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ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド Once upon a time in Hollywood

タランティーノ監督のワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッドを観てきた(タイトル長い…)。
1969年のハリウッドが舞台という事で、60年代後半のアメリカのカルチャー満載。細かい部分の虚実交えた引用も多いためこの時代の知識があった方がより楽しめる映画なのではないかと思った。パンフレットに引用元など事細かに載っているのでそちらを読めば大半の事が理解できると思うのだけれど、少なくとも観る前に必須として知っておいた方が良いのがシャロン・テート事件。この部分を知らないとラストの意味が全く変わってくるし、特にエンドロール手前の流れの感じ方が全然違うと思うのでそこだけ前知識として入れていった方が良いと思う。シャロン・テート事件についてはウィキペディアや本映画のサイトにも載っているし、ググると大半の内容がわかるはず。

昔、90年代に宝島か何かの別冊で出ていたチャールズ・マンソンを特集した本が出ていて、シャロン・テートを含む惨殺された遺体の写真が出ていたのを覚えている。検索すれば出てくると思うけど、惨殺から想像するものとは少し違った殺され方(刺した凶器はナイフだけじゃないのが痛ましい…)なのであれを知っているのと知らないのとではかなり印象は変わるのではないかと思う。
恐らく日本でチャールズ・マンソンに触れる機会として大きいのがビートルズの「ホワイトアルバム」で、きっかけとなった「ヘルタースケルター」からそれを知った人も多いのではないかと思う。元々歌手を目指していたチャールズ・マンソンが黙示録的な曲としてヘルタースケルターやピッギーズを取り上げた事など、60年代後半のポップカルチャーに内包されてしまった忌まわしい記憶として記憶されてしまっている。
因みに劇中出てくる「テリーの家」というのは音楽プロデューサーのテリー・メルチャーの事で、元々チャールズ・マンソンともめた事が発端でこの事件が起こっている。ビーチボーイズのデニス・ウィルソンもチャールズ・マンソンとつるんでいて、ビーチボーイズ自体が60年代末のこの危険な出来事に巻き込まれかねない状態だったというかなりギリギリな所にいた。
デニス・ウィルソンはビーチボーイズのアルバム20/20でチャールズ・マンソンの曲を買い上げる形で取り上げている。クレジットはデニス・ウィルソンになっているものの、この曲はチャールズ・マンソンによるもの。

この辺りのいざこざが原因となって惨殺事件に発展するのだけれど、劇中ではその説明は一切ない。
1966〜67年からサンフランシスコを中心に起こったヒッピー/フラワームーブメントはラブアンドピース、サマーオブラブという時代を代表するブームになっていたけれど、激化するベトナム戦争(劇中でもラジオでベトナムの共産主義についてちらりと出でくる)、ヘルズエンジェルズの暴力事件やこのシャロン・テート事件で楽観的な雰囲気が一変した事でムーブメントは終わることになるのだけど、丁度これら事件が起きる前段階の話が本作という位置付けも結構重要だと思う。
劇中に出てくるヒッピーやシャロン・テート、プレイボーイのパーティなど、幸せな雰囲気は8月に起きたマンソンファミリーによるシャロン・テート事件と、12月に起きたローリングストーンズのオルタモントフリーコンサートでヘルズエンジェルズが観客を殴り殺した事で、60年代は悲劇の最中で幕を閉じ、一気に陶酔から現実へと引き戻されることになる。この映画はその直前のまだ幸せだった時代を切り取ってパッケージしている。
最近ではネットフリックスのオリジナルドラマ「マインドハンター」のS2で、チャールズ・マンソンと会話するシーンがあり(今作と同じ俳優)今でも関心が高い事件だと感じた。

ESPからリリースされたチャールズ・マンソンのアルバムは普通に聴くことが出来る。

※ここからネタバレ

ラストの衝撃/笑劇的なマンソンファミリーがシャロン・テート宅には行かずにリックの家に乗り込んでクリフに返り討ちにあうシーンは、最初に書いたようにシャロン・テート事件の内容を理解していないとわけがわからない内容になっている。というのも映画後半はこの事件が起きる当日あった事を踏まえながら時間が流れていくので、結末を分かった上で刻一刻と迫る危機に対して「あぁ…あれが起こるのか…」という惨劇に向かって突き進んでいく緊張感に包まれていく。そして迎える違う結末は、そこのズレが分かっていないとただ単にマンソンファミリーを暴力的に返り討ちにしたとしか認識出来ないのではないか。
これを認識した上で観ると「あれ?シャロン・テートは助かった!?」という史実をひっくり返す内容に、観客が裏切られるラストが用意されている。今もなお暗い影を落としているマンソンファミリーの悪行の中でも代表的な事件の結末が、「屈強な男に打ち負かされる」というある種の幸せな結末としての願望が映画によって叶えられた瞬間が用意されていて、あの時代、あの場所で「こうあったら良かったのに」という結末をタランティーノが用意した事で、観客は多幸感のまま映画と60年代が終わりを迎えることが出来る。
映画自体はリックとクリフという一度は成功したもののその後の時代の波に乗り切れないままの俳優とスタントマンが、紆余曲折を経て新たな時代の波へとのりつつある中、この事件を迎えることでラストのリックとシャロン・テートの邂逅という最高のラストが用意されている。リックが旧時代を乗り越えた先に、新たな時代の幕開けとして新時代のシャロンとの出会いは大いなる希望として幕を閉じる。希望に満ち溢れたパラレルな世界は多幸感に溢れたまま終わりを迎える事が出来た。

観劇後、目の前を歩いていた女性2人が「火炎放射器なんてねぇ…。あれなんだったの?」と言っていたのを耳にした。取ってつけたようなあのリックの着火シーンは実にラス・メイヤー的な表現だったなと思う。リックが唯一人を殺せる武器を手にしたのはこの火炎放射器だけで(クリフは銃を所有しているのはトレイラーハウスのシーンでわかる)、それを大事に持っていて使用したというのが、冒頭の回顧シーンと繋がっている。何年も前のものが使えるの?なんて野暮なことは言うまい。ラス・メイヤー的な取ってつけた感で考えればなんでもアリなのだから。ようはマンソンファミリーが返り討ちに会うことが重要なわけで、辻褄なんて二の次でよいのだよ。
ラス・メイヤーは名作(迷作?)「ワイルドパーティ(Beyond the Valley of the Dolls)」でヒッピーやマンソンファミリーを揶揄した映画を翌年公開している。ビートニクスから連なるポップカルチャーの光と闇を描いた60’sカルチャー満載の爆笑映画なので、こちらも合わせて観て欲しい(とにかくみんなおっぱいがデカい上に、ふた言目にはLet's Make Love♡)。この辺りの感覚はロッキーホラーショーに参照されて繋がっていく。

タランティーノは他の映画でラス・メイヤーの「ファスター・プッシーキャット!キル!キル!(Faster, Pussycat! Kill! Kill!)」なども引用しているので気になる方はそちらも。


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