5年間毎日彼のことを考えたけれど、「会いたい」以外の言葉がない。

親友を失くして、5年が経った。
毎日、彼がわたしの名前を呼ぶ声を思い出して、安心している。「ああ、まだ忘れていない」「ちゃんと思い出せる」ということを確認して、安心している。

この5年間で、いろいろなことがあった。
あのとき、結婚しようと言ってくれていた人とは別れた。同級生の男の子は、1年遅れでちゃんと卒業をして、希望の就職先で働いている。彼女もできたらしい。わたしたちの大事な先生は、長い闘病生活の末、眠りについた。ある先輩には子どもがうまれ、ある先輩は違う土地へと嫁いで行った。彼が大事に思っていた子たちも結婚をした。ついでに、わたしが結婚する予定だった人も、違う誰かと結婚をしたらしい。いつも飲み会にいたあの人とは、疎遠になってしまった。なかなか連絡が返ってこず、いま、どうしているかは分からない。あのとき講師だった先生は、准教授になった。研究室の本は増え、雑貨も増え、わたしたち以外の知らない生徒との思い出が積み上がっていく。みんな、新しい生活がある。

1年前、わたしたちの仲良しだった女の子が結婚する日、ひさしぶりに福岡へと帰った。彼が最後に住んでいた部屋も見に行った。外からマンションを眺め、ロビーでポストを確認した。いまはきっと、違う誰かの生活がそこにはある。彼がいた間に訪れることが叶わなかったその街は、コンパクトながらしっかりした商業施設があり、神社があり、お洒落なカフェも渋い喫茶店も便利なファミレスもあって、なかなかにいい街だった。駅から伸びる広々とした国道の脇には立派な銀杏並木が伸びている。それらが、寒々しいアスファルトを柔らかい黄色で染めていた。午前中に訪れ、日が傾く時間までそこで過ごした。目的はなかったが、理由はあった。彼に会いたかった。会いたくて堪らなかった。さびしくて死んじゃいそうだった。死んじゃいそうになってはじめて、彼の気持ちがすこしだけ分かったような気がした。どうしようもないことが、この世の中にはあるのだ。いくら否定しても、いくら努力しても覆せないものがあって、時々、そういうものに抗えなくなることがある。いろんな人が、好き勝手にいろんなことを言う。「命は大事にしなさい」とか、「家族を悲しませちゃいけない」とか、「あなたは恵まれている」とか。そんな当たり前のことを言う前に、もっと言わなきゃいけないことがあったはずなんだ。

仲良しだった女の子の白無垢姿を目にしたとき、わたしはたぶん、彼に何かを言いたかったと思う。感染症対策で式に参列できない代わりに、ひとり、離れたところから彼女を見守りながら、なぜわたしはひとりなのだろうと不思議で仕方なかった。嬉しさとさびしさで、ボロボロと涙を流しながら、やっぱりわたしは彼がわたしの名前を呼ぶ声を何度も何度も思い出していた。すこしも欠けることなく完璧に再生できるように。新しい生活がはじまって、あのときの仲間と距離ができても、大事な人たちが、あなたの知らない人ばかりになっても、わたしのことを一番応援してくれる人が、あなたではなくなったとしても、ずっと一生思い出せるように。日々の忙しさに捲し立てられて、こころの余裕がなくなっても、まっすぐに思い出せるように。死んじゃいそうな気持がなくなっても、あなたに気持ちを寄り添わせることができるように。悲しくてさびしくて辛い、この先もずっとそればっかりでも、それでも思い出のひとつだって忘れませんように。

5年間でいろんなことを思った。彼に話したいことがたくさんあった。相変わらず世の中はうるさく、必死に生きる人たちに、斜め上から命の尊さを諭している。そんな言葉はいらないと思う。わたしが「会いたい」って言ったら、絶対に彼は会いに来てくれた。絶対にって信じている。自分がいくら切羽詰まっていたって、自分がいくら損をしたって、他人を優先して動くやさしい人だった。そのやさしさに付け込んでやればよかった。だから「会いたい」って言えばよかった。5年前に言わなかったせいで、いまもわたしはそれ以外の言葉をかけることができない。

サポートしてくださったお金は日ごろわたしに優しくしてくださっている方への恩返しにつかいます。あとたまにお菓子買います。ありがとうございます!