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終わらせる。そこからまた始まる。

お店を終わらせることは寂しくもあり、また怖くもある。それは、お店を介して出会った人たちとの絆がそこでプツリと切れてしまうのではないかという恐怖である。

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きょうもまた、たくさんのご来店ありがとうございました。盆と正月、さらには夏至とクリスマスとが一緒に手と手をたずさえてスキップしながらやって来たみたいな意味不明なにぎやかさでした。たまたまなんの事情も知らずに入ってしまった人は、その異様なテンションにさぞかし落ち着かなかったのではないでしょうか。

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ここ一週間あまり、閉店の報せを聞き、数年ぶりに駆けつけてくださったような人たちも少なくない。

転職したり、結婚して子供ができたり、また田舎に帰ったりと、二十年ちかくもやっていれば当然お客様を取り巻く生活環境も変化する。足が遠のいたからといって必ずしも忘れてしまったわけでなく、来たくてもなかなか来れない、そういう事情だってあるはずだ。

ただ、理解しているつもりとはいえ、お店をやっているこちら側からしたら、やはり寂しい気分にとらわれることがないと言ったらそれは嘘になる。

だから、たとえその理由が終わってしまうからというものだったとしても、こうしてひさしぶりに足を運んでくださり、「再会」を果たすことでほどけかかった「縁」がもう一度しっかり結び直されるのは嬉しくてしかたない。嬉しさ余って、思わず大きな声が出たり、足がもつれてテーブルの角にひざをぶつけたり、また絶望的に面白くないジョークが口をついて飛び出したりもするがそれはしょうがないことなのだ。

終わらせることが、また新たなつながりを呼び起こす。そして、会いにいこうという思いと会いにきてくれたという思いとが重なり合うとき、そのつながりはよりいっそう密になる。

間が空いてしまうとなんとなく気後れしたり、敷居が高くなってしまったりするものだが、そこからまた何かを始めるために、ためらわず僕も会いにゆく。

サポートいただいた金額は、すべて高齢者や子育て中のみなさん、お仕事で疲れているみなさんのための新たな居場所づくりの経費として大切に使わせて頂きます。