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国産ジェット機の誤算

◉三菱リージョナルジェット(MRJ)改め三菱スペースジェット(MSJ)には、かなり期待していたんですけれどね。零式艦上戦闘機ことゼロ戦を生み出した三菱重工だから、とかは関係なく。半導体や液晶などかつての花形産業は凋落し、自動車産業だって韓国やインドなどが台頭してくるのは必然。日本は航空産業や宇宙産業に進出せざるを得ませんから、その点で期待していたのですが……。

【国産ジェットの夢を阻んだ「型式証明」の壁 責任は三菱重工だけか】日経ビジネス

折れた翼がよみがえることはなかった。三菱重工業は7日、国産ジェット旅客機「三菱スペースジェット(MSJ)」事業から撤退すると発表した。2020年に事実上の開発凍結を表明したが、再起したとしても先行するライバルを前に採算は見込めないと判断。自ら終止符を打つ道を選んだ。事業スタートから約15年。敗因はいくつかあるが、大きくつまずいたのは航空機の安全性について各国の航空当局からお墨付きを得る「型式証明」の取得作業だった。三菱重工グループのエンジニアたちの力不足もあったが、航空産業をつかさどる行政の構造的欠陥も透けてみえる。

https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00289/020700050/

ヘッダーはnoteのフォトギャラリーより、自衛隊のYS-11だそうです。

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■ホンダとの明暗■

同じく航空産業進出を実行した本田技研工業は、現在はホンダジェットがそこそこ好調です。創業者の岩崎弥太郎の昔から、政府と深い結びつきがあった三菱は、T-1練習機やF-1戦闘機、P-1哨戒機など軍事関係では飛行機の方でもかなり、実績がある会社でした。にもかかわらず、MRJは延期に次ぐ延期で、すっかり味噌をつけた上に撤退。最初からエンジンに関してはアメリカの老舗メーカーであるGE社と共同開発で、なより実を取ったホンダの方が、堅実でした。

そもそもホンダの航空産業進出は、創業者である本田宗一郎氏の夢でもありました。敗戦によって、日本の航空産業が壊滅させられるのを、目の前で見た本田宗一郎氏は、いつか航空産業復活を夢見て、自社のバイクのエンブレムに翼をあしらうほど。それどころか、自動車部門を新設した同じ年に航空機部門も立ち上げているんですよね。MRJとは小型ジェット機部門ではありましたが、そこできちんと実績と黒字を出すという点において、ホンダは最高の結果を出しました。

■石原慎太郎的思い上がり■

石原慎太郎氏が、『「NO」と言える日本』を発表したのは1989年。バブル崩壊の予兆はありましたが、まだまだ日本は経済的には絶好調だった時期。日本の半導体産業は圧倒的に強く、これでアメリカを落とせると石原氏は吹き上がったものですが。それから20年もせず日本の半導体産業はボロボロに。また、石原氏は日本の支援戦闘機F-2開発で、純国産で素晴らしい機種が作れるはずだったのに、アメリカの横槍で潰されたという説を唱えていました。

おそらくこれは、思い上がった三菱重工関係者の言葉を、鵜呑みにしていたのでしょう。今回のMRJの失態は、そのような国粋主義のバイアスも一因になったのではないでしょうか? それこそゼロ戦の昔から、日本の航空機はエンジンパワーが不足しており、この点ではアメリカに大きく劣っています。IHIのエンジンが、予約30年前のアメリカのジェットエンジンに追いついたレベルですから。

■謙虚に実力を高める■

軍事マニアでありながら、宮崎駿監督は零戦の過大な評価に対して、批判的でしたが。確かに零戦は当時としては優れた面もある戦闘機でしたが。エンジンパワーの足りなさはもちろんのこと、機動性を重視した結果の人命軽視の防御の薄さなど、日本人の悪い面もしっかり現れた戦闘機でしたから。今だって日本人はパワーを軽視して、持久力を重視しますからね。それは戦略としてはありですが、別にベストでもいないということは、わきまえておくべきでしょう。

アメリカの軍事費を比較すれば、あるいはノーベル賞を受賞した科学者の数を比較してみれば、日米の航空産業の地力は、大人と子供どころでない差があるのは明白で。過去の栄光で夜郎自大になるのは、とんでもない話です。日本の現在の実力は、スーパージャンボジェット機と HondaJet ぐらいの差であることを素直に認め、謙虚に一歩ずつ実績を積み上げていくしかないと思いますよ? その意味では、F-3戦闘機を英伊と共同開発というのは、良い選択だと思っています。

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