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「写真」と「画像」について

こんにちは、Masaです。

最近いろいろなところでもよく耳にしますが、「写真とはなにか」ということについて、私なりの考え方を整理してみました。あくまでも私の考え方であるということをご理解ください。

写真の世界はフィルムからデジタルに急激に変化しました。どっちが良いとか悪いとかではなく、変化したことは事実であり、これからも変化するでしょう。きっとあと10年もすると今のデジタルカメラはまた違った形態に変化しているかもしれません。

私は、Noteを始めるにあたって「写真を好きになる」ことを目標にして始めました。「カメラ好き」から「写真好き」になりたいと考えています。
では、その「写真」とは何でしょうか?


フィルム時代は「写真」

私は還暦を迎えたところです。45年以上前から趣味で写真を撮っています。最初のころは、白黒フィルムを使って、鉄道写真を撮っていました。近所の写真屋で現像をしていました。同時プリント(一番小さいサイズで)をして写真を鑑賞していました。
大学時代になると、自分で現像から焼き付けを始めました。フィルム時代は、写真というのは、印画紙に焼き付けたものというイメージです。

菖蒲園

デジタル時代は「画像」

デジタルになり、私は印画紙に焼き付けるということが無くなりました。撮れた写真は、モニターで鑑賞したり、SNSに投稿したり、すべてデジタルで完結させています。撮った写真も1と0で表されたデジタル画像、鑑賞するのもデジタル画像です。すなわち私が今、「写真」と認識しているものと「画像」といわれるものはイコールとなっています。

デジタル時代の「写真」

それでは、デジタル時代の「写真」をどのように定義すればいいでしょうか?ここからはあくまでも私論であり、いろいろな意見があってもいいかと思います。私は「写真」を趣味にするといっている以上、「写真」の定義をしておく必要があります。筆→鉛筆→ワープロと変化しても、書かれているものは文字であり文章です。それと同じ例えで写真で考えると、フィルム→デジタルとなっても映っているものは、「現実の一瞬」であると定義できるのではないかと考えています。そう、メディアは変化しても「写真」の本質は変わっていないと思います。

京都の春

結論

私の中での「写真」とは、現実の一瞬を切り取ったもので、決して生成AIで作った画像や、CGとは違うものです。デジタル写真は、コンピューターで加工も可能ですが、私はあくまでもフィルム時代にできたことを模倣しています。RAW現像時にするのは、トリミング、コントラスト(印画紙の号数を変えるのと同じ)、焼きこみ、覆い焼、フィルターによる色の変化、などは許容範囲。あとフィルムシミュレーションの適用(私は、DxOのFilmPackを使用)。当面は、この縛りでこれからも「写真」を撮っていこうと思います。

チューリップ

それでも

できるだけ、原体験であるフィルム時代の「写真」を模するように現像していますが、やっぱり、んー違いますね。やはり「印画紙に焼く」というところが大切なのでしょうね。だから私は、デジタル写真をプリントしてもらっています。上のチューリップ写真は、FujiFilmさんでパネルにしてもらい、部屋に飾っています。やはり、物理的な形で存在すると嬉しいですね。何とか「写真を焼く」という行為を復活させたいですね。
皆さんは、撮った写真どうしてますか?

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