穴の空いた傘を差している

聞いてほしいことがある。今年の誕生日は、すごく誇らしい気持ちで迎えられたんだよ。もう家族にされた嫌なこと思い出さないくらい、自分の生活と自分自身を愛していて、随分と時間が掛かっちゃったけど、そうなれたことがたまらなく嬉しいんだ。ねえ、聞いている?だから、前みたいに私の誕生日、うんと盛大にお祝いしてよ。

今年も君からもらった手紙を読み返していた。いくら誇らしい自分になっても、いくら家族の呪縛から解放されても、君のこととなると私は途端に弱くなる。生まれたての赤ちゃんみたいに自分の主張もはっきりせぬまま泣き続ける。もう一生このままなのだろう、と、最近は諦めている。諦めている、というよりも、その方がいいと思っている、が正しいかもしれない。6年という時間は、人生を前進させるには十分で、君がいた頃と随分いろいろなことが変わってしまった。

君が書いた誕生日の手紙を読むと、22歳の私は、世界で一番素晴らしい人間であるように思えた。感受性の豊かな君のことだから、実際の私は世界で五番目くらいに素晴らしい人間だったと思う。だけど今は、ランク圏外かもしれない。6年で、いろいろあって、いろいろあったが故に、私はひどく変化に拒絶的になってしまった。

6年という時間は、人生を前進させるには十分。頻繁には会えない大学時代の友人たちだから、会うたびに【ご報告】が付き物になった。結婚する人もいれば、子供が生まれた人もいるし、住まいを移す人もいる。幸せそうに笑う姿を見ると、こちらも幸せになる。学生時代の姿を知っているから、自立や共生の偉業さが増す。人生を前に進める選択を、心から祝福している。嘘じゃない。嘘じゃないけど、その一方で、「過去にしちゃうんだね」と思ってしまうんだ。「前に進むと、その分、あの時の記憶が薄れちゃうけど、それでもいいんだね?」なんて。最低だ。私たちが1日の中で使える時間の総量は同じで、それを周りの人たちへ配りながら過ごしている。人生に新しいキャラクターを登場させる、ということは、お馴染みのキャラクターの出番が減ってしまうということだ。心配りも同じだと思う。人に分けられる心の総量はおおよそ決まっていて、新しいキャラクターに興味が移れば、お馴染みのキャラクターは蔑ろにされるのではないか。そんな不安から、新登場!なんて告知されても、私はついそっぽを向いてしまう。

そんな自分が、最低なことはわかっていて、申し訳なくて、私はますます君の話を人にしなくなった。弔い方も、愛しみ方も人それぞれだって頭ではわかっていても、あの日したであろう後悔をまた繰り返さんとする姿を見ると、「あの辛さを、もう忘れちゃったんだね」と悲しくなってしまうから(これも、「もちろんそんなはずない、今だって辛い」のはわかっている、でも最低な人間だから、そう思ってしまったんだ)。

でも、私だって変化してしまうし、22歳にしがみつきたいと思ってもそうはいかない。記憶はどんどん薄れていく。毎日君のこと考えて、1つの思い出も失わずにいれるようにと願うけれど、本当はもう、忘れたことさえ気づけないほど忘れているのかもしれない。思い出話で確認作業をする相手がいないんだから、そうなってしまうのは仕方ないよね。だから、せめて、泣き続けることが癒しになる。不健全だな、と眉を顰められるかもしれない。不幸ぶって、と指を差されるかもしれない。それでも、君を思って、6年前の今日と同じだけ胸が苦しんで、それが「まだ君は過去の人じゃない」ことの証明のようで安心できる。

夏。大濠公園から、六本松にある居酒屋へと向かう途中、美術館前交差点で、教授と赤信号を待っていた。お酒は一口も飲んでいなくて、酔ってはいなかったけれど、他人の変化から目を背けるために、私はえらくご機嫌だった。その用意したような明るさで、今なら、恐ろしくて聞けなかったことが全部聞けてしまうような、そんな気持ちの大きさもあった。「旧友の指導生徒」というだけのポジションで、自分の生徒でもない私に、その人はとてもとても親切にしてくれた。「先生、私、寄せ書き、何も書けなかったんです」3年間、ずっと胸の錘になっていた事実が、なぜかするりと飛び出した。教授にとっての旧友、私の恩師は長い闘病の末、2019年の夏に亡くなった。「もう大学には戻れないかもしれない」となったとき、先生たちはかつての教え子たちから寄せ書きを集めた。私は、そこに何を書けばいいかわからなかった。結局、一つの言葉も浮かばないまま、先生は亡くなった。

「何を言えばいいか、わからなかったんです」BBQの開始時刻が、夕方でよかった。二軒目へと向かう道中はすでに日が暮れて、隣にいないと表情をはっきり読み取ることはできないだろう。交差点でぼろぼろ泣いたって、誰も気にもとめない。「あの人は、そこにないものも見ているような人だったから、大丈夫」教授は私をそう言って励ましてくれた。励まされても、涙が止まらないどころか、ますます溢れた。勢いに任せて、怖くて誰にも聞けなかったことを聞いた。「先生、時間が経てば、気持ちは楽になりますか?」「どうだろう…彼女が亡くなって3年が経って、あの時より、辛いかな。どんどん忘れてしまうから」今度は、先生は励ましてはくれなかった。時間が経てば経つほど、辛くなってしまう。だって何より、大切な人との思い出が遠くなってしまうことが嫌だから。励まされてないのに、私は告げられた真実に安堵した。大切な人との思い出が遠くなってしまうことが嫌なのと同じくらい、君を思って胸が動かなくなるのが嫌だから、辛くなった方がずっとずっといいことだ。

夏。PCの画面の中で、かつてのゼミの先生は、3時間を超えてもZOOMミーティングから退出しようとしなかった。いつか先生が私より先に死んじゃっても、先生が私の話を聞くためにずっとそこに座り続けてくれたことをきちんと思い出せますようにと願って、内緒で撮ったスクリーンショット。

秋。6年前の再現みたいな出来事があった日。「私がこのまま死んじゃったら、どう思うだろう」と考えた。どうにもならない。また次の6年がきて、新しいキャラクターとのストーリーが賑やかに折り重なっていくだけ。

秋。かつてのゼミの先生と、仲良しの友達と、君に手を合わせに行った。2度目の訪問。3人で来年も再来年も、その次も、また同じように過ごせたらいいのに。そう思っていた。でもそれが守ってもらえないと、私はまた一段と最低な人間になってしまうから、約束できないまま新幹線の改札口へと消えていく背中を見送った。

恩師の葬儀に出席したとき、和歌山駅で新幹線を待ちながら掛けられた言葉を思い出している。「こんなに早く、大切な人を2人も亡くすなんて」本当にそう。こんなに早くなんて想定外すぎて、私はきっと弔い方がものすごく下手くそになっちゃったみたいなんだよ。子供みたいに一方的に喧嘩腰になったり、話をすることを恐れる癖に理解できないと突き放したり、仕事よりも友情が大事だろうと主張したり、そんなことをずっと繰り返している。私、今、困っている。できれば助けに来てほしい。「雨が降る中、傘を壊してしまった人がいたら、自分の傘を差し出すような子」と、お母さんが君のことを言っていたね。私、6年間ずっと穴が空いた傘を差しているんだよ。晴れの日は平気だけど、ずっと晴れでいるなんて無理なんだ。だから、私がこれ以上最低な人間にならないように、できるだけ早く迎えに来てほしい。友達だった2年間、ずっとそうしてくれたでしょ。同じ場所で動かず待っているから。






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