガンダム」の主人公アムロ・レイや乗艦ホワイトベースの仲間たち、アムロが駆るRX-78-02ガンダムなど、ファンにはおなじみの登場人物やメカニックが最新のアニメーションで描かれる。ジオン公国と地球連邦による一年戦争が繰り広げられていた宇宙世紀0079年。ジャブローでの防衛戦を耐え抜いた地球連邦軍は、ジオン地球進攻軍本拠地のオデッサを攻略すべく、大規模な反抗作戦に打って出る。アムロたちの乗るホワイトベースは、作戦前の補給のためベルファストへ向けて航行していたが、その途中、ある任務を言い渡される。それは、通称「帰らずの島」と呼ばれる無人島に潜む残敵の掃討任務だった。島に降り立ち捜索を開始したアムロは、そこにいるはずのない子どもたちと一機のザクと遭遇する。ザクとの戦闘でガンダムを失ってしまったアムロは、ククルス・ドアンと名乗る男と出会うが……。

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ヘッダーは映画のパンフレットより、あえて主役を真ん中に置かない主義( ´ ▽ ` )ノ

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■待ち望んだ最新版ガンダム■

まず、作品としてはテレビの短い話を劇場版に仕立て直し、新要素もイロイロと加えつつも、モビルスーツの戦闘シーンや、政治などが複雑に絡まり、実に素晴らしいです。ブライト・ノア艦長やミライ・ヤシマ、セイラ・マス、主要キャラクターがだいぶ鬼籍に入りましたが、主役のアムロ・レイにシャア・アズナブル、カイ・シデンらオリジナルキャストがまだ残っているので、このタイミングでの公開は、いちファンとして本当にありがたいです。

ただ、『機動戦士ガンダムORIGIN』以降、やや安彦良和先生による、ガンダムの世界観の書き換えというか、修正が目につくのも事実です。学生運動をやりすぎて、大学を退学を退学になった安彦良和先生は、かなりリベラルな思想の持ち主ですし、それが『アリオン』や『ナムジ』という作品に投影されているのは、佐藤健志氏が『ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義』でも指摘したところ。そして、本作を企画した時点では想像もできなかったであろう、ロシア連邦軍のウクライナ侵攻で、いろいろと間の悪いことに。

■そもそもガンダムとは何か■

もともと機動戦士ガンダムは、『宇宙戦艦ヤマト』への反発から生まれたそうです。日本が枢軸国ではなく連合国に加わって、戦勝国になりたかった願望が生んだ、架空戦記がヤマトという面があります。ゆえに、ガミラスには名前とか軍服などに、ナチス・ドイツのイメージが投影されています。ガンダムはコレへの反発なので、ジオン公国が掲げたコロニー独立は、植民地解放の大東亜共栄圏の投影です。このためジオン公国も、ヤマトのガミラス同様のナチスの投影がなされているのは、言うまでもありません。

ガンダムが青・赤・黄色のカラーリングなのは、オモチャとしての配色の容易さもあるのですが、星条旗カラーですよね? 主役メカのガンダムは、日の丸の赤い部分が、星条旗カラーになったような配色です。では、日の丸の赤は何処に行ったのでしょう? はい、勘の良い人は気付いたように、赤い彗星の機体色が赤です。ザクのモノアイは、日の丸のようですし。これは偶然ではなく、シャアはコロニー自治を訴えたジオン・ズム・ダイクンの遺児ですから。

ヤマトへの反発から生まれたガンダムですが、植民地解放は正しい理念だったが、それが僭主たるザビ家によって歪められた、というのがガンダムの裏テーマ。故に、ザクはネイティブアメリカンのようなトマホークと、ギャングが愛用したマシンガンのような武器を持つという、キメラな側面を持ちます。シャア専用ザクなどの頭部の隊長マークの飾りとか、ネイティブアメリカンの民族衣装の羽飾りに見えますしね。アメリカは白人の米帝であり、同時にアジア人と同じモンゴロイドのネイティブアメリカンが虐げっられた国でもあります。

■第二次世界大戦とガンダム■

そもそも、ミノフスキー粒子によって巨大な戦艦が機動力に勝るモビルスーツによって沈められてしまうという状況が、真珠湾攻撃で証明されてしまった大艦巨砲主義から空母機動部隊への、戦術の変化の投影ですしね。ザクはまさに、真珠湾攻撃を成功させた零式艦上戦闘機の投影です。もっともその機体番号がMS-06という、ライバル艦上機のグラマンF6F ヘルキャットと重なるのは、意図したのかはわかりませんが、皮肉です。ザク同様のイメージの混交でしょう。

もっとも、ガンダムは先に述べたザクのキメラなイメージ同様に、アムロ・レイ(零式艦上戦闘機)やカイ・シデン(紫電改)など、連邦軍側に日本軍側の兵器をもじったネーミングが多い。カツ・レツ・キッカの疾風・烈風・橘花のネーミング論争は置いておいても、です。いずれにしろガンダムには、植民地解放や八紘一宇といった理念を掲げても、それが歪められるという富野監督なりの、リアリズムが込められています。

しかし、ヤマトからの反発で連邦軍=連合国側を主人公に据えたガンダムには、日本人には避けられない、ある難問が生じます。原爆を肯定するか否か、という問題が。多くの日本人としては、原爆は平和のためには仕方なかったというアメリカの論法を、受け入れることは難しい人も多いでしょう。ファースト・ガンダムの制作された時代は、もっと原水爆への怒りや反発が強かったですしね。結果、原爆のメタファーであるソラーレイをジオン側がぶっ放すという逆転現象が、作中に加えられることになります。

■ソーラーレイと原子爆弾と■

もっとも、同じ太陽光を用いたビーム兵器自体は、連邦軍が先に使用しており、富野監督の混乱も見えます。やはりそこは、史実として原爆の仕様は避けがたいのでしょう。日本もドイツも、原爆の研究自体はやっていましたしね。ソーラーレイ自体は極論すれば、巨大なビームライフルに過ぎないのに、アムロが憎しみの光と呼ぶほどに、怯えます。戦前生まれの富野監督自身も原爆自体を肯定することは出来なかったし、アメリカの黄色人種への悪意を読み取っているわけです。

ジオン・ズム・ダイクンが唱えたコロニー自治は、ある種のコスモポリタニズムです。ですが、立派な理念も現実には歪められるのが常です。ガンダムでは同時に、ニュータイプという認識力が高度に高まった非言語コミュニケーション能力を有する、新人類の誕生も描かれています。たぶん、『2001年宇宙の旅』のスターチャイルドの影響も、あるのかもしれません。ニュータイプという言葉に富野監督が込めた想いは、多様だし揺れもありますが……。

連邦軍とジオン軍の双方から、新しいコミュニケーション能力を持った新世代の人間が生まれ、和解や融合の希望を表したとしたら、コスモポリタニズムの新しい形での理想を描いたと言えそうです。が、これも結果的に富野監督自身によって否定されるのが、興味深いです。ファースト・ガンダムの続編であるZガンダムでは、連邦側の内部腐敗が起き、かつてのホワイトベースのクルーやシャア・アズナブルが、反地球連邦政府組織エゥーゴに集って戦うという、逆転現象が起きています。

■理想は必ず腐る無限地獄か■

ジオンの理想が、政権を簒奪した独裁者のザビ家によって歪められたように、連邦政府もまた腐敗してしまっている世界線。ジオン公国のコスモポリタニズムも、連邦政府のコスモポリタニズムも、けっきょくは達成できていないので、また別の理想を掲げて戦うしかない、無間地獄がガンダム世界。ヤマトのクルーが日本人ばかりなのに比較して、ガンダムのホワイトベースのクルーは多様な人種で構成という形であるように、富野監督はコスモポリタニズムの人ですから。

国連中心主義の破綻を、あの時点で取り込んだZは、同時にファーストで否定したはずのジオン・ズム・ダイクンの理想を、遺児であるキャスバル・レム・ダイクンが自分の正体を明かし、継承を表明するという、東亜解放の理想復活の如き展開に至るストーリーがZガンダムです。ヤマトへの反発から始まったのに、ヤマトに回帰しているわけです。もっとも、安彦良和先生は、『機動戦士ガンダムORIGIN』で、ジオン・ズム・ダイクンを愛人を囲う俗物として描き、正史の修正を図っています。

そして、Zガンダムの事実上の続編である『逆襲のシャア』では、ネオ・ジオンを率い、小惑星5thルナを地球連邦政府があるチベット・ラサに落とそうとする独裁者シャアの姿が描かれることに。「やっぱソーラーレイより、コロニー落としのほうが原爆のメタファーとしては適切じゃん?」と、富野監督も気付いてしまったようで。

■千年王国思想と仏教哲学と■

理想を掲げ邁進しても、現実は理想のようにはいかない。その結果、理想実現のために強権的になってしまうシャア。リベラルやフェミニストを自称・自認しているはずの人々が、バラモン左翼やネオ封建主義者やツイフェミに堕している姿と、なんと似ていることでしょうか。AV新法に反対し、AVを賤業とか口走り、判断力がないから契約書にサインしてしまうので、AV自体を無くせと言い出す。そんな自家撞着の人達に比較して、富野由悠季監督の作家性の凄みを感じます。

逆襲のシャアのラストはしかし、それでもある種のコスモポリタニズムの理想を描いています。名もなき人々が、人種も敵味方も超えて協力する。あれは、ガンダムを辞めたいのに作らされる富野監督のメタファーという人もいますが(笑)。けっきょく富野監督自身の中では、理想と現実との狭間で、挫折と再挑戦が交互に繰り返される世界が、描かれています。脳天気に理想だけを描いてはいないんですね。これは、円環する世界観の、仏教の影響でしょうけれど。

ユダヤ・キリスト教の世界観の深く太いところに、千年王国思想があります。それは異教徒たちがぶっ殺されて、信仰を同じくする者だけが暮らす至福の王国が千年続く、平衡状態を理想とする世界観です。この思想の鬼子として、マルクスが共産主義思想を生み出したように。共産党による一党独裁もコレに同じ。ここらへんに関しては、下記のリンク先のnoteをお読みください。長いですが、それなりに読み応えがあります。自画自賛( ´ ▽ ` )ノ

■直線世界観と円環世界観と■

一方、仏教の世界観は諸行無常であり、会者定離。永遠の物はなく、常に世界は移り変わり、生まれ・老い・病み・死にゆくサイクルを繰り返す、生々流転する世界観です。Zの主要母船の名が仏教初期の経典である阿含経を意味する、アーガマであるのは偶然ではありません。「伝承された教説、その集成」という意味。富野監督は理想と現実の中での人の業を描いており、理想が実現して平衡状態ができて良かったねチャンチャンの世界を、描いてはいないんですよね。

ここら辺が解っていないと、喜多野土竜は理想主義やコスモポリタニズムを馬鹿にしてると、トンチンカンな認識の上で、ガンダムを引き合いに出すという悪手を打つことになります。的に塩を送るワタシ。例えば、福田恆存。左派との論争では連戦連勝で、保守派論客の代表でした。死後もますます再評価が高まっています。福田が論争に強かった理由は、『チャタレイ夫人の恋人』で知られるD.H.ローレンスの黙示録論を翻訳したがゆえです。

新約聖書の末尾を飾る、幻想的なヨハネ黙示録の背後にある、根深いルサンチマンを解き明かしたローレンスの論考を、東大英文科卒の知性で翻訳し、自分の血肉としたのが、福田恆存。前述したように、マルクスの共産主義思想というのは、ユダヤ・キリスト教の千年王国思想の焼き直しです。そして日本のリベラルというのは、俗流共産主義思想が更に薄まったような、薄っぺらい思想がベースです。思想の根源まで遡って本質を掴んだ福田恆存に、勝てるはずがないのは当然ですよね?

■富野監督とエディプス複合■

例えば、コスモポリタニズムも、古代ギリシャのポリスの衰退に伴う、ポリス中心主義からの転換がルーツにあります。で、双角の大イスカンダルことアレクサンドロス3世(アレキサンダー大王)による、世界帝国構想があったわけで。安彦良和先生がアレキサンダー大王の伝記漫画を描いたのも、必然です。ユダヤ人の民族宗教であったユダヤ教から派生し、民族に関係ない世界宗教になったキリスト教にも、このコスモポリタニズムの影響はあります。

しかし、キリスト教の世界観としての理想の世界が、永遠の平衡世界を目指すという点と、それは宗教的フィクションに過ぎないという自覚が必要。そうでないと、議論は噛み合わないです。自分が信じてる理想が、鰯の頭やバモイドオキ神であるかもしれない可能性は、常に問う必要があります。ところで、富野由悠季監督へのこのインタビュー、宮崎駿監督との関わりも含めて、興味深かったです。エディプス・コンプレックスと父親殺しの物語。オススメです。

ちょっと論点は逸れますが、庵野秀明監督が、『ふしぎの海のナディア』のガーゴイル役や、『新世紀エヴァンゲリオン』の冬月コウゾウの声優に、テム・レイを演じた清川元夢さんに拘った理由も、ここです。庵野秀明監督のテーマも、ずっとエディプス・コンプレックスですから。なお、富野監督は、虫プロを興した手塚治虫先生という巨大なクリエイターにも戦いを挑みます。同時に、ものすごく尊敬もしているんですよね。

■アメリカ版ガンダムはあれ■

ちなみに、敗戦国が戦勝国になりたかった願望は、アメリカにもあります。それも、ものすごく有名な作品です。シルベスター・スタローンの映画『ランボー』の原作者であるディヴィッド・マレルは、かの『スターウォーズ』はベトナム戦争で敗北(正確には撤退だが従軍した兵士の主観では敗戦)の反動と指摘しています。ディヴィッド・マレルはアメリカの州立大学の屈指の名門校であるペンシルバニア州立大学を卒業し、アイオワ大学で英文学部の大学教授です。

悪の帝国に、アメリカの投影である民主主義的で多様な人種が集まる反乱同盟軍が勝利するハッピーエンドのように、ベトナム戦争も苦難の末に勝利できたらどんなに良かっただろう。戦争で失った腕が、精巧な義手で再現できたらどんなに良かっただろう。そんな願望が投影されていると、指摘しています。『ランボー2 怒りの脱出』のノベライズ版で、ランボー自身がベトナムから帰還するヘリコプターの中で気づく、という形で表現されています。

ちなみに、小説版ではランボーはドイツ系の父とネイティブアメリカンの母親との間に生まれ、子供の頃は母親の部族で育てられた、という描写もあります。そして、ベトナムでの経験もあり、彼は仏教徒になっています。しかも、禅宗の信徒であると。ここらへん、Appleの創業者の一人であるスティーブ・ジョブズが、改宗こそしませんでしたが、曹洞宗の乙川弘文師と交流が深かったのは、よく知られる話。ジョブズもまた、シリア人の父とドイツ・スイス系アメリカ人の母の間に生まれ、養子に出された人間です。

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此処から先はネタバレがありますので、興味がある方だけお読みください。大した内容ではないですし、数カ月後には公開しますので。

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