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【映画】レディ・バード ネタバレあり ダサさの中で背伸びしながら鬱屈した気持ちを描き切ったこの映画は愛らしい。

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グレタ・ガーウィッグが監督したレディ・バードを観てきた。

カリフォルニア州のサクラメントに住む高校生クリスティン"レディバード"マクファーソンが大学に行くまでの話。
カトリック系の私立に通うへっぽこ女子高生が、意思疎通が上手くいかない母親と接していた日々の生活を描く。

とにかく主人公のレディ・バードのうだつの上がらなさと、セコさが全開で拗らせっぷりが全編に渡って展開される。

鬱で会社をクビになった父親は支えてくれるものの、職を持つ母親には頭が上がらない。

おそらく映画を観ていて最初に気になるのが兄ミゲルの存在だと思う。見た目でわかる通りあの両親から産まれた子ではないけれど、その部分は特に説明がない。ミゲル自身が「人種差別だ」と声を上げる通り、家族と直接血が繋がっていないのがうかがえる。
ラスト近くでニューヨークに引っ越したレディ・バードが母が書こうとして捨ててしまった手紙を父がバッグの中に潜ませて、それを読み上げるシーンに経緯が垣間見れる。
どうやら両親は不妊治療費を行なっていて、諦めかけた時に産まれた娘だったということが明かされている。要するに妊娠を半ば諦めていた頃にとった養子がミゲルだったと考えられる。
ミゲルは顔のあらゆる所にピアスを開けていて、一見反社会的な雰囲気があるものの、文句を言いながらも妹を見守っているし、就職活動の際にはしっかりピアスを外している。彼女のシェリーも一見駄目そうな雰囲気はあるものの、レディ・バードに的確なアドバイスをしている。バラバラそうに見えていても家族のつながりを感じる瞬間だと感じる。

最初の恋人で偽装恋愛の相手だとわかったラリーが、同性愛としての自分をレディ・バードに吐露するシーンも上手く描いていて、傷つけられながらもそういった気持ちを踏みにじることはしない姿勢は今の時代感にあった内容だと思う。

「君の名前で僕を呼んで」で素晴らしい役柄を演じたティモシー・シャラメ演じるカイルのダメっぷりも程よく嫌なやつで好演。ベーシストなんて辞めとけ!と思ったのは僕だけでないだろう…。戦争以外でも傷ついてる人はいるのというようなレディ・バードの気持ちは、プロムは一緒に出てくれる?というお互いの軽薄さが出ていてつい笑ってしまう。

舞台が2002年から2003年という事で、イラク戦争のニュースが所々流れる。この時代を取り上げたのはニューヨークに起こった911の後、ニューヨークの大学への進学する人数が減り入学しやすい状況があったことがレディ・バードのセリフからわかる。
とにかく片田舎の閉鎖的で、何か違うものを求めて都会に出るという十代にありがちな夢をこの映画では描かれている。地元に残る友人もいれば、パリに行きたがる人もいる。(アメリカ人のフランスへの憧れはこういった映画でよく描かれる)。
この映画はノア・バームバックが監督し脚本をグレタ・ガーウィッグが共同で書いたフランシス・ハの前日譚とも言える。田舎を離れ都会を目指す。けれどうだつの上がらない生活を描く(この映画と根本は変わらない)。マイク・ミルズの20センチュリーウーマンではニューヨークを離れて新たな人生を歩むキャラクターをグレタ・ガーウィッグが演じていた。時代は違えどこの三本は根底でつながっている。

レディ・バードがニューヨークへ向かう空港のシーンで、デイスコミュニケーションだった母親がひとりで去りながらもたまらずに戻って娘を追うシーンがこの映画のピークだった。お互いの理想を掲げながら歩み寄れないのだけど、すれ違う様は感動的な一瞬で心を掴まれる。

ニューヨークで知り合った男にレディ・バードと名乗らず本名のクリスティンと自己紹介する様は、他の誰かにならず自分自身になろうと踏み切った瞬間で独り立ちしようとしながら、急性アルコール中毒になるのはどこの国も同じ。

ノア・バームバックがもつフランスコンプレックスや、マイクミルズが保つアメリカの格好良さはこの映画では感じない。アラニス・モリセットのハンド・イン・マイ・ポケットを臆面もなく語ってしまうダサさ。プロムでの服装をダサいと陰で言われ(といってもみんなダサい)ながらも、ダサさやセコさを正直に描いたからアメリカ国内で支持されたのかもしれない。

欲を出して格好良さを語るよりも、十代の隠したいダサさを描きながらも背伸びしながら鬱屈した気持ちを描き切ったこの映画は愛らしい。

正直に言えば期待したほどの映画ではなかったと思う。しかしブレないグレタ・ガーウィッグという人の価値観を描いた自叙伝のような内容を愛でる人は多いと思う。

個人的には全く違うテーマで何を描くのか?今後はそれを期待する。次作に期待したい。

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