見出し画像

原始、オタクは蔑称だった

自分自身も用字用語に混乱が見られていたので、整理も兼ねてnoteにまとめます。

オウム真理教関係者の死刑執行の直後に偽史学の原田実先生のTLで見かけた「オウムとオタクは親和性があった」云々という左派からの言説に対し、疑問を呈する意見を見かけて、リツイートしたのが切っ掛けでした。こちらにその時見かけた意見の幾つかはまとめられています。

『偽史「オタクとオウムの親和性」歴史修正主義』

では、行きつ戻りつしながら、同時代人としての論考を。

■80年代末のサブカルとマニアの状況■

本来はアニメやアニソン、SF、ファンタジー、漫画、特撮、フィギュア、鉄道、プロレス、アイドル……などなど、マイナーなジャンルやサブカル全般を愛好していた人々はマニアと呼ばれ、また自称もしていました。

中森明夫氏が世に出したオタク(当初は平仮名でおたく)という言葉は当初、そういう好事家のオフ会やコミケなどで、他人に対して「オタクはどこから来たの?」みたな感じで使う、コミュニケーション能力が著しく劣る、ハッキリ言えばマニアな趣味の人間の中でも気持ち悪がられバカにされていた一群への、蔑称でした。

ところが、宮崎勤死刑囚による東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件(警察庁広域重要指定第117号事件)が発覚し、1989年7月23日に宮崎死刑囚が逮捕されると、蔑称としての『オタク』が、マスコミの中で独り歩きします。

■オウム真理教の1989年前後の動き■

マニア層の中の一部の人間を表す蔑称であったはずの言葉が、漫画やアニメやフィギュアなどの趣味を愛好する人全般の一般名詞として、マスコミに流通させられます。自分はまさにこの宮崎事件発覚の1989年に大学に合格して上京したので、当時のサブカル全般の愛好者に向けられた冷たい目と、マスコミの扇動は忘れられません(ちなみにファンロードは中学2年の頃から愛読していました)。

もちろん、そこでひとまとめにオタクと呼ばれたマニアたちの被害者意識が行き過ぎて、コミケを犯罪者予備軍としてテレビで紹介された云々の神話は捏造です。しかし宮崎事件で蔑称としてのオタクどころかマニア全般が、性犯罪者予備軍扱いされてたのは事実です。宮崎勤自体は特撮好きで、ビデオの多くはCMや芸能ジャンルお宝系映像がほとんどで、アニメはむしろ少数だったにも関わらず。

そんな時期に、オウムはマスコミを利用して出てきました。松本智津夫がヨーガ教室のオウムの会を立ち上げたのが1984年。すぐにオウム神仙の会に改称して、さらにオウム真理教に改称したのが1987年で、東京都に宗教法人として認証されたのが1989年8月25日。宮崎勤逮捕の一ヶ月後の話です。驚くほど時期が近く、これで記憶の改変が起きてる人が、かつてのマニア層にも多々います。

■オウム真理教はメインカルチャー志向■

そんな団体が、マスコミを利用して派手に活動をし始めた時期に、世間一般には家に引きこもってエロ漫画やアニメに耽溺して幼女を誘拐殺害すると思われていたオタクと、親和性を感じさせるような動きをするはずもなし。

むしろ東大など高学歴の弟子を前面に押し出し、ニューアカの旗手であった中沢新一氏や、チベット仏教の最高権威でノーベル平和賞受賞者のダライ・ラマ法王など、世俗の権威を纏おうとした訳で。オウムの信者で、オタク的な人間は思い当たらず、むしろ学生運動から内ゲバ殺人に走ったような、クソ真面目すぎる純粋まっすぐクンタイプが多かったです。

ちなみに、Twitterでこのような意味のことを書いたら、いやオウムの早川はSF好きだったという反論をしたためた御仁がいましたが。単なるSF好きをオタクとは言いません(キッパリ)。そんなトンチンカンな反論が来るほどに、蔑称としてのオタクの意味が、現在では変容してしまっているのです。変容だけでなく、拡散してしまってもいます。

■オタクは蔑称だった■

しつこく書きますが、そもそもオタクというのは、マニアや好事家の中の、コミュニケーション下手な一群への罵倒語です。現在だと、反差別界隈の野間易通氏が、アニソン好きなどを揶揄する意味で使うニュアンスが、もっとも近いです。イメージとしては、宅八郎氏がカリカチュアライズしたものでしょうか。

ところがAKB商法の成功以降、あいつら馬鹿みたいにカネを落とすぞ、商売になるぞと気づいたマスコミや広告代理店が、意味を勝手に広げ、特殊な趣味を好きな人ぐらいの意味で拡散します。社会的に認知されれば、有名タレントが自分は○○オタクと公言する。アイドルも歴史オタクとか、属性を売りにする。

それがかつては罵倒語であったという自覚は、薄いです。ココらへんの事情はネット右翼という言葉も同様ですね。そもそも、アイドルオタク=ドルヲタを、オタクやそのルーツであるマニアに加えることに、自分は懐疑的です。北川昌弘先生レベルならともかく、彼らは単なる消費者であって、オタクと呼べるほどアイドル全般に精通し、掘り下げてるのは一握りです。

■ネット右翼も元は罵倒語■

日本の右翼は大アジア主義(=汎アジア主義=興亜論)で、玄洋社の頭山満から内田良平、児玉誉士夫、笹川良一、福田恆存、赤尾敏、岸信介、ついでに言えば安倍晋三総理まで、親韓です。なのに、嫌韓ネット民を右翼というのは、歴史的にも変な表現です。現実には右翼団体が在特会を叱り、新右翼の鈴木邦男氏がのりこえねっとに協力するのも、右翼の思想史からすれば当然の流れ。コレは本来、右翼団体への風評被害です。

ネット右翼も、本来は右翼思想史に無知な左派による、レッテル貼りであり罵倒語です。ところが、ネット右翼・ネトウヨという言葉が人口に膾炙すると、嫌韓志向もそうでない曖昧な立ち位置の保守的傾向の人が、糞も味噌もごっちゃにしてネトウヨを自称し始めます。ツイッターのプロフィールにでもよく見かけますね。

■脱亜論と興亜論■

漫画原作者の雁屋哲先生などを代表に、例えば福沢諭吉の脱亜論が、大日本帝国の東亜侵略の理論的支柱になったかのような誤解が見受けられます。でも、脱亜論は興亜論の対義的な言葉です。
 アジアが連帯して欧米列強の侵略から立ち上がろうというのが興亜論。ゆえに、日本は植民地開放ということでアジア各国の植民地を開放したわけで。その内容の是非はここでは論じませんが、脱亜論は中国や朝鮮に期待せず、距離を置こうという提言です。

これには、朝鮮の近代化に奔走した金玉均が残酷な方法で遺体を辱められ、それまで半島近代化に尽力していた福沢諭吉とその弟子たちが絶望したのが原因。しかし、脱亜論はさして話題にもならず、戦後の1950年代になって再発見され、過剰に喧伝された代物です。左派はインテリぶっていても、実は歴史に対する知識が雑な人が多いです。

■傘がないと政治■

そもそもマニア層というの初期は、60年安保や70年安保の挫折から、権力や社会運動に距離を置いた世代が、サブカルやマニアックな趣味に耽溺したわけです。ココらへんは、井上陽水の『傘がない』などで、都会で自殺する若者の増加よりも、傘が無いので自分の恋愛が成就しないことが問題だという、利己的な心情にも謳われています。

もっと言えば村上春樹の作品『ノルウェイの森』も、学生運動の挫折後、自分と彼女の人間関係に耽溺しているという点で、井上陽水の『傘がない』に酷似しています。

その耽溺する対象が、政治とか文学とか芸術と言った、メインカルチャーではなく、サブカルチャーに移行したわけで。後に罵倒語のオタクと呼ばれる層になりましたが、本来はマニアと呼ばれていた層です。

■麻原彰晃の権力志向■

オウム真理教はそんなマニア層からは、オタク同様に浅薄さを小馬鹿にされ、消費されていた存在でした。宗教学の島田裕巳教授が、その正体を見破れず、利用されたのは仕方がない部分だったと、リアルタイムで彼らを見ていた自分は思います。サリン事件で、ようやく本気の、ガチの殺人集団だと多くの人々が気付いたのですから。

松本智津夫死刑囚は浅学ゆえ、彼が掲げたオウム真理教は結果的にサブカルの継ぎ接ぎのようなお笑いになったのですが、彼自身は盲学校時代に生徒会長になりたくて泣きながら自分への投票を訴えたり、東大を目指して上京すると周囲に吹聴するなど、元々強い権力志向と虚栄心、金銭欲を持っていて、メインカルチャー志向です。ハッキリ言えば、俗物。

だから、最初は選挙というごく正攻法で国政に近づこうとしました。真理党を結成して、第39回衆議院議員総選挙へ松本智津夫と信者24人が集団立候補したのが1990年2月18日です。宮崎勤逮捕から半年も経っていません。

■オウム真理教は左派に似ている■

左派はオウム心理教とオタクが親和性があったと脳内変換したがりますが、社会への積極的なコミット・社会変革運動は実際は、プロ市民や新左翼セクトの方が根強いく持っている性向であって、都会で自殺する若者が増えていることより、自分の利己的な趣味が大事な世代とは真逆です。

オウム真理教はむしろ、新左翼に似ています。今だとSEALDsが一番近いです。そう考えると、共産党の歌声運動とオウム真理教のショーコー連呼とSEALDsのラップは、別物に思えても根っ子で通底してると思いませんか?

そして、反差別界隈で起きた大学院生へのリンチ事件が、連合赤軍の山岳ベース事件を想起させるように……。

ここから先は

1,409字
この記事のみ ¥ 150

売文業者に投げ銭をしてみたい方は、ぜひどうぞ( ´ ▽ ` )ノ