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京都アニメーション放火事件の場外戦

◉週刊プレイボーイが、京都アニメーション放火殺人事件の青葉容疑者の、火傷の治療にあたった主治医にインタビューし、貴重な証言を引き出しています。これ自体は、とても貴重ですし、被害者の名前を執拗に聞き出そうとして、お涙ちょうだい記事を書く気満々のマスコミよりは、ずいぶんと内容のある記事なのですが───。個人的に、疑問に思う点が幾つかあったのも事実です。

【京アニ放火殺人事件容疑者に主治医・上田敬博が伝えたこと「俺はおまえに向き合う。絶対に逃げるな」】週刊プレイボーイ

「どうせ死刑になる」――。全身の9割以上に深刻な火傷を負った男は、自らの命を救った主治医にそう言い放った。36人もの尊い命を奪った、京都アニメーション放火殺人事件の容疑者である。その困難な治療を担った上田敬博(うえだ・たかひろ)は、彼とどう向き合い、何を変えようとしたのか?

この事件の犠牲者は36人。33人が重軽傷を負い、未だに入院中の被害者もいます。オウム真理教の一連の事件──坂本弁護士一家殺害事件の3人の犠牲者、松本サリン事件の7人の犠牲者、公証役場事務長監禁致死事件、地下鉄サリン事件の12人の犠牲者など──を全部合計しても、31人です。もちろん、被害者数はもっと多いですが、それにしても死刑囚13人を出した事件より、多くの死者を出したことに、戦慄します。

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■マスコミの問題点■

最大の問題点は、この部分。犯人が近畿大学附属病院に搬送されると、その情報が漏れていて、NHKのヘリコプターが搬送用のドクターヘリを追いかけてきたと。先ず、漏らしたのは誰だって話です。おそらくは、検事長と賭け麻雀とかして情報を得たり、警察回りと呼ばれる社会部の記者が、警察関係から情報を得たのでしょう。もう、こういうのは被害者のプライバシー管理と併せて、法的に規制すべきじゃないですか?

翌20日、ドクターヘリで近大病院へ搬送した。しかし――。
「情報が漏れていたみたいで、ドクターヘリの後をNHKのヘリコプターが追いかけてきた。そしてニュースで『大阪狭山市』と出してしまったんです」
この地域の大病院といえば近大しかない。担当医が上田であることもすぐに知れ渡った。取材陣が殺到し、重苦しい日々が始まることになった。

青葉容疑者がどんな極悪人であれ、治療をするのが医者の職業倫理です。ゆえに、医患者の違法な薬物使用がわかっても、医者は通報しなくていいわけで。患者のプライバシーの守秘義務があるわけです。しかし、であるならば警察関係者や検察関係者、さらにマスコミにも、報道の自由とは別に、職業倫理として引くべき一線が在るのではないですか? 都合の悪いことは報道しない自由や国民に知らせない権利を行使するくせに。

■医療体制の問題点■

もう一点、上田敬博医師の犯人と向き合う医療者としての態度は素晴らしいですが、上田医師は救急救命の医師であり、熱傷の専門医です。青葉容疑者のような犯人には、本来ならば精神科の医者が専門医として向き合うべきではないのかと、自分などは思ってしまいます。バカなマスコミが押し寄せた結果、治療以外の精神的重圧を受けるとか、許されるべきではないでしょうに……。

青葉の治療を開始してから、上田は不眠症になった。2時間おきに目が覚めてしまう。そのたびに枕元のスマートフォンでニュースを確認した。
自分が眠っている間に容疑者死亡のニュースが流れているのではないかという強迫観念に取り憑(つ)かれていたのだ。病院の宿直室に寝泊まりしているときは、病室で生存を確認してから寝床に戻った。
「彼の夢や治療の夢は見ない。でも起きたとき、『悪い夢を見た』という感覚だけが残っているんです」

結果的に、上田医師は〝青葉の治療は一段落したが、上田の睡眠障害はいまだに完治していない。医師はときに患者の"毒"を飲み込まねばならない。上田もまたその後遺症を抱えているのだ。〟という状況です。これを、美談にして良いのか? この状況を作った責任の一端は、確実にマスコミにあるでしょうに。また、医師はある程度、患者と向き合うスキルが必要ですが、青葉容疑者は特殊なポジションですしね。

■有限責任と無限責任と■

最後に、世論について。この記事、Twitter上では賞賛する人が多いです。浅草キッドの水道橋博士も絶賛しています。自分も、上田医師の医者としてのその生き様は、素晴らしいと思います。とてもマネできません。しかし、今回の件は上記のように、マスコミの問題点と、医療の現場の問題点と、複雑な問題を浮かび上がらせています。しかし、マスコミは都合の悪いことにはほっかむり。

また、いつもの如く、青葉容疑者を生み出したのは社会のせいだ論を言う人間がいて、辟易しますし、それを死刑廃止論に繋げるのは、自分は疑問です。大きな事件であればあるほど、そういう擁護論が出てきますが。近代法はハンムラビ法典以来の、復讐法が根本にあります。青葉容疑者を死刑にしても、死んだ人は返ってこない。当たり前です。でも、残された人間が、等価の復讐をすることで、応報とするのが復讐法の原点。

有限の存在である人間には、無限の責任は取れません。では有限の責任はどこまであるのか? 死刑による償いです。そして、彼が本当に事件を後悔するなら、彼の生い立ちから思考、事件に至った部分を記録として詳細に残し、彼と同じ過ちを起こそうとする後世の人間への、他山の石になることでしょう。そこも含めての、有限責任でしょう。死刑廃止の是非は、また別の議論です。




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