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ヒトは「管」である

壊して、作って

ヒトは「管」である。そんな、なんとも破壊的ともいえるフレーズと遭遇したのは、ある生物学者が書いたエッセイでのことだ。その生物学者、福岡伸一さんは次のように言っている。

ヒトの身体はとどのつまりちくわのようなもの。口と肛門で外界とつながった一本のチューブだ。

福岡伸一『ゆく川の流れは、動的平衡』

いや、まあ、言われてみればたしかにそうかもしれない。とはいえ、そんな発想まったくなかっただけにやはり唖然とする。だって、「ちくわ」だよ。

しかし、科学という学問が有意義なのは、このようにあらゆる存在を自然に還元することで相対化するその点にこそあるとも感じる。あなたもわたしも、しょせんはみんな一本の「チューブ」にすぎないと知れば、人間関係に起因する煩わしさなど大半はどうでもよい滑稽なものに思えてくるではないか。だって、「ちくわ」だぞ。

居丈高な「管」。意識の高い「管」。戦争という名の、「管」と「管」との不毛なつばぜり合い。なにをやってるんだ。「管」のくせに。

口から入れて肛門から出す。他人のことなんてどうでもいいじゃないか。「管」なら「管」らしく、もっとそのことに真摯に取り組むべきなんじゃないか。だいたい、おかしな思念で「穴」が詰まってしまっているからそういうことになるのだ。そう考えると、「健全な精神は健全な肉体に宿る」という格言もあながち間違ってはいないと思えてくる。できたてのちくわのように、風通しのよい「管」になりたい。

とはいえ、近ごろ、とりわけ若者を中心にみずから「管」と名乗り、おかしな思念につかまらないよう入れては出しを忙しく続ける人種が増えているという。ユーチューバーっていうんですけどね。

動的平衡とアイドル

それはそうと、このエッセイを収めた本のタイトル(『ゆく川の流れは、 動的平衡』)を見てはたと気づいた。なにに思い当たったのかというと、アイドルグループの活動もまた、まさに「動的平衡」によって成り立っているということに、だ。

ところで、動的平衡とは、細胞が絶妙なバランスで分解と合成とを繰り返しながら生命を維持しつづけるその神秘的な仕組みのことをいう。

生命はいつも自らを解体し、構築しなおしている。つまり(大きく)変わらないために、(小さく)変わり続けている。そして、あらかじめ分解することを予定した上で、合成がなされている。

福岡伸一『ゆく川の流れは、動的平衡』

大きく変わらないために小さく変わり続ける。どうやらそのことのうちに「動的な平衡」の本質があるらしい。そしてアイドルもまた、自らを解体し、構築なおすことでグループとしての生命を維持しているといえないか。

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