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ひとを笑顔にするコーヒーカップ

ほとんどヤメルヤメル詐欺のようになってますが、いよいよ本当に、ホントのほんとうの閉店となりそうです。営業日や時間はまた別途SNSにてご案内させていただきます。

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それはそうと、カフェを17年やってきた間には、やはりそれ相応に心残りのことがらも少なからずある。これから書くのは、まだ荻窪にお店があった頃のそんな出来事のひとつ。

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ある日の夕方、いつものように店に立っているとひと組の家族連れが入ってきた。高齢のご夫婦に娘さんという3人である。店の一番奥のテーブルに落ち着いた3人、お父さんのからだが不自由であることは入ってきてすぐ気づいた。

どうしてもコーヒーが飲みたいって。

喋るのも大変そうな夫を代弁して妻が言う。よしきた!飛び切りのコーヒーを!そんな心意気でドリップし席まで運ぶ。

「あっ」。お父さんの前にコーヒーカップを置こうとした瞬間、お母さんと娘さんとが申し訳なさそうに、口を揃えてこう言うのだった。

ごめんなさい。そのコーヒー、コップに入れてもらっていいですか。

持ち手の細いコーヒーカップより、からだの不自由なお父さんにはコップの方がはるかに持ちやすい、おそらくそんな実際上の配慮からの言葉だったと思う。僕も、わかりましたとカップをいったん下げようとしたのだが、そのとき、お父さんが「いやだ、いやだ、そのままでいい」そう素振りで抵抗したのである。ぼくは一瞬あっけにとられ、はたしてどうしたものかと迷ってしまった。

しかし、結局お母さんと娘さんの勢いに押されるかたちでコーヒーカップを下げ、あらためてコップに注いだコーヒーをお出ししたのだった。コップでコーヒーを飲んだお父さん、そしてそのご家族は支払いを終え帰って行ったが、その日ずっと僕の中のモヤモヤした気持ちは消えることがなかった。

あのときは、つい勢いに押されてご家族の言うとおりコップに入れ替えてしまったが、はたして本当にそれでよかったのだろうか?

もちろん、お父さんの拒絶にもかかわらずコップにコーヒーを注ぐよう指示したお母さんと娘さんを責めることはできない。もし無理をしてコーヒーカップを使った結果、こぼして周りを汚してしまったら、あるいはそれこそカップ自体を落としてしまったら、そんなふうに考えれば、家の外だったからこそ余計に気遣いがはたらいたとしても不思議ではない。

でも、その一方で、家ではいつも専用のコップのようなうつわでコーヒーを飲んでいるお父さんが、外出先の喫茶店ならちゃんとしたコーヒーカップでコーヒーが飲めるかもしれない、そんなふうに考えていたとしたらあまりにも切ないではないか。他人の心を推し量るのは容易ではないが、そう思っても不思議ではないくらい、あのときのお父さんの抵抗ぶりは激しかった。

コーヒーをのむとは、ただコーヒーという液体を飲むということではない。

時計の針を、もしもぐるっと巻き戻すことができたなら、きっと僕はこう対応するのではないかと思う。

そうですよね。コーヒーはやっぱりコーヒーカップで飲まないと。コップで飲んでもおいしくないですもんね。一応、念のためコップも置いておきますね。もし飲みづらいようでしたら移し替えてお召し上がりください。

本来は、こういう臨機応変な対応こそが「カフェの接客」の「カフェの接客」たるゆえんだと思っているのだけれど、たいがい最適解は事が起こったずっと後になって思いつくものなのだよ。

こんな出来事があってからというもの、ときどき思い出すとインターネットでユニバーサルデザインのコーヒーカップを探したりする。あらためて言うまでもないと思うが、ユニバーサルデザインとは「年齢や性別、国籍や体格、そして障害の有無や能力差などにかかわらず、誰にでも同じように使うことができるよう考えられたデザイン」をいう。

いまは、ユニバーサルデザインに対する意識もその一件があった当時と比べればはるかに高くなっていて、そのような食器類もいろいろ見つけられるようにはなった。よいことだと思う。とはいえ、どうしても機能重視にならざるをえず、その見た目は無骨だったり無粋だったりでなかなか満足のゆくものは少ない。また、軽さや耐久性から、プラスチック素材が多いのも気になる。だってそう思いません? コーヒーはやっぱり陶器のうつわで飲みたいよ。

もし自分があのお父さんのようにからだが不自由になってしまったら、やはり僕もコップで、あるいはプラスチックの「工具」みたいなうつわでコーヒーを飲むしかないのだろうか?

創造のはじまりは想像である。なんて、いま適当に思いついたのだけど、もっと気の利いたユニバーサルデザインのコーヒーカップがあればいいのに。

先日、この話をとてもひさしぶりに会うことができたデザイナーの梅田弘樹さんにした。ご存知のように、梅田さんはモイで使っていたオリジナルのコーヒー&ティーカップセット「eclipse」の作者である。

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そのソーサーは、カップを横にずらすとお菓子など添えることができるよう工夫されているのだが、その用途のために通常は真ん中にある丸い凹みが三日月状の凸型になっているのが特徴的だ。つまり、カップを持ち上げた瞬間、三日月が現れる

僕は、それこそ17年間、お客様が突然姿を現した三日月に感嘆の声を上げ、また顔がほころぶ様子を見続けてきた。なので、

世界中でこれほどまでにひとを笑顔にする食器はない

と断言できる。

梅田さんならきっと、いままで誰も思いつかなかったような発想ですてきなユニバーサルデザインのコーヒーカップをつくることができると僕は信じている。

梅田さんきこえますか? これは「呪い」のことばですよ。

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