彼がくれたのはたった一通の手紙だった。

 (2016,12,09)

彼がわたしに望んでいたのは、なんだったんだろうか?

突然の死を受け入れられないまま、飛行機のチケットを購入し、報せを受けた翌々日の朝に成田空港へ向かった。

 

 

前日、わたしと同様に上京していた友人に電話をかけて事情を説明し、よかったら一緒に行けないかと聞いた。二つ返事で了承が出た。しかし、受け入れられてないわたしの言葉に、友人も受け入れられてない様子だった。わたしたちの瞼の裏で、彼は依然として几帳面な顔で論理的に物事を考えたり、切れ長の目を弓のようにさせて笑ったりしてた。のんちゃん、とわたしを呼んでいる。

 

チェックインを済ませたとき、友人がやってきた。会うのは夏以来だった。ちょっと風貌が変わっていて、一目見ただけでは友人だと気付かなかったのですこし笑ってしまう。どうしたの、と聞きたい気持ちを抑えて「ひさしぶり」と言った。彼自身、自分の見た目を気にしてかすこしばかり恥ずかしげに「ひさしぶり」と返した。穏やかな挨拶だった。

 

搭乗時間を待つ間、テレビのニュースを眺めていた。きょうの東京はがくんと温度が下がり、足元から冷えが襲ってくるでしょう、とキャスターの女性が言った。「最近どうなの」手短に近況報告を済ませる。わたしも夏から今日までで状況ががらりと変わっていたが、友人もそうだった。

 

日常の波に揉まれて、変わってしまったことが、いくつあるんだろう。

 

寒さを象徴するように、空には厚い雲が。しかし、重い雨雲のような顔はしていない。僅かな雲間からは地上に絹糸をぴんと張ったような光が降り注いでいた。きれい、と思った。「きれい、見せてあげたい」一昨日から、思うことはこればかりだな、と自嘲して窓から目を背けた。

 

わたしたちが機内で座席を探している頃、もうひとりの友人が慌てて駆けつけた。搭乗締め切りぎりぎりの到着に「なにしてんの」と呆れ、「携帯電話なくしちゃって…」の言葉に、それを通り越して笑ってしまう。なんにしても間に合ってよかった。

 

運良く窓際の席が割り当てられてた。隣に友人が座る。ほどなくして離陸した。ぐんぐんと、眼下に広がる田園が縮んでいく。その勢いのままま、厚い雲に突っ込んだ。雨雲には見えなかったが、なかは暗雲としていた。このなかを突き進むのか、と、すこしの不安を感じたのもつかの間、一瞬強い光が目を刺し、視界が真っ白になった。延々と続くと思われた薄暗な世界はわずかなもので、真っ白な衝撃の後には柔らかな光に包まれた透き通るような青の空が広がっていた。さっきまで不安を覚えさせた雲は、まるで世界中の羽毛布団の中身を敷き詰めたようなとろけそうな床をつくっていた。飛び込んだって、ふわりと、優しく包んでくれるにちがいない。

「なんて綺麗なんだろう、見せてあげたい」やっぱりわたしはそう思った。今度は目を背けずに、眠気がわたしにそっと寄り添うまで、希望そのものみたいな顔をしたその光景を眺めていた。

 

目が覚めると、既に着陸体制にはいっていた。東京より南に飛んだので、暖かな空気に迎えられると期待していたが、こちらも東京と同様に寒く、すぐにマフラーを巻き直した。あらかじめお願いしていた車に乗り込み、更に移動する。彼の町へ、彼が待つ町へ。

 

長時間座ったままなことによる腰の痛みに、落ち着きなく身体をひねっていた頃、目的の斎場に辿り着いた。実感が湧かないまま、ただただ涙するような腑抜けた状態で、遂にここまできた。わたしは、ここでどんな真実と対峙するんだろう。黒いハンドバッグにいれた数珠を握り締めた。なんて頼りない。

 

駐車場で、見知った赤い車が目に止まる。他の大学の友人たちも、きょうのために駆けつけたようだ。

 

入り口に懐かしい顔を見つけて、すこしだけ緊張が解れる。もうすぐ始まるとのことで、再会の挨拶もそこそこに、席に着いた。当たり前なんだけど、祭壇には写真が飾られていた。後ろの方に座っていて、なおかつ、わたしは目が悪いので、写真の中の人がどんな表情か全く分からない。それでも、そのシルエットは見紛うはずがない。夏以来の再会であっても、たとえこれが1年後、5年後、10年後の再会になっていても、きっと見間違いなんてしない。それにしても、わたしはこんなに目が悪かっただろうか。祭壇の両脇に立派に咲き誇っている花に添えられた名前ははっきりと読めるのに、ひょこっと通路に顔をだしてよくよく見ようとしたって、彼の表情に一向にピントがあわなかった。

 

お坊さんが入場されて、時間通りに式が執り行われた。お経が唱えられる間、じっと前方に顔を向けていたが、やっぱり写真にピントが合わない。

 

ここに座れば実感が湧くものだろう、と思っていた。わたしは極度の泣き虫なので、式の途中に泣き喚き出し制御が効かなくなったらどうしようかと心配していた。けれど、そんな考えどこへやら、わけがわからない、こんなことしてなんの意味があるんだ、そんな思いがぐるぐると渦巻き、悲しみというよりもどかしさを感じていた。

 

焼香の時間となり、わたしも祭壇の前へ進み出た。やっと写真の顔と対面した。瞼の裏と変わらない几帳面な顔。わたしはもっと、くしゃっと笑った顔が好きだな、とぼんやり思った。そういえばクリスマス会をしたときの、あの写真、わたしたち隣に仲良く並んで、同じ顔して笑っていたなあ。

 

席に戻るときに、ひさしぶりの顔ぶれがたくさん座っていることに気づいた。なんだかみんな、すごく大人に見えた。

 

式は滞りなく進んだ。彼のお父さんのお言葉になってようやく、「あ、これは、彼のために用意された場なんだ」とはっきりと意識した。「純粋で」そう、「他人のために生きようと」わたしのために、たくさんの心配りをくれて、「短くも、幸せな人生でした」

短くも、幸せな人生、でした。

出棺の前に、最後のお別れで、1人一輪づつ花を棺に添えた。茎を、震える手で握り締めたまま、棺のそばへと寄れずに立ち尽くすわたしを、何人もの人が追い越した。わたしのともだちたちが、覗きこみ、花を手向け、泣いている、顔を覆って、声を漏らしている。逃げ出したいと思った。日常生活に、忙しさと充実感にいっぱいに揉まれて、「まあ、あいつもなんとか元気でやってるだろう」となんとなく思いながら自分の生活に戻る、そんなこれまでの日に逃げたかった。

 

けれど、これから先も、ずっとそんなわたしで、彼と友達で居続けることができただろうか?

 

そっと近づいた棺は、驚くほど小さかった。そこに人が眠っているというのが不思議だった。彼はわたしより背が高かった。並んで歩くときは、ちょっと見上げた。座ってるときは、大抵、わたしの右にいた。長方形のゼミ室の一番奥が彼の定位置だった。それと直角にある席にわたしと、わたしの仲良しの女の子と座っていた。先生のボケが、なんとなく滑ったときは、右側に顔を向けてにやにやした。彼は優しいので、そのボケを、丁寧にひろってあげていた。

 

わたしは彼の腹の真横に立ち、そうしたら、彼の顔は、いつも通り、わたしの右にあった。眼鏡がないから、なんか変な感じ。あたしが寒い中、マフラーぐるぐる巻きにして、雪だるまみたいな格好で自転車とばして、トイレットペーパーとお粥届けたときより、ずっと顔色悪いじゃん。大丈夫?ちゃんと食べてんの?

 

でも、やっぱり、そこにいたのは彼だった。嘘か冗談かと思い縋っていたわたしのわずかな願いは、ボロボロと零れ落ちる涙と一緒に砕けてしまった。

悲しみは波のようだった。彼の顔を見て、ぶわっとさらわれ、出棺の様子をみるときは、すうっとひいて、呆然とした。どこにいっちゃうの、どこにいっちゃったの。のんちゃん、と呼ぶ声がまだ思い出せる。でもこれも、いつか思い出せなくなっちゃうんだろうな。

 

ご親族の方々が、火葬のために斎場を後にすると、その空間全体の張り詰めた糸がばらっと解けたようだった。教授が、わたしに話しかけるけど、よく分からない。あ、そういえば先輩に言わなきゃいけないことがあったと、先輩を呼び止めるけど、あれ、なんだっけ、頭がぐるぐるして言葉に詰まる。見知った顔が集まるここに、ひとりだけいないのはなんで。

 

帰りの段取りを決めている間に、卒業式以来に会うひとりの友人がそばに寄ってきた。簡単に再会の挨拶をした後、「昨日の記事、ありがとう」と言われた。そのひとことでまた、波に飲み込まれたわたしは、立っていられなくなった。

 

彼のことを、わたしは恋人や両親など周りの人に紹介していた。ツイッターには毎日のように名前をあげてたもんだから、地元の友達にも知れていた。わたしの結婚式などで、直接紹介するのがたのしみだった。わたしの周りだけじゃない、社会に出た彼は、わたしの知らない人とももっともっと知り合って、世界をぐんぐん広げるんだと思ってた。

 

そしていつか、彼の大事な人を紹介してくれる日が、くればいいなって。

 

結局、自己満足で生み出したものだと思っていた。頭の中で言葉が蠢くから、気を紛らわそうと、散歩に出たり、料理をしたりしたけど、「夕日が綺麗」「ご飯が美味しい」そう心がすこしでも動くと、彼にそれを分けてあげたくなって、でも出来なくて、やっぱり吐き出されるのは涙しかなかったのが、苦しくて堪らず、絞りでたのがあの文章だった。あれを書き上げて、やっと眠りにつけた。夢も見なかった。でも朝起きると、やっぱり泣くことしかできなかった。この文章に、意味があるのか疑問だった。だって、いつもわたしのことを応援し、わたしの文章を読み、感想をくれていた人がもういない。

 

「ありがとう」ってその子に言われた。彼も、そう思ってくれていますようにって、願うしかできなかった。

 

火葬場から戻られたご親族の勧めで、すこしだけゆっくりさせてもらった。改めてみんなの顔を見渡す。会うのは8ヶ月ぶりの人ばかりだった。どうしてたの、と聞くよりも、思い出話で盛り上がった。さっきまであんなに泣いてたのに、彼のことを笑って話せるのが不思議だった。「ふたり、わたしのことはさんでいっつも喧嘩してるんだもん」仲良しだった女の子が笑った。「ほんと、あれだけ口論してたのに、どうしてわたしたち、仲良くなれたのか全然思い出せない…」

 

和やかに話す空間に、やっと今日ここへ来た意味がわかった気がした。なんらかの真実が突き付けられるものだと恐々としてやってきた。けれど、目の前にあったのは事実のみで、予感していた晴れやかさや、頭を撃つような苦悩はなかった。でも、みんなで集まり、談笑し、偲び、ようやくすこしだけ、受け入れられたような気がした。ひとりで泣き、心の穴をじっと見つめているだけだと芽生えなかった、彼との思い出の純粋な輝かしさを、たったいま気付けたように思えた。

 

牡蠣にあたって大騒ぎしたあの晩を思い返す。あのときは、ゼミのメンバーだけだったけれど、きょうはそれよりもうんと沢山の人が彼に会いにきていた。やっぱり、みんなのお母さんは愛されてるんだなあ。

 

思い出話は、尽きることがないと分かっていたので、頃合いをみて切り上げて会場を後にすることになった。その前に、すこしだけお母さんとお話をさせていただいた。一緒に、たくさん楽しんでくれたみたいで、そういう彼のお母さんは、彼が笑ったときの顔にそっくりだった。なんだか、やっと会いたかった人に会えた気がして、また涙が出て、言葉がうまくつづかずに、ただ「また会いにきてもいいですか?」と聞いていた。

実家に一晩泊まってから帰ることにした。彼からもらった手紙を読み返したかったのだ。大学時代のあれこれをまとめた箱に、はいっていた。ちょっと楕円ぽい、文字の形。懐かしい。他の手紙も全て確認したが、彼からの手紙はその一通だけだった。とても長い時間を一緒に過ごしてきた気になっていた。けれど、実際は、短く濃いひとつの季節のような時間しかなかったのだ。

 

淡いクリーム色の便箋に、輝く太陽のマークが記されている。お誕生日おめでとう!の、書き出して始まり、22歳おめでとう、でしめくくられたそれは、たった2枚の、いつも饒舌な彼にしては短いものだった。

 

わたしが覚えていたとおり、「生まれてきてくれてありがとう」ということが書かれていた。

それだけじゃなかった。

 

わたしがどうしても思い出せなかった、彼とわたしが仲良くなったきっかけが記されていた。

そして、こう続いていた。

 

「あの時に僕の人生は大きく変わったよ。
のんちゃんが、僕の人生を素晴らしいものに変えてくれたんだ。

 

あれから色んなことを、ただ同じ場所にいたってだけじゃなく、本当の意味で一緒に楽しんだね。

 

のんちゃんが僕の誕生日に贈ってくれた言葉を読んで、「ああ、もう僕は大丈夫だな。生きていけるな。」って思ったんだ。

 

振り返ってみると、驚くほど友達歴は短いけど、僕は君のこと大切な一生の友達だと思ってます。

 

僕の大切な、大好きな友達である君が、喜びに溢れる人生を送れますように。」

悲しみの波が、わたしに襲いかかろうとしたのに、気丈に立ち向かおうと踏ん張った。

 

悲報を聞いてから、ずっと胸を焦がしていた自責の気持ちがぶわっと膨らむのを感じながら、いまはだめだとぐっと押し殺した。

 

「うそつき」とこころが呟きそうになるのを、頭を振って掻き消す。うそなんかじゃない。紛れもなくこのときの彼は、生きて人と関わり合う素晴らしさに胸を打たれていたはず。

 

この手紙の中にいるわたしたちは、しょーもないことを心から楽しむふたりだった。決して、これはわたしを悲しみに暮れさせるために書かれたんじゃなくて、ただただ、未来への希望に溢れてたんだって。

 

どんな運命にあっても嘆くための命ではないのだと、いま思う。祝福するためにあるのだから、ただこの手紙は、微笑ましくあたたかな思い出と一緒に抱きしめていたい。

 

昨日の記事、本当は「わたしの親友を紹介させてください。」って書きたかった。でも、肝心なときにそばにいてあげられなかったわたしが、君のことを親友って呼ぶのはおこがましいかなって思ってしまったんだ。ねえ、どうかな?やっぱり親友って呼んでも、いいかな?

 

彼が亡くなったと聞いたときの感情に任せて、わたしは長い時間言葉を出そうと必死になっていた。でもどれも支離滅裂になって、書けたのは彼の素晴らしさを表すものだけ。それ以外に自分が何が書けるか誰に書けるか、分からなくなってしまったと思った。

 

でも、きょう、すこしだけど受け入れることができて、また書きたいな、と思う気持ちがちいさく膨らんでいるように感じる。

 

悲しみは波のようで、いまは引き、静かに落ち着いているけれど、また物凄い力を伴って、わたしを飲み込んだときには、抗えずに息も出来なくなってしまうと思う。

けれど、わたしの手を引いてくれる人がいるから、きっとまた呼吸ができる。

 

わたしも、他人にとってそんな人になりたい。恐ろしさに、闇雲に振り回される惑う腕を、しっかりと掴みとってすくい上げる人になりたい。

 

そうして生きていける人生が、彼がわたしに祈り捧げてくれた、喜びに溢れた人生だと思うんだ。

 

 

 

サポートしてくださったお金は日ごろわたしに優しくしてくださっている方への恩返しにつかいます。あとたまにお菓子買います。ありがとうございます!